実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

激励会 実戦教師塾通信九百四十七号

2025-01-17 11:31:10 | 子ども/学校

激励会

 ~<いま>と<ここ>~

 

 ☆初めに☆

お正月に隆の勝の激励会がありました。30歳の関取は、角界に入門して15年になるのです。中学校を卒業して以来ずっと、親元を離れつとめて来た仕事。いや、生業(なりわい)と言った方がいいですね。まだ薄暗いうちから土俵に入って、ひたすら身体に鞭打ってきた。一体何のために、と思うこともあったでしょう。今でこそ私も、勝った負けたで相撲を見なくなりました。ご本人がどのような思いでいるのか、少しは話を聞けた気がしています。

 

 ☆姉☆

以前も言ったように、私は隆の勝を受け持ってはいません。授業もわずか一週間に一回の「選択」教科だったかを、一年間見ただけだと思います。でも、長男では担任、そして次女の副担任をしたことが、隆の勝応援の強い動機となっているのは間違いない。それで私はいつも、隆の勝もあるけど家族を応援してる感じです、と言って来ました。どんなきっかけで隆の勝を応援に?と、テーブルを同じくした方から聞かれて、この話をしました。同じテーブルの皆さん、東京からいらしたそうで、はるばる大阪や九州まで応援で出かけるという「推し」の方々です。お向かいに座ったご夫婦は、なんと入門以来15年間、隆の勝を応援してるそうです。その方々が私の話に驚き興味を持った様子で、質問が続きました。そこに、話にあがっていた次女本人が登場。覚えていますか? ラーメンを大量に注文して学校に届けさせた不届きもの。コイツはどっしようもない奴でと紹介しながら思い出したのが、卒業の二日前だったか、女どもが3、4人で職員室に怒鳴り込んで来て、私の机を荒らしまわったという話。席上の方々に私は、コイツラらが遅刻したので家に電話しただけなんですが……と説明。でも、あとであの日のことを思い出しました。学校近くの駐車場から、車に石をぶつけている中学生がいる、という苦情の電話があったのが正確なところ。目撃した生徒だったか実況見分に行った教員の確認だったか忘れたけど、それで家庭に電話を入れた。んですな。そしたら、激怒して殴り込んで来たというわけ。私は授業に行ってて知らなかった。後で聞いたところによると、仲間のひとりのお母さんが「琴寄先生が心配してたよ」と言ったそうで、それで家に電話したのが私と判明。いま現在の本人は、笑いながら言うのです。

「だってベンさん(当時の私のあだ名)が家にチクるから」

当時の「テメエ、家にチクってんじゃねえよ!」と、言い方こそマイルドになったけど、同じかぁ?と思った私でした。まだありますが、ここに書けないようなこともありまして……。ま、皆さん喜んでくれたようで、良かった。

 

 ☆父親☆

お兄ちゃん入学後、初めての家庭訪問に行った時のこと。熱心な読者は覚えていることでしょう。案内された部屋に陳列された、おびただしいミニカー。お父さんのコレクションでした。今までたくさんの家庭を訪問をしましたが、子どもの話を全くしなかったのは、この一軒だけだったはず。でも、お父さんの人柄に触れられたこと、そして、今後ともよろしくお願いいたします、というのが正直な言葉だったことは確かです。この日もミニカーの話になって、終活のため大量に処分した話は、お父さんを驚かせました。実は手放せず何台か残しました。私が死んだらもらってくださいねという私の提案は、お父さんに引き継がれた、と思ってます。ちなみにお兄ちゃん、優しいスポーツマンでした。

 

 ☆隆の勝☆

話すチャンスが来ました。お久しぶりです、と笑ってくれました。まず、自分が強くなったわけは分かっているよね?とエラそうに。これを聞きたかった。分かってます、という答え。これで充分。

記念ショット。左が「分かっているよね?」と言った瞬間の写真だと思います。右は、センターはまずいよと遠慮したのですが、センターになっちまった写真。お姉ちゃんと隆の勝に挟まれて、緊張しました。

力士として、考えたり言ってはいけないこともあります。分かってるはずだからと、お姉ちゃんに言ったのですが、首をかしげてから、本人に直接言ってあげてと言われたので、言っておきました。駅近のレストランを一杯にしたファンからの質疑で、目指すのは玉鷲のような力士だという答え。長い間、でも、やっと続けているのではない、同じ技にみえて、身体能力が減少した中から繰り出すには、それまでとは別な修練がないと出来ない。そんな相撲取りを目指しているのでしょう。母親に感謝を伝えているかという質問の時には、母親にはもちろんのこと父親への感謝も忘れていない。今場所の勝ち星を今のところで言えば、確かにいいものではない。しかし、大切な内容に関しては、十分な手ごたえ。星勘定は、また別なこと。後半の取組を見守りたいと思います。

もう一枚📷! いい笑顔だ☺

 

 ☆後記☆

子ども食堂「うさぎとカメ」、明日となりました🍚 寒さもいよいよ本格的です。皆さん、飾り寿司でゲンを担いで、お汁粉であったまって下さいね✋ 通信37号、送りま~す💌

照ノ富士、残念。ありがとうございました。

 


向き合い方 実戦教師塾通信九百四十六号

2025-01-10 11:44:00 | 子ども/学校

向き合い方 野田正彰先生を訪ねる

 '24年末'25年始(5)~

 

 ☆初めに☆

今回の京都には、もうひとつの目的がありました。野田先生は京都在住、それはもう三千院や百万遍界隈です。いつでもいらっしゃいと言っていただけていたので、遠慮なくお邪魔しました。旭川のみならず、何回かの電話や手紙のやりとりのあと、まだ聴きたいことがあるというか、ますます興味や疑問が尽きなくなっていました。木のぬくもりたっぷりの自宅に押し掛けてから優に4時間、尽きなかった話の続きは再び手紙と電話に引き継がれています。

 

 1 理論ではないよ

 私の本を読んだ先生が、良くない点があると感想を語った。前から指摘を受けていた「子どもたち」という表記だ。危険とさえ言われた。一体、どうして「たち」という括り方をするのか。先生の姿勢は、恐らく「あなた対私」と向き合う態度だ。私なりに相手の息づかいを感じつつ、距離や接点を見出してきたつもりだ。一般化する時に必要な手続きは怠っていない、と思っている。同時に、広い場所から解決法やゆとりを得ることもある。例えば、と私はフロイトを例に挙げた。フロイトは「口唇期/肛門期」の発見によって、乳幼児にも性欲があることを解明した。それが「邪悪な」性欲という考え方を払拭することに寄与したはずで、自分自身をどす黒いと思っていた者たちの救いになったはずなのだ。先生はこの時、西欧よりもっと狭いカテゴリー、民族だったか人種というエリアからフロイトを説明したと思う。宗教性から来る強力なタブーを越えようと、押し出した思想だという。ところが日本の場合、神は「八百万の神」と言うが如く、どこにでもいる存在である。唯一神教など論外だ。そして、江戸は儒教を中心に道徳を説くのだが、庶民/社会の風俗は開放的だった。性的な世界は、いわゆるダブルスタンダード的なあり方をしていたと言える。それが吉原だよ、と先生は言った。私も春画を思い出した。そこには子どもも堂々と登場していたのである。

『春画の中の子どもたち』より

理論と言うけれど、患者の現実と向き合わずに病室に閉じ込め薬漬けにして来た学者・医者の「理論」など、議論の俎上に乗せる必要や価値など全くない/琴寄さんがホッとするわけは理論に対してではない、琴寄さんが見出したかったものを見つけてホッとしているだけで、それは理論の問題ではないのだ等々

先生の厳しい指摘は、年が明けても続いている。そして、前から言われていたことが、京都でも出された。

「どうして、小/中学校の先生になりたいと思ったのです?」

私は「子どもが好きだから」と答えて来たのだが、それだったら小児科のお医者さんでも良かったはず、違う理由があるはずだという。前述のことも、このことでも「もっと考えなさい」ということのようだ。

 

 2 誉れ高い老人

 先生のもとへ、色々な方が訪ねて来たという。映画監督では大林宣彦、是枝裕和など。一番興味深く面白かったのは、大島渚だったそうだ。私が一番驚いたのは、あの『夜と霧』の作者、ビクトール・フランクルだ。会ったのは1994年、ウィーンでだったのだが、うっかりものの私は、アウシュビッツを生き延びたフランクルが1990年代まで存命だったことを、忘れていた。いや、正確に言うと、フランクルが没するのは1997年、先生とは十分相まみえる人だったことに無自覚だったのである。先生はテレビの収録依頼を受けて、ロングインタビューをしたのである。今回は、そのインタビューの中でフランクルが語ったという、私が感銘を受けた部分を報告して終わります。

「過去とはすべてのことを永遠にしまっている金庫のようなものです。……死期が近づいている老人を憐れむのは間違っているのです。……確かに若い人には、これからという未来があります。年寄りにはそれがありません。しかし彼らには……若い時の可能性をすでに実現している……実現できなかった人もいますが、少なくとも誰もがその可能性を持っていたのです。誇りをもって、彼らはこうした過去を振り返ることが出来るのです」

ナチズムとソ連共産主義のヨーロッパを生きた、精神科医の言葉です。

 

 ☆後記☆

お昼は美味しい中華のお店でいただきました。信号無視や結構なスピード運転で、先生は免許返納すべしと私に言わせました。素敵な奥さんとのやり取りもほほえましく、亡くなった愛犬の話も弾みました。写真は、リビングです。

次なる写真は、二日前のもの。こんな姿もこれからは結構出て来そうです。白内障の手術、どうやら順調でした。頭がツルツルなのは、術後「しばらく頭を洗えません」と言われたのが理由です。晩年の石原莞爾って感じで、なんかいいかもって思ってます。このままツルツルでいるのもまんざらでもないと思ってます。ちなみに、メスが自分の目に入るのは見えませんでした。見えたのは、何か黒い影が動いてる感じだけです。痛みもなかったし、執刀する先生と話をしながら10分程で手術は終了。このブログ、片目で書きました。

そして、手術前に行った今年の初詣。いつもの広幡八幡でお願いしたのは、もちろん、健康祈願。

今年初の子ども食堂「うさぎとカメ」は、飾り寿司とお汁粉。寿司職人さんは、干支の「巳」をデザインしていま~す🐍 お汁粉で餅を頬張って、あったまって行きなさ~い♨ 今年もよろしく🎍

 

 


'24年末'25年始(4) 実戦教師塾通信九百四十五号

2025-01-03 11:30:38 | 旅行

'24年末'25年始(4)

 ~京都 三千院/下鴨神社~

 

 ☆初めに☆

今年もよろしくお願いします。干支は「巳」とくれば、縁起のいい「脱皮」です。オオタニさんの「脱臼」はともかく、「脱却」「洒脱(しゃだつ)」と、「脱」には味わいがあります。「脱力」を心掛けたいと思います。

前回のタイトルで抜かしました。「'24年末'25年始」を忘れてたので、今回は「4」となることをお断りします。久しぶりの京都です。そして、大原三千院は20年ぶりという感慨を持ちました。あの時は雪が舞う中、お参りをしました。相当に押し迫った頃合いだったらしく、道々の店はことごとく閉まっていて、境内に入れたものの建物の殆どで参拝は出来ませんでした。その点今回は、満喫できたと言えそうです。永六輔の『女ひとり』と歩きます。

 

 ☆大原三千院☆

~♬京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり♬~

漬物の売り子の「大事なものを通り過ぎましたよ~」の声が、参道に響きます。

~♬結城に塩瀬の素描の帯が 池の水面にゆれていた♬~

点てていただいたお茶に、羊羹がつきました。静かな時間に身を置いて、畳の上の赤敷きから庭を眺めます。

手水場。年季を語る、朽ちた縁側(手前の満ち欠けが縁側なんです)。水と空気に、何故か寒さが和らぎます。

~♬京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり♬~

寺が全ての扉・窓を開け放っておく流儀が、こんな寒さの中で特に強く感じられます。「冷蔵庫の要らない寒さ」という説明を読んで感嘆の声を挙げたら、炭火もないお坊さんが「この辺りは、昼間でも零下5度まで下がります」と反応してくれました。職人さんたちが、門松の準備に余念がありません🎍 私も頑張ります。

 

 ☆下鴨神社☆

世界遺産だとか。初めて行きました。京都は紅葉が未だ見ごたえ十分でした。特にここの紅葉が見事でした🍂

 

 ☆本殿☆

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が八咫烏(やたがらす)に変身して、神武天皇を助けたとする言い伝えが有名。国家国民の安穏と世界平和の守護神として、祀られているそうです。21年ごとの遷宮(建て替え)です。長い時間を経過したと思える佇(たたず)まいから、遷宮の時期は間近と思われました。

ここにあったのか、さざれ石。「巌となりて」大きく育つ石ですが、そんなことはありませんでした。鳥居の近くの休憩所で、ぜんざいとお茶。京都では、ほうじ茶が結構メインです。鴨長明の方丈庵が見つからなかったのが残念。

  ☆御所・加茂川☆

ついでに、市中を流れる加茂川。そして、御所の蛤門。おびただしい銃痕は、うまく写ってないですね。

南座も、やっぱり載せときます。

 

 ☆後記☆

昨日、ブログを仕上げようとした時の驚きは、まさにフリーズ!って感じでした。だから、システム障害と知った時の安堵も、半端ないって感じ。自社ネットをハッキングされたグーグルが広報するためには、別会社を頼るしかないんですねぇ。いやぁ、それらも全部やられた時のことなんかも考えておかないといけないんですねぇ。

何回も食べた年越しそばですが、今年(去年?)も酉は尾張屋。天ぷらそば🦐 茄子の田楽とそば豆腐。八海山🍶

本年もよろしくお願いいたします🎍


グラフィティ 実戦教師塾通信九百四十四号

2024-12-27 11:32:14 | 子ども/学校

グラフィティ

~MerryXmas🎅❕ 「うさぎとカメ」~

 

 ☆初めに☆

無料フリーマーケットに、今年も多くの皆さんが駆け付けてくれました。たくさんの笑顔と感謝の言葉を子どもたちからももらって、幸せな一日でした。今回の通信は、このイベントの写真オンパレードとします。ご一緒にどうぞ👍

 

 ☆年の瀬・青空☆

並べる・下げるのが大変。でも、楽しい。丁寧な手作りのミトンを作って、この日を待ってたおばあちゃん🤩

 

 ☆どうぞ! え~と……☆

りっばなリンゴ🍎 風にそよぐお洒落なバッグ👜 迷え、みんな。おもちゃ&お人形は待ってるよ✋

 

 ☆MerryXmas🦌❤☆

湯気の上がる牛丼🍚 雑貨もまだまだ余裕あり👊

 

 ☆後記☆

今年も残すところ、あと四日ですね。大変な年明けに、夏の猛暑🌞は見境のない勢いで、原発は必要&クリーン⁉という声が大きくなったり、苛立ったり悔しかったりしました でも、被団協のノーベル賞受賞や袴田さんの無罪判決など、いいニュースもありましたよ🙌 そして、オオタニさん🥎の信じられない活躍や、揺るぎない日々を過ごす藤井七冠☖など、たくさん元気をもらえた一年ですね🚀

被団協の受賞に関連して原爆の記事を書くつもりだったし、宇都宮での「今市事件・守る会総会」の報告も、そして、谷川俊太郎のこともまだ書いてません。来年に繰り越すこととします。でも、書きたいことが一杯あるということは、それだけで幸せなことなんだと思います❤ あと、少しお知らせしておきます。年明けすぐ白内障の手術があります。手術は、バイク事故以来で40年ぶりでしょうか。一か月ほど不便をするみたいですが、仕方ない。ブログの更新には影響ないと思います 手術の三日後にこども食堂があるのが、唯一心配なことかな とにかく健康に留意して、来年も元気に頑張りま~す👊 今年もありがとうございました どうぞ皆さん、よいお年を


'24年末'25年始(2) 実戦教師塾通信九百四十三号

2024-12-20 11:31:16 | 福島からの報告

'24年末'25年始(2)

 ~福島から・下「珠洲原発」~

 

 ☆珠洲原発☆

楢葉町・宝鏡寺/伝言館からの眺め。葉を落とした樹木と紅葉からのぞいて見える、常磐高速と収穫を終えた田んぼ。

伝言館入口では、2年前逝去した早川住職が、今回の被団協ノーベル平和賞受賞を祝っていました。

あと十日で、能登半島地震から一年です。伝言館に隣接する平和館のパネル展は、住民の力で勝ち取った珠洲原発建設撤回までの経過が展示されていました。志賀原発が重大事態となっていたら、珠洲地区が逃げるのは海しかなかった。

何より、今回の地震(マグニチュード7,6)の震源地が、珠洲原発立地計画があった珠洲市だった。住民の気持ちは「阻止して良かった! 珠洲原発」となるのです。ここはパンフの年表から振り返ります。

1975年 市議会で「原子力施設設置適地可否調査」の要望を決議

**建設計画の段階から一貫して「反対」を貫いたのは、珠洲市円龍寺・塚本真如住職

1983年 それまで原発建設を静観、火力発電推進としていた市長が原発推進にかじ取りを変える

**この前に、北陸電力が火力発電立地見送りを発表(また、宴会や接待旅行が繰り返された)

1986年 市議会が原発誘致決議

1987年 反原発候補が市議会に当選。二年後「止めよう原発!」市民の会結成

1991年 統一選挙。県議に反原発派当選。珠洲市議会選挙では、反原発議員が4名に増える

1994年 石川県知事選挙。自民党推薦候補を、非自民候補が破る

1996年 3年前の市長選挙が不正という地裁判決の結果、やり直し市長選挙が敢行。推進派が当選。

選挙翌日、あからさまな役所ぐるみの推進派応援の挙句、市長助役が選挙違反で逮捕。

1997年 動燃再処理工場で火災爆発事故

2003年 中部電力・北陸電力・関西電力の三社が、珠洲原発計画を凍結すると発表

反対運動の中、涙ながら「珠洲に原発が建ったら、私は故郷を捨てます」という女子高生の訴えも、胸に響きました。安斎育郎先生には、また会えませんでしたが、パネルの感想を伝えると喜んでくれました。

 

 ☆「のらっこ」☆

 「のらっこ」には、この日も元気で安い野菜たちが待ってました。ひと束100円!一個100円!という信じられないネギやキャベツ。生産者から直接供給される場所だから出来るのです。

あの元気なおばちゃんに、久しぶりに会えました。来年も頑張って下さいという私にニッコリ笑いながら、ここが残ってればね、と言う。私たちばかりでなく、生産者も高齢になったしね、という言葉に戸惑いました。聞けば、震災前からあった、生産者の組合の作ったものだという。経営者が町になって色々制約が出て来たんだけど、今は公社運営になったから自由になったんだけどねと……ますます私は返す言葉を探すことになりました。広報の航空写真に「のらっこ」の屋根が写っていたことを思い出した。写ってた? ここをトイレだと思ってくる人が結構いてね、それで書いてもらったのよ。再び笑顔が戻りました。「あたしたちも頑張るよ」を思い出しました。外は抜けるような青空。

 

 ☆後記☆

北九州の事件、どうやら容疑者は捕まったようです。きっと、亡くなった子の友人なのでしょう、「『(犯人は捕まったから)安心してください』と伝えました」とマック店頭のインタビューに応える、涙声が切なかった。「二度とこんな事件は起きて欲しくない」という声に冷たいものを感じるのは、私だけでしょうか。昨日は、千葉県柏市・高柳での事件で驚きました。火事にも関連してると言います。高柳中に、仲間がふたりいます。出勤途中は大渋滞で、着いてみたらパトロールする警察や教職員にたくさん出会ったと驚いてました。

 ☆☆

さあ、話題を変えます。二学期もあと一日を残すばかり🏫 もうこっちのもんだ~い👊 一年で一番一番、楽しみな冬休み♨ 明日は私たちからのささやかなXmas🎅プレゼント👐❕ みんな子ども食堂「うさぎとカメ」に集まれ👪 男の子も女の子も、大人も子どもも、老人も若者も、黒も白も黄色も赤も👭❕(ジョンレノン)🌲