千の天使がバスケットボールする

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「デカルトの密室」瀬名秀明著

2005-10-29 13:39:57 | Book
朝から霧雨が降る晩秋の午後、玄関の呼び鈴がなり、扉を開けると雨に濡れた鉄腕アトムのようなロボットがたっている。

「はじめまして、ぼくはケンイチ。ご注文ありがとうございました。」
この礼儀正しいロボットは、ネットで注文した。まるでホンモノの小学3年生の日本人の男の子に見える、人工知能を搭載しヒューマノイド型ロボットを選んだのだ。

そんな日が、はたして未来にやってくるのだろうか。瀬名秀明氏の「デカルトの密室」は、そんなこどもの姿をした完全自律型ロボットのケンイチを主人公に、彼を”生んだ”ロボット工学者・尾形祐輔が書いた物語である。はたしてケンイチに”マインド”は、あるのだろうか。
そしてもしもケンイチのようなロボットが開発されるような世の中になったら、ロボットは人間にとってどのような存在になるのだろうか。非常に便利な単なるツール、それとも社会に共存する”なかま”になりうるのだろうか。・・・不覚にも最後の、ケンイチと祐輔の会話を読んで、泣いてしまった。だから、ヒューマノイド型ロボットの開発には賛成しかねるのに。

軍事ロボットや医療用ロボットのシステムAI開発で、巨万の富を稼いだ《プロメテ》社主宰の、人工知能コンテスト(天才数学者アラン・チューリングを記念して1990年からはじまっている)に参加するために、ロボット工学者・尾形祐輔は、ロボットのケンイチと、恋人である進化心理学者、一ノ瀬玲奈を伴ってメルボルンにやってきた。そこで思いがけずに、10年前に自動車事故で亡くなったはずの、美貌の人工知能学者フランシーヌ・オハラに遭遇する。しかも車椅子にのっている彼女につきそっているのは、恐ろしいくらいに彼女に似た精巧なロボットである。忠実にフランシーヌの肌を再現し、濡れた質感も表現するロボットの眼窩を見つめていると、祐輔はフランシーヌとはじめて出逢った、世界数学オリンピックに参加した時のケンブリッジでの夜を思いだす。20年前、ふたりは日本人代表として大会に参加し、優勝した。そして最後の夜、映画「2001年宇宙の旅」のHALとフランク宇宙飛行士のように、チュスの対戦をする。

その時の情景を思い出す祐輔は、嫌な予感にとらわれる。やがてコンテストは、参加者にチューリング・テストをはじめるが迷走していく。そして祐輔は「中国語の部屋」に幽閉され、逆さめがねをつけられ10代から事故で下半身が不自由な体をベッドにしばりつけられる。祐輔を探す不安なきもちいっぱいのケンイチは、とうとう何者かによって仕組まれた罠にはまり、「フレーム問題」に抵触してフランシーヌを射殺するのである。

主人公であるロボットのケンイチは、起動してから人間らしさを少しずつユウスケやレナから教えられていく。話しをする時は、相手の目を見て話すこと、更に扉を開けて出て行くとき、次の人が続いていたら扉を押さえて待っていること。やがて見てはいけないものに遭遇した時は、自然に視線をそらすようになる。ユウスケの車椅子を押す時に、みぞにはまったら自然にひきあげることもする。そして近頃は、ユウスケのように小説を書いてみたいと思っている。コンピューターにアクセスできるから、ケンイチの知識は豊富だが、”智恵”は別のものである。
けれども飛行機に乗るときは貨物扱いのケンイチは、人間のこどもと同じように成長していくのである。
「ユウスケとレナはぼくを大切に思い続けてくれている。だからぼくも思い続ける。ぼくは自分で選ぶんだ!」
ケンイチのこの決断には、ロボット工学者の見果てぬ究極の夢を象徴している。

「我思う、ゆえに我あり」
哲学者デカルトは、”私”が考えていること、それが私という人間の根拠を唱えた。デカルトは、肉体を精密な機械と認め、人間を人間たらしめているのは理性的魂であり、それは神の領域でいかなる機械によっても再現は不可能であると考えた。このデカルトによる宿題は、”私”はどこにあるのか、人間らしさとはなにか、という人類に課題を与え、しばしば我々をその密室に閉じ込める。そんな哲学と、どこまで人工知能は可能なのか、この宇宙に人類のような知的生命体を宿した意味はなんなのか、ロボットと人間はどのような関係を築いていくのだろうか、瀬名秀明氏の本著は多くのテーマをもりこんだ稀有なSF小説である。ロボット工学や哲学など、難解な会話が全編をおおうのだが、完全に理解しなくても作品の中で作家である祐輔のケンイチをモデルにした小説を書く意図と、こころは充分に伝わる。
祐輔が熱く語る”科学にも物語が必要”。これは、瀬名氏が日本の科学者12人と対談した時の安田喜憲氏の言葉にリンクする。(詳細は「科学の最前線で研究者は何を見ているのか」を参照されたし)

ガイドブックなどを買って、マニアックに細部をつつくのは不要。大事なのは、自分はこの物語をどう感じ、どう考えるのかということだ。人工知能の開発は、現状ではいきづまっている。だから、私も、あなたも、今生まれたばかりの赤ちゃんも、ケンイチのような素直で純粋で表情のある愛らしいロボットに会うことはかなわない。けれどもずっと遠い、遠くの未来で考える人々に重ねて、時空をこえて本著を読みながら、作家である瀬名氏や祐輔とともに、あなたにとってロボットはどんな存在なのか、真剣に考えるのは実に感動的で価値がある。今の時代に、このような作家と出会えたのは幸福だ。
「パラサイト・イブ」から10年、瀬名氏のもうひとつの研究はまだまだ続いている。

「これは『知能(インテリジェンス)』についての物語だ。」   -尾形祐輔

瀬名秀明さんの公開講義