瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第26話―

2007年08月07日 21時32分44秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい…場所を覚えていてくれたようで嬉しいよ。

勿論席は取ってあるとも。
1番奥、壁際のとっときの席だ。
軋んでギイギイ煩いが……この場には似合ってると思わないかい?

ああ…そちらは初めていらっしゃった方だね。
会のルールは御存知かい?
一夜に1話づつ奇怪な話を語り…終える毎に灯された蝋燭を、1本消してく。
最初灯してた蝋燭は百本。
去年は25本迄消した…残りは75本だ。
今年は50本迄減らす積りさ…そして次の年は25本迄…更に次の年は……

古より、奇怪な話を百語った後には、真の妖が現れると云う。
全ての蝋燭が吹消された時、暗闇の中に何が見えるか?
先は長いが、ぼちぼち参ろうじゃないか。

さあ、新しい席も用意出来た。
新しいと言っても、古びて傾いでる椅子だがね。
気にせず座って……早速始めようじゃないか。


貴殿は京都東山の『知恩院』を知っているかい?
浄土宗の総本山、日本最大の楼門等で有名な観光スポットだが……中々奇怪な寺としても評判らしい。
巨大な本堂(御影堂)正面右手上部の軒下には、何故か唐傘が差し込まれていて、一説には江戸時代きっての名工「左甚五郎」が、魔除の意味でした事だと云われている。
建物は完成したその時から朽ちる運命――あまりに完璧な出来栄えを見て危ぶんだ甚五郎は、そうする事で『完成』を崩し、崩壊を免れようとしたと伝えられている。
こうした呪いは古い建造物によく見られる物でね。

しかしそれだけでなく……こんな話も伝えられている。



寛永(1624~1644)年間、本堂建設の工事も終りに近付いた頃の事だ。
当時の住職、霊巌上人は、毎夜人々を集めては説教をしていたが――或る大雨の夜、大人達に混じって、オカッパ頭の子供が居るのに気が付いた。
その子供は頭から水を被った様にずぶ濡れで、時折上人の話に頷いては、熱心に耳を傾けている。
『妙な子供じゃな』と思った上人は、説教が終ってから、傘も差さずに帰ろうとするその子供に、声をかけた。

「これ…この雨じゃ、傘が無くては帰れまい。
 寺の傘を貸してやろう。
 …しかしお前さんは何処の子供かな?
 熱心にわしの説教を聴いておったようじゃが……」

そう尋ねられた子供は、少し照れながら、こう言った。

「はい……実はあの、私は此処いらに棲む狐なんです。
 いえ、別に悪さをしに来た訳ではありません。
 ……でも、本当は悪さをしようとしていたんですが……」

その狐が言うには――本堂の工事で住処を追われ、その腹いせに仕返しをしようと機会を伺っていたのだが、上人の説教を聴いてる内に、自分の考えの間違いに気が付いた。
今ではすっかり改心し、有難い本堂を末永くお守りせねばなるまいと思っている――との事だった。

たどたどしくも語り終えた狐は、上人より傘を借りると、何度も礼を言いながら帰って行った。
翌日、狐に貸した傘は、本堂の庇の下に、差し込まれていた。
そこは到底人間が登れる高さではなく、正に狐の神通力の仕業であると、上人は境内に祠を設けて、あの時の狐を祀る事にした。
そして狐が化けた童子は濡れた髪が印象的だったので、祠は『濡髪堂』と名付けられたそうだ。

濡髪堂は境内山側の1番奥に在り、墓地の間を通って行く形となる。
普通なら足を向けたがらない場所に在りながら、祇園界隈の舞妓さんや水商売の女性に特に人気が高いらしい。
と言うのも、本来は寺の守護をする神様なのだが、濡髪の「濡れる」が男女の情事に結び付き、濡れ場を纏める神様、縁結びの神様として信仰されているからだそうだ。



…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

また1つ…明りが消えたね。

お帰りはこちらからどうぞ。
気を付けて帰ってくれ給え。

そしていいかい?

………明るい所に出るまで……絶対に後ろを振り返っては駄目だ。

帰ってから…夜に鏡を覗いてもいけないよ。

何故って……?

………貴殿は、鏡に映る顔が、1つだけだと思うかい…?

それでは、ごきげんよう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。



『ワールドミステリーツアー13⑧京都編第7章(村上建司 著、同朋社 刊)』より。

*濡髪童子伝説には、「御影堂を建立する時、近くに住んでいた白狐が、自分の棲居が無くなるので、霊巌上人に新しい棲居を造って欲しいと依頼し、それが出来たお礼として、傘を置いて行った」という説も有。
(参考→http://www.chion-in.or.jp/7hushigi/index.html)
コメント (3)
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