瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第46話―

2007年08月27日 19時55分50秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

おや…肩に蛾が1匹、止まっているよ。
今夜の連れは、そいつかい?

はは…そう嫌わなくてもいいじゃないか。
貴殿は虫が苦手な性質のようだね。
じゃあ今夜は、小さな白い蛾の姿をした、妖精の話をしよう。

…意地が悪い?

そう言わずに…昔から蛾や蝶や鳥は精霊の化身、死んだ者の魂に譬えられているんだ。
貴殿だって、死んだら蛾の姿に変り、この世を彷徨う事になるかもしれんよ。



スコットランドでは、洗礼を受けずに死んだ赤子の霊は、浮ばれずに小さな白い蛾の姿で彷徨うと言伝えられている。


昔、ウィッテンハムと言う村で、親から望まれずに生れてしまった為、母親がこれを殺し、墓地近くの木の根元に埋めた所、夜な夜な赤ん坊の霊が出現するようになった。
霊は白い蛾の姿で、墓地や自分が埋められた木の周りを、泣きながら彷徨った。


「悲しいな、悲しいな
 僕には名前が無い
 悲しいな、悲しいな」


洗礼も受けず、生れて直ぐ殺された赤子の魂は、頻りに訴える。
ひらひらと飛び回るその白い羽は、暗闇の中で薄ぼんやりと光って見えた。

村人は皆恐ろしがり、近寄ろうとする者は居なかった。
うっかり声をかけたら死ぬに違いないと噂し合ったのだ。


所が或る時、1人の酔っ払いが、泣声を聞いて墓地に近付いて行った。
恐がって誰も寄付かない場所も、酔っ払って気の強くなった男には、全く平気であった。

夜の闇に包まれた墓地には、1匹の蛾が妖しく白い羽を羽ばたかせ、すすり泣いて居る。


「悲しいな、悲しいな
 僕には名前が無い
 悲しいな、悲しいな」


夜毎繰り返していた泣声を耳にし、酔っ払いは陽気に声をかけた。

「よう、何を泣いてんだぁ!?
 『ウィッテンハムのショートホッガーズ』!!」


『ショートホッガーズ』とは、赤ん坊用に編む毛糸の靴の事で、この地では赤ん坊への愛称としても使われていた。


男にこう呼びかけられた小さな魂は、途端に喜んで言った。


「嬉しいな、嬉しいな
 名前を貰ったぞ!
 『ウィッテンハムのショートホッガーズ』だって!
 嬉しいな、嬉しいな」


この夜以来、泣声は聞かなくなった。

漸く天国に昇れたのであろう。



…日本流に言えば、『水子霊』と言った所だろうか。
浮ばれない魂は何処にでも居る。
貴殿の肩に止った蛾が、ひょっとしたらそうかもしれない。
彼等はとても人懐こいからね。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

では帰り道、気を付けて。
その蛾に送って貰うといい。
後ろは絶対に振返らないように。
深夜に鏡を覗かないように。

それでは御機嫌よう。
また次の晩を、楽しみにしているからね…。



『小学館入門百科シリーズ153――妖精百物語――(水木しげる著)』より。
コメント
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