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戦後70年 教訓を後世に伝えたい 特攻隊最初の犠牲者入山さん(印南町出身) 〈2015年6月4日〉

2015年06月04日 08時30分00秒 | 記事

特攻機を背にする故・入山稔さん


 今年で終戦から70年を迎える。戦争体験を証言する人たちが少なくなる中、悲惨な歴史を二度と繰り返さないよう教訓をどのように未来に伝えるかが大きな課題とも言える。今から34年前の昭和56年の本紙で紹介した特別攻撃隊で最初の犠牲者となった印南町出身の入山稔さんを知らない人も多くなっている。入山さんのような若者がなぜ死ななければならなかったのかなど先の大戦の教訓を後世に伝え、未来に生かすためにも戦後70年を機に今一度、入山さんを紹介したい。

 昭和56年6月13日付本紙で「B29に体当たり敢行」「帝都上空で散った 一少年飛行兵」との見出しで入山さんの記事を掲載。印南町山口出身の入山さんは、旧制日高中学校在学中の昭和16年に少年飛行兵を志願し合格。基本教育を受けたあと、熊谷陸軍飛行学校に移り、陸軍飛行第53戦隊に配属。戦況が悪くなる中、米軍のB29の帝都(東京)への空襲に対して軍の威信をかけたともいうべき、敵機への体当たり戦法である特別攻撃隊、いわゆる特攻隊が編成され、その一人に入山さんはいた。
 昭和19年11月24日、入山さんは帝都に空襲を行うB29に対して出撃。銚子沖で7機編隊を発見し、追跡を行い、市川上空で体当たりしたが、敵の編隊に集中砲火を浴びて頭部をはじめ全身に数十発の銃弾を受け壮絶な戦死を遂げた。特攻隊の最初の犠牲者として19歳9カ月という若さで大空に散った入山さんは辞世で「かえらじと かねて覚悟の若桜 玉と散る身の今ぞ楽しき」と書き残している。
『B29体当たり、特攻の悲劇「帝都防空戦記」』(原田良次著)の「最初の犠牲者」として入山さんを紹介する章の中で「入山兵長を殺したのが、単にアメリカのB29機だけであったのか。たとえ、B29が一発の銃弾も入山に浴びせなかったとしても入山はやはり死なねばならなかったのである。入山を殺したのは、日本帝国という国、その安全のためならば、国民一人ひとりの生命や幸せなどには一顧をも与えようとしない日本という国の特殊構造と、その上にあぐらをかいてきた無責任軍官僚体制であったのではなかろうか」と記されている。
 平和教育の教材にもなると町教頭会で入山さんのことを紹介した岡本徹士教育長は「入山さんは頭も良く、スポーツも万能だったと聞いた。どうしてこのような前途ある若者がなぜ死ななければならなかったのか。体験した人が少なくなる中で、入山さんの死を無駄死ににしないためにも戦争の愚かさ、平和の尊さを後世に伝えていかなければならない」と平和教育の大切さを訴える。


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