著者の名前は”Валерий Павлович Афанасьев”。
この読みにくい名前から察せられるとおり、1947年のロシア産。日本語では、ヴァレリー・アファナシエフと一般的に呼ばれるが、職業はコンサート・ピアニスト。ついでに、本書を読んでいくといかにも・・・と感じる詩人でもあり小説も書く作家でもある。それでは、ピアニストとしての音楽暦はというと、モスクワ音楽院でエミール・ギレリスに師事し、69年のバッハ国際コンクール1位、エリザベート王妃国際コンクールでも優勝するという正統派の王道を歩く。が、、、西側に亡命して現在はフランス在住。
以前、NHKの「ららら♪クラシック」でピアニストの中村紘子様が21世紀ピアニストガイドをされていたが、この方を登場させなかったのかは実におしいと思う。確かに、芸術の分野で鬼才というジャンルには、横綱クラスの凄腕?ピアニストがひしめいているが、哲学するヴァレリー・アファナシエフの個性はその演奏とともに際立っていると感じるのは、本書を読めば私だけではないだろう。
さて、本書は日本の編集者からの楽譜と演奏家の関係をもう少し知りたいというアンコールに応えて執筆されている。
音楽家の周辺、音楽と宗教、音楽の遠い思い出、最近の音楽事情、と自由な思索が次々と溢れ出てくる。確かに、音楽については永遠に書き続けることができると著者の言うとおりなのだろう。しかし、時にして著者のペン先はあまりにも鋭い。
半ズボンをはいたシューベルト
これはある若手ピアニストを「タイムズ」誌が評したのだが、彼は年々年をとっているにも関わらず、聴衆が若さを熱愛するあまり、彼の演奏はあいかわらず半ズボン姿。成功のための不可欠な原料、しかめっ面、スマイル、アンコールというサービス。小さな構造やフレーズさえも破壊して、こまぎれのエクスタシーで聴衆を陶酔さえ、エクスタシーがあればあるほど演奏は評価される。一歩間違えれば、キワモノ扱いになりそうだが、彼の強烈な毒舌と皮肉に私も共感している。かねがね疑問に思っていたのは、私たちは、真に音楽を聴いているのだろうか。それとも、”熱演”を鑑賞しているのだろうか。
悲しいくらいにヴァレリー・アファナシエフの指摘はクラシック音楽の問題点をついており、暗い未来を予感させる。
*セルゲイ・カスプロフは現代最高のピアニストと絶賛している。
この読みにくい名前から察せられるとおり、1947年のロシア産。日本語では、ヴァレリー・アファナシエフと一般的に呼ばれるが、職業はコンサート・ピアニスト。ついでに、本書を読んでいくといかにも・・・と感じる詩人でもあり小説も書く作家でもある。それでは、ピアニストとしての音楽暦はというと、モスクワ音楽院でエミール・ギレリスに師事し、69年のバッハ国際コンクール1位、エリザベート王妃国際コンクールでも優勝するという正統派の王道を歩く。が、、、西側に亡命して現在はフランス在住。
以前、NHKの「ららら♪クラシック」でピアニストの中村紘子様が21世紀ピアニストガイドをされていたが、この方を登場させなかったのかは実におしいと思う。確かに、芸術の分野で鬼才というジャンルには、横綱クラスの凄腕?ピアニストがひしめいているが、哲学するヴァレリー・アファナシエフの個性はその演奏とともに際立っていると感じるのは、本書を読めば私だけではないだろう。
さて、本書は日本の編集者からの楽譜と演奏家の関係をもう少し知りたいというアンコールに応えて執筆されている。
音楽家の周辺、音楽と宗教、音楽の遠い思い出、最近の音楽事情、と自由な思索が次々と溢れ出てくる。確かに、音楽については永遠に書き続けることができると著者の言うとおりなのだろう。しかし、時にして著者のペン先はあまりにも鋭い。
半ズボンをはいたシューベルト
これはある若手ピアニストを「タイムズ」誌が評したのだが、彼は年々年をとっているにも関わらず、聴衆が若さを熱愛するあまり、彼の演奏はあいかわらず半ズボン姿。成功のための不可欠な原料、しかめっ面、スマイル、アンコールというサービス。小さな構造やフレーズさえも破壊して、こまぎれのエクスタシーで聴衆を陶酔さえ、エクスタシーがあればあるほど演奏は評価される。一歩間違えれば、キワモノ扱いになりそうだが、彼の強烈な毒舌と皮肉に私も共感している。かねがね疑問に思っていたのは、私たちは、真に音楽を聴いているのだろうか。それとも、”熱演”を鑑賞しているのだろうか。
悲しいくらいにヴァレリー・アファナシエフの指摘はクラシック音楽の問題点をついており、暗い未来を予感させる。
*セルゲイ・カスプロフは現代最高のピアニストと絶賛している。