kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

言葉にして

2008年02月06日 | 生活
うそつけ、
という言葉があります。
「でもな、小久保君、昔、子供の頃、『うそつけこけ』と言うとおったんじゃ」
とオジ発す。
「うそんこ、とも言ったねえ、オジ」
「ああ、言うな」
と、どうゆう話の流れからか、突然、どっちかが発したかおぼえていませんけど、
うそつけ、
という言葉の他の言い方は、新鮮です。
でも、僕の地域では、「うそつけこけ」とは言わなかったけれど。
子供の流行言葉というか、使う言葉は、自然発生的に、造語があると思います。
同じ市町でも、地域がズレるだけで、違う言い方をしてませんでしたか?
そして、テリトリーが違うヤツらがやってきて、
力関係が強い方が、「変な言い方してやん」と、笑うのです。
力関係が弱い方は、黙って、ヤツらの笑いを見ているのです。
そうやって、力が強い方が、弱い方の言葉を潰して、
強い方の言葉に統一していくのです。
それでも、弱い方の言葉は、文化ですから、
いくら統一されても、体に宿っているから、
なかなか消えないのです。
それが言葉の強さで、一時的な腕力には屈しない強さがあるのです。

と、わかったようなことを、書いてやがら。うそつけこけ。

---

先日、セザンヌ先生に会いに行く暇がなかったので、
今日、労働後、地下鉄に乗ってセザンヌ先生に会いにいきました。
用事だけ済ませて、帰ろうと思ったし、すでに閉館時間前だったので、
そうしようと思ったのですけど、
「まあ、どうぞ」
とセザンヌ先生は言いました。
「寒いでしょう?」
とセザンヌ先生が言うので、
「今日なんか5時半から仕事しているんですよおおおお」
セザンヌ先生と話していると、
楽しいものだから、自然、疲れが飛んで、元気になるのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする