訛(なま)り
~味わいと歴史~
☆初めに☆
先だって楢葉にお邪魔した時、渡部さんの奥さんが、ワタシあんなにズーズー弁じゃないのにと、新刊『大震災・原発事故からの復活』に「抗議」しました。もちろん冗談なのですが、意外でした。思い当たるのは、一家の皆さんが新築の母屋に戻った新年のくだりぐらい。でも、全くそんなことはない。それだったら、仮設住宅が閉鎖される2015年の春、みんなで最後の支援に行った時のおばちゃんたちのつぶやきの方が、それに該当します。「もう会えねえがど思うどよ」。これをのっぺりした「共通語」に「通訳」しようとは思いませんでした。おばちゃんたちの人柄や優しさを、訛りに満ちたこれらの言葉は伝えるのです。
ズーズー弁の味わいと由緒正しさを、軽めにですが考えます。
1 フェイク
バラエティー番組は、滅多に見ない。でも何か月か前、テレ東だったかの「ありえへん世界SP」を見た。栃木と茨城の誇りだか名物だかの張り合いだ。こんなもの、蔑(さげす)みとユーモアの境目がせめぎ合うものなのだが、私の本籍地・栃木と育った茨城とあっては、見ないわけには行かなかった。
本題から外れるのだが、番組の演出上で作り上げられる「フェイク」を少し。以前、この番組だと思うが、千葉県柏の日没に合わせて流される「夕焼け小焼け」のこと。これを柏市民は「パンザマスト」と呼んでいるんだと。もう子どもたちは家に帰りなさいと流れる曲を、高いマストに付けられたスピーカーの名前で呼ぶ習慣なんだとか。誰かが言ったのを聞きつけて、インタビュアーが「そう答えてください」とお願いしたか、同調する市民を探したんだろう。柏市民の私は、あの放送が「パンザマスト」だなんぞとは、先生時代も今も聞いたことがない。まぁ、この日の番組の話にしよう。茨城か栃木か忘れたが、その県の児童は、朝の出席を取る時「はい」ではなく「元気です」というそうだ。この紹介があると、ディレクターの合図に合わせた、例の「えー!」という嬌声。なに言ってんだ。全国どこでもそうしてるよ。少なくとも小学校はそうだ。知ってるくせに。いま学校で、出席を「はい」で済ませるわけがない。朝、子どもが居るか居ないかを確認するだけでいいと? それで今の学校がすむわけがない。逆に先日、タブレットでは登園してるはず、なんていう確認があることを静岡の事件で知ったのではあるが、それはおいとこう。親が元気に子どもを送り出してるはずだとでも言うか? また言うが、熱が出たから親が引き取りに来いだと?仕事を何だと思ってるのか!と激怒する結構な親がいるこのご時世、学校は「無理して登校したのだな」ぐらいの確認は当然してますよ。要するに「元気です」は、茨城県や栃木県のことではない。
2 下野(しもつけ)上野(こうずけ)
「茨城ダッシュ」(信号無視)はフェイクっぼくも面白かったが、「茨城は『イバラギ』じゃない『イバラキ』なんです」と茨城出身のタレント?が抗議する。来たよやっぱり。ここの修正をしたくて、なぜか茨城県の行政も必死なんだよねえ。この濁点訛りは、茨城や栃木のいわゆる下野に特有のものだ。前に言ったが、茨城も「宮城」と同じに考えれば、濁点「ギ」にアンテナが立つこともなかったはずだ。「イバラギ」の「ギ」にある訛りをどうにかしたかった、それだけだ。U字工事の訛りは、下野のもので、同じ栃木でも、足利などいわゆる上野の上州弁となると消える。栃木出身のタレント?が「栃木人はU字工事のようにナマッてない」という発言は、栃木を愛するが故のものではない。だから「ふるさと訛りが……君を無口にしたね」(太田裕美『赤いハイヒール』)なる歴史は繰り返される。これも前に根拠と合わせて言ったが、茨城の「水海道」は「ミズカイドウ」ではない、正しいのは「ミツカイドウ」だ。では「イバラキ人」に聞きたい。福島との県境、「五浦」は「イツウラ」か? 違うよ。「イヅラ」だ。
3 ハハ=ファファ
柳田國男の「方言周圏論」をご存じと思う。方言の語や音などの要素が、文化の中心地から同心円状に広がるというもの。これをヒントに、松本清張は『砂の器』を書いたかと思う。東北訛りで話す「カメダカ」を探しに北上するが、答えは出雲にあったという謎解きだ。東北弁は京(みやこ)の言葉であることを、間接的に説いていた。
東北訛りは縄文人に始まっていたという。昔の日本人は、どのように発音・音韻をつかさどっていたのだろう。この辺りから、城生栢太郎(言語学)を参考に進める。まずは中世のなぞなぞである。
「母にはふたたび会いたれども父には一度も会わず」
とかけて何と解くか。答えは「唇」だ。「ハハ」とは唇が二回出会うが「チチ」とは出会わない。つまり、発音をめぐるなぞなぞである。「ハ」の発音をする時、これがいわゆる破裂音(呼吸を吐きながら唇を開く法)「ファ」だったことを意味する。それで「ハハ」は、二回唇が出会う。たとえば「ファッシリファンブァトンビファンズメ!」は、「走り幅跳び始め!」を意味する。これが奈良時代までさかのぼると「パ」になる。「パギャダマ」は「ハゲ頭」だった。
U字工事の登場は、方言の見直しや復活というものではないだろう。彼らがメディアに登場した時に発生するものには、共感と言うには不十分なものがある。彼らがお笑い芸人であることを、私たちもメディアも知っている。それはあくまで、笑っていいものなのである。U字工事もそれを知っている。このもたれ合いの意味するものはおそらく、ギャラと視聴率以外ではないように思える。これも「みんな違ってみんないい」という範疇に囲い込む、安っぽい流行りでしかないと思える。この安っぽさに乗ってたまるかという気概が、U字工事に見える気がするのが救いだ。
☆後記☆
言葉と言えば、先月のネットニュースだったと思いますが、どっかの私鉄ホームでの、
「痴漢はたくさんいらっしゃいます。〇号車が空いてますので、そちらに移動していただくようお願いします」
が猛烈な批判を浴びたというものです。この批判が「移動しないで痴漢にあったら自己責任か」というもんなのです。何それ?ってわが耳わが目を疑いました。違うでしょ。この「いらっしゃる」という奴じゃないんですかね! 痴漢さん、尊敬されてますよ~。堂々と痴漢しましょうって感じですかね。ついでに「素直に嬉しい」だの「嬉しい、のひと言です」だのってみんな横並びで……、なんだろねぇ。カッコ悪。せめて「うまく言えないですが」とか「まだ興奮してて」とか言えないのかねって感じですね。
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今日は10月21日。79年前の今日、神宮外苑で学徒出陣がありました。
「誰も笑ってなかった。泣いてたよ」
お祝いの儀式なんかじゃなかった、という意味です。母は目撃者だった。神宮外苑の、一体どこに母はいたのでしょう。もっと良く話を聞いておけばよかった。
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先週のこども食堂「うさぎとカメ」のワンシーン。準備中。書きたいことが満載なもので、次号で詳しく報告します。