実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

筋肉 実戦教師塾通信九百二十七号

2024-08-30 11:39:26 | 武道

筋肉

 ~修練と節制~

 

 ☆初めに☆

今日は身体の話。カテゴリーは久しぶりに「武道」です。ビギナー編ですが、大切なことです。

いつも断ってるように、それほど通ってないけれど、ご贔屓の和食処「和さび」で夏を味わいました。ついこの間、何故か脂の乗っている戻りガツオが上がったという話や、メヒカリのから揚げを肴にビールでのどを潤しました。

  谷中生姜の肉巻きフライ!     夏はビールに、これです!

大将&女将さんとの間で、いつの間にか話し込んだのが「筋肉」のことです。逆らってはいけない、でも大事にし過ぎてもいけない自分の身体。私が今でも無事に居ながら得ていることに感謝すると同時に、今までに至る間の幸運と努力は書き留めておいてもいいなと思ったのです。これからも身体の変化に対応して行きたいと感じた次第です。

 1 筋肉

 ここのところ、知り合いが立て続けに脊柱管狭窄症の手術をした。私は手術に反対したのだが、大体が踏み切ったのである。この病気と十年を越える付き合いを続けるベテランの私ではあるが、初めの頃は、この苦しみから逃れられるならと、何度か手術も考えた。でも、脊柱管狭窄症の手術をした人で、直ったという話を聞いたことがないという、療法士や友人の話を聞いて思いとどまった。医者(整形外科医)の処方は、どうせ決まっている。痛み止めの薬・湿布、そして手術。以上だ。初めに(知り合いに)連れていかれた医者のひと言が、今でも役に立っている。

「あなたの筋肉なら何とかなります」

「治る」と言われたはずだが、「この病気と付き合って行けます」という意味あいだったと思う。この「筋肉」が意味することを、未だに吟味している。以前は、骨や関節を筋肉で固め守ってしまう、程度の理解でいた。若いうちはそれでいいが、そうは行かなくなる。加齢に伴う痛みは、若さの喪失が原因だ。例をあげれば、事故などで骨折した場所が老後に疼きだす。それまでカバーしていた筋肉が衰えて、骨や関節が痛み出すのだ。だから筋肉をもとに戻せばいいのだが、高齢となった体には、以前のような復旧が困難となっている。それで医者は「手術」という。しかし、骨折経験者ならご存じだが、骨折治療中、筋肉は固く細くなり、かつての姿は見る影もなくなる。これをリハビリで戻していく。若い時だったら、細い枝のように固くなった手足も、何か月かあれば回復する。しかし、話題にした脊柱管狭窄症の手術をしたらどうなるのか。多くは高齢者だ。手術後は数か月安静にするが、その間、体幹(腰)部分の筋肉が衰え固くなる。術後に「全く動けなくなった」というのは道理だ。リハビリも、若い時のようなわけには行かない。ミリ単位で可動域を拡げ、グラム単位で負荷を増やして行く。しかもそれは、一日にしてならず。月単位での根気のいる作業だ。その道筋を示している医者がどれだけいるのだろう。「とりあえず痛みを取り除きます、動けなくなるけどね」とは絶対言わない。内視鏡による手術は、すぐのリハビリを勧めるというのだが、一般の手術では数か月の安静が要る。老人の身体は、その間に別人の身体となる。医者は「動けなくなったけど、手術は成功した」とかいう迷妄を、ぬけぬけと言う。ここは、手術後にやるものを、手術せずに行う。普通は激痛としびれで出来ないが、整体や針灸などで痛みを緩和して行う。この適切な理学療法士を見つけるのが大変なのだ。相手がヤブだろうが名医だろうが、自分に合う治療かどうかは別だからだ。個人的資質・事情が絡むからだ。自分の耳と足で確かめる以外にない。

 2 体重

 若い時と違うものがまだある。体重。飲み会の後、体重を計ると3キロも増えてたりする。若い時は、翌日断食すれば戻った。これが40代後半ぐらいから変わる。断食しても容易に体重は戻らず、しかも体調を崩す。気まぐれで不健康な断食が身体にいいはずがない。加齢に伴い、荒療治が不可能になったのである。この身体の変化に気づいて運動を増やしたものの、まず効果はない。8枚切り食パン1枚のカロリーが、ジョギング2キロ分⁉と、目を丸くする。基礎代謝が落ちた、要するに、食べたものが、骨や血や筋肉にならない年齢となったのである。食べる量を減らすしかない。それは心身のストレスにならないよう、たまに「ご褒美」も入れて時間をかけて少しずつ。それでやっと「新たな食習慣」となる。自堕落な(酒に飲まれ食べ物に食べられる)状態から、これ以上食べて(飲んで)も美味しくないナと気づく。そしてついに、腹八分で「ご馳走さまでした」が出来るようになる。

 3 重心

 最後に入門レベルだが、無駄のない&無理ない身体の使い方を考えてみよう。これも若いうちは気づかず、無理な身体の使い方をする。それで何とかなってしまう。無理が禁物であることを念頭において、人間が持っている重心やバランスとのやり繰りで、まだ出来ることはある。へたっぴな作図ですが、ご容赦ください。

重い荷物を持ち上げようとしている。膝を使って持ち上げる左が正解。対して右は、これから上体を起こして荷物を持ち上げようという。身体と荷物両者が作る重心は、左側は太ももあたりにあり、右側はほぼ荷物側にある。どちらも最終的に、身体の重心(腰)周辺に荷物は納まる。しかし右側は、収まる前に身体が悲鳴を上げる。大変な腕力が必要なだけではない。すべての重量を引き受ける腰に尋常でない負荷がかかる。自分の上体(30~50キロ)も負荷となっているので、体調が悪ければ荷物がなくても同じことが起きる。武術に話を移すと、相手と自分の間にある重心を見極めることが大切なことは、以前にも書いた。相手との間にある重心を向こう側に移すか自分に引き寄せれば、相手は動きを制されるか倒れる。生活習慣と身体操法を考えてみたい。

 

 ☆後記☆

ということで、今回はイントロ。今回の事例は、誰もが経験&工夫をしていると思います。さて、明後日は代々木体育館において、山口剛史先生率いる剛柔流空手の全国大会があるのです。その報告と共に、今回の捕捉をします。ぜひやってみてください。痩せぎすの武術家が、マッチョな相手に引けを取らない理由の一端も、ここにあるのです。

って言っても。いやぁ、その全国大会も、台風次第なんですよねえ。どうか、海の彼方に行ってくれ~🌀

 ☆☆

そしてとうとう、明日で8月も終わり。夏休み終わってしまいますねぇ。なんてこった。以前は、夏休みが終わる一週間前ぐらいになると、むせ返るぐらい身体中にエネルギーが充満したのですが、最近は違います。体育祭が9月に開催されなくなったからです。って言うと、オマエは体育祭がどうなろうと関係ねえだろ、といわれそうですが、やっぱり違うんですよ。中学校では一番無くてはならない行事なのに!と、未だに思うのです。それが10月開催という学校や、春に開催する学校が増えた。大体が縮小傾向。猛暑が元凶です。そこにコロナが追い打ちをかけた。9月に体育祭のない学校なんて、クリープを入れないコーヒーみたい、って分かる人は少ないことでしょうネ😢


夏旅Ⅱ 実戦教師塾通信九百二十六号

2024-08-23 11:37:27 | 旅行

夏旅Ⅱ

 ~下・谷川岳~

 

 ☆谷川岳・一の倉沢☆

谷川岳、山人には憧れの山と聞いてます。近くまで行って納得、という感じです。山頂を目指す人たちが、入山前の登録手続きをしていました。こちとら、レンタサイクルだったのであります。あちこちに「クマに注意」という看板。歩く人たちは、みんな大きな鈴をぶら下げてました。写真撮影にうってつけと思えそうなポイントでは、ひとり旅なのでしょう、女の方がスマホを三脚に据え、谷川岳をバックに万歳ポーズをとってました。家族連れの姿も。

反対方向を向けば、一の倉沢。自転車で来れるのはここまで。軽装の外国の人が先へとチャレンジしていましたが、すぐに戻って来ました。その中の女の人が、にこやかにYeah!と声を掛けて来ます。

 ☆モグラ駅☆

バスを待ってるところ。向こうに見える、三角の屋根が「土合(どあい)駅」です。「関東百選の駅」として有名で、最初は単なる停車場だったのが、冬場にスキー客の臨時駅になると正式な「駅」に昇格する。1960年代後半にこのエリアの上越線が複線化され、下りのホームが出来る。そのホームまでは、上り線の駅からトンネルを歩かないといけない。土合駅が「モグラ駅」と呼ばれる所以です。無人駅なので切符は置いて出るのですが、忘れました。

バスに乗り遅れるので止めましたが、真っ暗なトンネルを10分程降りると下り線のホームがあるという。こちらを誘うような暗がりは、凄味があって吸い込まれるようなのです。小さな子連れの家族は、降りて行きました。

 ☆宝川温泉☆

土合駅からバスに乗って向かったのが、宝川温泉。秘湯と呼ばれる温泉まで、バスは狭い道を小一時間ほど走ります。山の中に落とされちゃうと思うぐらいに、バスは斜めになりながらカーブをさばくのです。ゆっくり走れば、眺めがいいんですがね。やがて、秘湯らしき景色が見えて来ます。山中の大露天風呂がありそうな、使い込んだ道と建物。

さて、お風呂です。写真に撮れないのが残念ですが、宝川温泉の写真を一度でも見た人は分かると思います。川の中にあると言ってもいい露天風呂は、全部合わせれば百畳と言われるほどの広さです。男女ともに湯あみを着て、同じお風呂に入れます。川のせせらぎと蝉しぐれの中、とっぷりと漬かって疲れをとるのです。極楽極楽……生きてて良かった。

と、いや実は、あえて正直なところをレポートいたします。皆さん、夏の宝川温泉はお勧めできません。アブがすごい。ホントに。タオルをヌンチャクのごとく振り回せば、何匹か湯の中に墜落し残りも退散する。でも、それも一瞬で、相手はますます戦闘意欲を掻き立てられる様子。三カ所ほど刺されてしまった。楽しみにしていた露天風呂ですが、遠い離れに戻って小さ目の内湯に落ち着きました。以前、同じく夏に行ったことのある人に聞いたら、アブはそれほどでなかったそうです。きっと暑さが変わったせいなのでしょうね。夏以外に来れば、きっと素晴らしいんです。

見えませんが、左の魚はイワナを焼いたもの。夏野菜の豆乳鍋もあります。あとから出て来た天ぷらも良かったけれど、何よりなのが白いご飯。柔らかく立ってる米が、口の中でもちもちするのです🍚 ご馳走様でした☺

 

 ☆後記☆

読む本の傾向が、ここ二週間ほど違うなと思って考えたら、どうも終戦ウィークのせいみたいです。レーニンや石原莞爾(かんじ)はもとより、松田道雄などを読み返すと思わず熱くなってしまうのです。両親(と言っても父親とは不可能だったことなのですが)に、もっと色々聞いとくんだったと思います。今年のお盆も過ぎました。

 ☆☆

台風や、それに伴い近隣センターがいっとき避難所になったり、今回の「うさぎとカメ」はどうなるんだろうと思いましたが、利用者の皆さん、台風あとの猛暑の中をたくさん来てくれました。今回のしょうが焼きは成功。薄切り肉よりも、厚みのある肉を使ったことが良かった。「もう一枚!」と言われて、嬉しい☺ ありがとうございました✋

ただ今奮闘中🔥 向こうがしょうが焼き。こちらは夏野菜のソテー🍳

 


夏旅 実戦教師塾通信九百二十五号

2024-08-16 11:22:51 | 旅行

夏旅

 ~上・アルプの里~

 

 ☆初めに☆

今年も命の洗濯。猛暑を逃れ、温泉に浸かりました。申し訳ないけど気分がいい、そんな気分で過ごして来ました♨

これに乗ったわけではないけど、上野は同じホームに入って来ました。いざ、出発🚄

 ☆アルプの里☆

「雲の上の花畑」というらしく、匂いたつ空気と緑の中に、アルプの里はあります。東洋最大級とか言われる百人以上を乗せる大型ロープウェイは、通勤ラッシュを思わせる状態で、車内はむせ返る暑さでした。窓の外は、乗客のすき間からやっと見える感じ。写真がロープウェイと越後山脈、ですが、実は案内パンフレットのものです。この写真を撮ろうと思うとロープウェイに乗れない。なので、拝借しました。でも、これも夏のものです。

私がロープウェイの中から撮ったのはこれ。眼下に湯沢の町が拡がります🏔 雲が結構かかってますが、切れたと思うと低く垂れこめたり、女心と何とやらのたとえのようです。そして、下山して再び下に戻った時のことですが、叩きつけるような土砂降りがやって来て、スゴイスゴイ。50年ぶり?の雨宿りをしました☂

車内の混雑から解放され、寒いくらいの外気がやって来ました。道沿いのマリーゴールドを過ぎると、一面のコキア🌲

坂を下っていくと、ゲストハウスの向こうにリフトが待ってます。ここにサマーボブスレーなる屋外アトラクションがあります。写真に取れませんでしたので、また案内を拝借。全長700mに及ぶコースは結構な斜面で、大の大人が歓声を上げるのは、楽しいばかりではなく恐怖もあるらしい。黄色い子どもの声と共に、山間でこだまします⛷

リフトに乗って更に上った時、びっくりすることがありました。そこで食事中の鹿親子とすれ違ったのです。そして何と、小鹿と目が合いました。こっちを見上げる可愛らしい目は、何を思うのでしょう💛

高原入口のモニュメント。本を読んだら素敵だろうなという感じもありますが、あくまでもモニュメント。

涼しい中をゆっくりと。こういうところに来ると、気持ちいい!という声と、挨拶が自然に出てしまいます。

でも、いよいよ雲行きが怪しくなってきて、というより雲の中って感じになって来まして、ゆっくりしたいのを我慢して下山することにしました。残念だけど、仕方ない。

宿で大きなお風呂に漬かって、晩御飯。コースでした。みんな美味しかったのですが、一番心に残ったのはオードブルで、サーモンを分厚く切ったやつ🐡 手前に見える白いムースっぽいのは、発酵バターだそうです。

向こうに見えるビールの小瓶ですが、酒蔵・八海山製作の酒麹使用ビール🍺 美味しいけど、日本酒ですね🍶

ご馳走様でした! 温泉♨ アルプの里、ありがとう☺

 

 ☆後記☆

台風、どうなることやら。夜中、スゴイ雨の音で目が覚めました。また、明日の子ども食堂「うさぎとカメ」も、すでに影響出てます。今日のみちの駅からの寄付は中止となりました。それより、農家の方々の被害が心配です。買い出しもまだ行けてないって感じです。もちろん、生姜焼きと夏野菜の副菜はバッチリやります。お待ちしてま~す✋

明日発行の通信『もしもしカメよ』№32で~す👪


読書特集 '24(2) 実戦教師塾通信九百二十四号

2024-08-09 11:39:42 | 思想/哲学

読書特集 '24(2)

 

 

☆『傲慢と善良』辻村深月 2022年 朝日文庫☆

「売れてる本」と「読まれてる本」は違うと、何度か書いた。「売れてる本」を買って大体は失敗するが、これは違っていた。数ページ読んで、勘繰りの強い私は、この事件の概要をつかんだように思った。それはあらかた間違ってなかった。しかし、「架(かける)君、私を助けて」という恋人真実(まみ)の声は、ストーカー絡みとは別な深いところから出ていたのである。そこまでは分からなかった。例えば経験上の話。愛する家族を失った時に「どうして〇〇しなかったのか」「どうしてあんなことを言ってしまったのか」という取り返しのつかない思いに私たちはとらわれる。これは、愛する者への懺悔である。しかしそれだけではない。これは自分の不完全さへの未練、つまり「ナルシシズム」の裏返しとも言える。この懺悔を「善良」に、そしてナルシシズムを「傲慢」と置き換えれば、この作品のコンセプトが見えて来る。そんな人間の性(さが)が、作品にはたくさん散りばめられている。ふたりが遭遇する事件に、多くの人間が現れる。それらのひとりひとりの発する言葉は、胸を抉(えぐ)るようだ。しかし、読んだものの多くも、同じ思いにとらわれるに違いない。的を得ている、他人ごとではないと思えるはずだ。

「だって、悪意とかそういうのは……巻き込まれて……悟るものじゃない? 教えてもらえなかったって思うこと自体がナンセンスだよ」/「あの子は……自分のこと、大好きだもん。……自己評価は低いくせに、自己愛が半端ない」/私が……見下すように「相手として見られない」と思った誰もが、私なんかと結婚しなくて……正解だった。

謎解きの苦行は、同時に「覚醒」への道でもあった。何故か、分岐点・転回点は東日本大震災、正確には震災後の東北である。物語は急速に、それまでと別なかじ取りをする。そこで学んだものが、解答(と、私は思っている)へ導く。「あの人たちのことが、大嫌い」という解答である。そこには「善良」と違う場所があった。

 

☆『狼煙を見よ』松下竜一 2017年 河出書房新社☆

今年が明けて、指名手配の桐島聡が見つかったと思う間もなく、亡くなった。桐島レポートのブログを読んだ出版社の編集者から、松下竜一の『狼煙を見よ』を勧められた。今回の読書特集『豆腐屋の四季』の著者だ。『豆腐屋……』発表によって、名もなく貧しく美しく生きる、今どき珍しい青年として松下は巷から絶賛される。人々が松下をこき下ろすようになったのは、地元・大分の大型プロジェクトに、松下が先頭切って反対運動を始めてからだ。松下は、これを機に「市民の敵」と呼ばれるようになる。桐島レポートを読んでない人のために繰り返すと、70年安保闘争後に立ち上げられたのが「反日武装戦線」であり、その一翼を担ったのが「狼」グループである。1974年の三菱重工ビル爆破は、この「狼」が実行した。あの頃を振り返っておく。全共闘運動という場所にいたものは、学費値上げ反対や寮の自治要求など、いわゆる「民主化」路線を歩む。その一方で、激化していたベトナム戦争に反対する戦いも展開していた。私たちは生活上のものと世界(反戦)を、同時に手に入れようとしていたように思う。しかし、2年も遅く入学したものには、すでに「世界」の方しか残されていなかったのではないだろうか。頭でっかちで、むやみに「階級」や「革命」を言いたがる後輩に、ずい分手を焼いた。爆弾闘争の主張にも、同じものを感じた。だが、「狼」の大道寺将司は違った。北海道に生まれた大道寺は、遭遇する事件ばかりでなく親族にも触発されている。1948年生まれ。同期だ。松下とつながるのは、獄中の大導寺が出した手紙がきっかけだ。『豆腐屋……』が、収監中の政治犯の中で小さなブームとなっていた。二年後、この書の元となる作品が、季刊『文芸』に発表される。大道寺の迷いを押し切ってのことだ。そこには、息子の逮捕をテレビで知り、「狼」の存在を初めて知った両親の驚き。メディアの取材攻撃、警察の動向などが、これでもかと克明に描かれる。逮捕された時の様子で、息子の覚悟を知った両親は、

「命を懸けていたあの子の気持ちを分かってください」

と訴えるのだ。ビル爆破で惨禍にあった被害者に、だ。東アジア反日武装戦線立ちあげから爆弾製造・実験へと、レポートは細部にわたる。究極とも言える、天皇爆死をねらった「虹」作戦の自供場面は、本人の口述であることを確かめずにはおられまい。ビル爆破について「狼」は失敗と断じる。直接関係のない人々を巻き添えにしたからだ。しかし、この戦い自身は正しいという犯行声明を提出。「これからも我々は爆弾闘争を貫く」という文面は、無原則の極北と言える。松下や松下の『豆腐屋の四季』と出会うことによって、この「無原則な原則」が次第に変わっていく。

 

☆『老いの深み』黒井千次 2024年 中公新書☆

忘れもしない35年前、茨城の私立高を受験した生徒が入試問題を持って帰って来た。そこには黒井千次の『春の道標』が、問題文として抜粋されていた。ひた向きで危なっかしい心が、みずみずしい文体の上にあった。ここから始まって、黒井千次の作品を何冊か読むこととなった。黒井の作品には、どうやっても抗えないものと、そのあとにやって来る悔いがいつもあった。その黒井千次が現在92歳だという。調べてみると、『春の道標』発行は1984年だった。その時作者は52歳。それから40年。『老い』シリーズの三巻目だ。黒井の作品に必ず登場する「抗いがたいもの」は、ここでは「老い」ということになる。しかし、もうひとつの「後悔」は、このシリーズにはない。扉の「必要以上に若く元気でいたいとは思わない。かといって慌てて店仕舞いする気もない」のが基本的スタンスだからだ。しかし、作者の「言い訳」「強がり」「負け惜しみ」「負けず嫌い」は紛れもない。それでも、この本を読んだ後味は悪くない。作者が、自分のみっともなさをどこかで分かっているからだ。たまたま散歩で一緒になった老婆を、ついに追い抜くことが出来なかった。「でも、抜かれなかった」と言ったあと、「それは、老婆が初めから前にいたからだ」と述懐する。このしょうもない煩悶を「かわいらしさ」として、私たちはとらえる。スイカを忘れた黒井が、券売機で切符を買えずに困った経験では、ついに購入「成功」のあげく、それなら領収書を発行しろと機械に注文。切符よりはるかに立派な領収書を手に入れたことが愉快で、大切に保管するのだ。老いさらばえた男の話ではない。通信機器はファクスを最後に、黒井は現在を「旅」している。悲嘆にくれることはない、と自分を奮い立たせて旅をしている。「老化管理人」から、居眠りは怠慢や逃避を原因とする行為ではないかと言われる。行為の底にある気の緩みが問題だと思う管理人の空気がある。仮眠なら、毛布やひざ掛け等を用意してからするがいい、という圧がある。しかし、

「居眠りとは、これから居眠りしよう、と決心して実行するような行為ではあるまい。他のことをしているうちに、座ったままつい眠ってしまうのが居眠りの在り方である」

老いに備えて読むものではない。周囲と自分の距離や対処を見通す、それを「旅」へと高める本なのだ。

 

☆後記☆

原爆祈念式典のあり方が分かれました。長崎の式典に、市長はイスラエルを招待しなかった。広島はそうではなかったのかとか、長崎市長のあり方を「英断」としたり、原爆を政治的問題にするなとか、様々な思惑が駆け巡っています。でも一番は、今回の展開が全く思いもかけないものだった、そう言えばこんなことがあり得るんだというものではなかったでしょうか。広島の式典にロシアが招待されない一方で、イスラエルが招待されていた実情など、私たちの視界からすっぽり抜け落ちていたはずです。だからこそ、長崎の式典に「イスラエル招待せず」を知って、驚いたのです。オリンピックでは両国の参加を巡って、話題にこと欠かなかったというのに……。長崎市の判断について、林内閣官房長官は「市の判断であり、国が関与するものではない」と、全く煮え切らない記者会見でした(ちなみに野党は、全くインポッシブルな見解)。でも、ユダヤ人虐殺に加担した歴史を持つ欧州からすれば、長官発言は許し難いものだったはずです。これらのことを前にして思います。日本はアメリカに謝罪を要求したことはない。今まで繰り返して来たのは、原爆を二度と使ってはいけない、そのためにも製造・開発は止めねばならない、という一点なのです。79年前の今日は11時2分、長崎の上空で原爆がさく裂しました。鈴木市長の思いが通じますように。

 ☆☆

火曜の深夜、TOKYO MXで配信中の『メシを食らひて華と告ぐ』、見てますか。仲村トオル主演の食べドラマ。いつも同じ流れに沿って、12分のドラマが完結していきます。深夜ですから、私は見のがし配信で見ています。久々の仲村トオルを、これを見たかったという仲村トオルを観ています。なんでも演れる俳優なんかにならなくていいから、とつぶやきながら観ています。お勧めです👍


読書特集 '24(1) 実戦教師塾通信九百二十三号

2024-08-02 11:31:11 | 思想/哲学

読書特集 '24(1)

 

 ☆初めに☆

今年も読書特集の季節となりました。今年は字数を気にせず書くことにします。二回に分けて書きます。発行年に古いものが今年もありますが、それぞれに理由があります。あと、ずい分芥川賞を紹介してない気がします。一応読んでるのですが、石原慎太郎を気どるわけではないけど、どんどんつまらなくなってませんか? 全部は読んでないので、中には面白いものもあるかもしれませんし、自分の嗜好のせいでもあるのでしょう。とにかく、「売れてる本」と「読まれてる本」は違います。最近(でもないけど)の芥川賞で今も面白かったと思うのは、又吉の『火花』。それも前半。ぐらいしか思い出せません。とりあえず、今年のお勧め本。字数多いですが、ゆっくり読んでください。

 

☆『腹を空かせた勇者ども』金原ひとみ 2023年 河出書房新社☆

その芥川賞作家である金原ひとみに、相変わらず手こずっている、というか取りつかれている。「どうせ殺されるなら、母としての生きにくさではなく、幼い頃から慣れ親しんだ……生きにくさから殺されたかった」(朝日新聞インタビュー)と言って、育児と母親らしさの悶絶の中、金原は「小説を読むことと書くこと」(同)で、ようやく生き延びている。昨年の読書特集の『アタラクシア』に続き『パリの砂漠、東京の蜃気楼』をやっとの思いで読み終えた。と思う間もなく、本書が出された。実はこれが、今までの金原の作品と様子が違う。もともと金原の小説には、持て余し気味の自分自身を誰かに、あるいは登場人物全員のどこかに設定している。対談(月刊『ユリイカ』)でも、今回の『腹を空かせた……』子どもたちの設定上に、我が子がいることを示唆している。「子どもに向いてない子っているんだよ」(同)と父親(金原瑞人)から言われて覚醒した?金原の別なペルソナが、長女との色も中身も濃い会話を成立させている。不可解さでは際限のない夫婦の下で、長女はたくましい。また、長女を取り巻く友人たちの豪快さは、古くは「親はいなくとも子は育つ」を思い出させるし、同じく、「子どもはみんな分かってる」ことを再確認させる。

ウチのお母さんババアオブババア、とか、お父さんの寝起きの臭いまじこの世の終わり……お母さんはお父さんとお姉ちゃんに対する怒りをまとめて潰して団子にして私に「勉強しろ」って言葉にして投げつけてるんだよまあ私そんなん美味しく食っちゃうけどね、とか……感心してしまう/「てか、会えないよ。……私は陰性だったけど、コロナ陽性の人の濃厚接触者……だよ?」……「私はベンチにも入んないから……私ら失うものはないわけ」「だからって……。もし何かあっても責任取れないし」「責任って、お前は大人か! 早くおいで! マックね!」/人って皆同じ考え方だったら楽なのになー、とめんどくさくなって言ったら「そうしたら恋愛も友情もなくなって、自己愛と自己嫌悪しかなくなるね」とママはちょっと愉快そうに言った。……別にそんな極端な話をしたかったわけじゃないんだけどとムッとしながら、私はママの言葉を無視した。

 

☆『九条の大罪』真鍋昌平 2021年~ 小学館☆

漫画です。本屋のコミックコーナーに並んでいた。憲法九条がいかに罪深いものか、という趣味の悪い本かと思った。でも、そういう本でも読まないといけないと思って買った。全く違った。正体不明の「九条」という弁護士の話だった。絶望と出口の見えない展開に、次でもう買うのはやめようと思いつつ、8巻まで読んでしまった(現在11巻刊行中)。酒酔い運転でゲームをして人をひいて逃げた男の弁護を引き受けるところから物語は始まる。

スマホは証拠の宝庫だ置いていけ/警察にスマホ出すように言われたらなくしたと言う/酒が抜けてから出頭する/弁護士と出頭なので自首は成立する/何かにぶつかったことは認めるがその他はお話しできませんと言う 。

こんな弁護士なのだが、この巻の最後に「法律は人の権利を守る。だが、命までは守れない」とも言う。一体どっちなのかと思えて難解である。しかし、裏社会と、それを取り巻く人間模様のリアリティはあなどれない。

「延命してる残りの人生なんだから、黙って冷やしカレー食っとけよな」(2巻)/「絶叫しても誰も助けに来ない。また朝が来た。昨日よりたまったゴミで身動きできない」(3巻)/「しずくちゃんは純粋だからいい。不幸な生い立ちで居場所も将来の目標もないのが素晴らしい」(4巻)/「こんなみすぼらしい私がここにいてごめんなさい」(5巻)/「親に褒められたことないから……相手の都合に合わせて恋愛関係を求めてしまう」(6巻)/「歳をとっただけの……ガキばかりで……自分より優れた人間の失敗が大好物で」(7巻)

「奪っちゃいけないものを買う守銭奴と、売っちゃいけないものを金で売るバカ女。奴らには芯がない」とは、半グレのセリフ。そして、思いがけない九条の言葉もやって来る。「1日、1日、日常を愛おしいと思えたら、それが貴方の居場所です」と、『モモ』(ミヒャエル・エンデ)『星の王子さま』(サンテグジュペリ)を差し入れる。「私は貴方に寄り添います」とも言う。読み進む中での疲弊は、こんな人物たちのこんな言葉たちに押し戻される。

 

☆『スターリン言語学 精読』田中克彦 2000年 岩波現代文庫☆

この本をずっと前から読んでいる。ブログでも何度か使わせてもらってもいる。読了したのが最近なもので、紹介が遅れた。何度も前に戻りながら読み返し、その都度新しく傍線を引いた結果だと思っている。当初、スターリンの言語学・民族問題への視点は積極的なものだったらしい。では、この本が独裁者/大粛清執行者の名を欲しいままにしたスターリンを擁護するものなのか。違う。大切なことは、冒頭部分で示される視点だ。

「言語のあり方は……どこでも同じというわけではない。西ヨーロッパの知的伝統の中には、言語は多様であるはずはなく、また多様であってはならないのだとする強い信念がある」(第1章「2 文明語の普遍性」)

私たちには慣れ親しんだ生活や習慣がある。普段から使い、手放せないものを「新しいものにしなさい」と、一方的に言われた時に違和感や憤りを感じるのは、そこに自分たちの場所があったからだ。ついこの間、新札発行に際し「日本は世界に後れを取っている」と熱く批判される方と対面した。ちなみに日本では、現金での支払いを10代で60%、20代でさえ30%の若者がやっているらしい。「中国では現金で物が買えないほど成長している」というのにと、この方は腹を立てるわけである。現金が本物かどうか信用できない国の状態はおくとしても、慣れ親しんだ習慣をないがしろに出来るものだろうか。大きな流れに自ら追随する姿勢は問われていい。ここでは言語の問題である。

 言語は人間が伝達する時の手段であり社会に奉仕するものだという「言語=道具」説は、スターリンの十八番である。しかし、異なる言語を持つ民族との間では、言語は道具として成り立たない。こんな初歩的な課題に対応できない、凡庸でありきたりな物言いを「言語学」としていたスターリンは、革命初期、少数民族の言語使用を認めていたのである。それが「国家語を否定し各民族の言語を権利とする」レーニンへの忠誠だったとしても、

「少数民族は……母語を使う権利がないのに不満なのだ/自分自身の学校がないことに不満なのだ」

と主張したのは、スターリンなのだ。しかし、革命後の「ソ連」が出す「各共和国は……(ソ連から)自由に脱退する権利を保有する」(「スターリン憲法」)とされた「権利」は、決して「行使」されなかった。スターリンが、結局は西欧の「言語はひとつ」という道に行きつくまでの紆余曲折には、学ぶものが多くある。

 

☆『豆腐屋の四季』松下竜一 1983年 講談社文庫☆

現役の先生だった時、教科書の『潮風の町』を読んで、この作者を知った。歌人である。教科書は、魚の行商をする酒飲みの母と、それを気遣う純真な中学生の息子の話だった。その美しい情景にひかれ、この本を購入した。読んだのは大昔だが、前に言ったある「理由」のせいで、二度目を経験することになった。一体オレは何を読んでいたのだ、と思った。そして同時に、幼少時の事件が鮮やかによみがえった。冬だったと思う。小学校はまだ低学年の頃合いだったろうか。学校に向かう集団の中に私もいた。近くにいた男の子が、所在なく道端の空き缶を蹴った。すると空き缶は音を立てながら道を横切り、荷台に豆腐を載せた自転車を直撃した。恐らく、自転車は一番悪い角度で空き缶に乗り上げた。もんどりうって自転車は転倒し、荷台から白い豆腐が飛び散った。道は沈黙し、息をのんだ。若い豆腐屋だったと思うが、自転車を起こし白く砕けた豆腐をそのままに姿を消した。豆腐屋のうつ向いて恥ずかしそうに去っていく姿を私(たち)は忘れない。やがて歩き出す私たちの足取りが重かったことと、歩き出さない「犯人」の子を思い出す。この『豆腐屋の四季』を読んで、転んだ豆腐屋が怒りもせず去って行った謎が解けた気がしている。

 松下は、生後間もない急性肺炎によって右目を失明。母は「竜一ちゃんの心が優しいから、お星さまが流れて来てとまって下さった」物語を作って、悲しみを「愛(かな)しみ」に変えた。高校まで進むが、大学進学の夢は母の急逝で断念。父が営む零細な豆腐屋の手伝いを始める。19歳のことだ。しかし、豆腐の出来のいいはずはなく、深夜に悲しみと怒りをぶつける。実は松下家は6人姉弟で構成される。竜一の下に4人の弟。この6人がわが身の不幸を恨む。誰も悪くないのに、みんな精一杯生きているのに不満と不幸が積もっていく。ひとり、またひとりと、家族は離散する。しかし、お互い憎悪をぶつけつつも、出口を見出そうと始めた「ふるさと通信」など、数々の手立てを続けた。そして、それぞれが自分の小さな幸福をつかんでいく。松下の結婚も不思議な始まりとゴールだった。姉弟の幸福、それぞれのひとひらが輝きを放って美しい。……転んだ豆腐屋さんの屈辱に満ちた顔、どこへ行っただろう。

雪ごもる作業場したし豆乳の湯気におぼろの妻と働く

 

 ☆後記☆

アッツイですね~🌞 体力も少し回復したので、早朝トレーニングを再開し、エアコン運転の時間も短縮しました。でも、室内温度計が「36」を示したのは初めて見ました。皆さん、共に身体に気を付けましょう👊

さて、去年から8月の子ども食堂「うさぎとカメ」は、二回開催です。明日は、さっそく一回目。牛丼です🍚 40人分より少し多めにお願いしましたが、どうなることでしょう。おいで下さ~い👪

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大相撲名古屋場所、あれよあれよのうちに、興奮のるつぼとなりました。照ノ富士はおくとして、隆の勝、いよいよ本物です。確かな「型(形)」を手にいれつつあります。真面目な武道家・武術家なら見えたはず。「やることはひとつなので」という、勝ち越しの時のインタビューだったか、それが語っている。相手が、その型にはまらないようにしていても、はまるのが型なのです。この型に磨きをかけることが、今後の課題です。結婚おめでとう💐 そして、精進あれ🚀