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なぜメルケルは「転向」したのか 熊谷徹著

2012-07-12 21:54:12 | Book
2011年3月に発生した福島第一原子力発電所の事故は、遠く離れたドイツの原子力の歴史に終止符をうった。福島からはるか遠く、1万キロメートルの離れたドイツのエネルギー政策は大転換をしたのだった。ドイツ連邦議会は、2011年6月30日に原子力法の改正案を可決し、22年12月31日までに原子力発電所を完全に廃止することを決定した。ドイツのアンゲラ・メルケル首相はこれまで保守政党CDUの方針にそって原発推進派だったのに、事故からわずか3ヶ月目のこの”転向”に世界は驚いた。政治的な嗅覚に鋭く、変わり身の早さに定評がある首相にしても、この素早い寝返りには私にとっても印象に残るできごとだった。著者によると、メルケル首相はこの時の連邦議会で、政治家としても物理学者としても敗北を認める演説を行っているそうだ。

なぜメルケルは「転向」したのか?

まさに私のような日本のいち国民としての素朴な疑問に、ミュンヘン在住20年をこえるジャーナリストの熊谷徹氏が応えたのが本書である。
メルケル首相は旧東ドイツの牧師の家庭に誕生し、カール・マルクス大学で理論物理学を学び、東ドイツ・科学アカデミーの理化学中央研究所で科学者として働きはじめる。(メルケルという姓は、当時の最初の夫の名字)やがて、メルケルは東西統一後の最初の選挙で当選して連邦議会議員となった。以後は、CDU(キリスト教民主同盟)の党首、ヘルムート・コール首相に抜擢され、コールのお嬢さんと揶揄されることもあったが、CDUの不正献金事件が発生すると恩師のコールを公開書簡で批判するという”鉄の女”ぶりを示し、地味な科学者からドイツ初の女性首相にのぼりつめたのは周知のとおり。彼女の恩師をきったリスク管理の鋭さは、今度は原発を停止させるという政策の大転換をもたらした。といっても、メルケルの独断で先行したのではなく、むしろ83%の議員が反原発を支持したことからも、サブタイトルのドイツ原子力40年戦争の真実からみるドイツという国や国民性が、原発停止を選択したのだった。

そもそも40年戦争とあるように、ドイツにおいては原発をめぐる反対運動の歴史は長く、又、途中で地球温暖化現象への関心から下火となった時期もあるが根強く、運動自体が全国展開をしているという土壌ができている。地方分権制度をいかして、実際に、原発建設を中止さえた実績もある。その背景には、ドイツ人は環境への意識が高いというとおしゃれにきこえるが、かってナチスによる欧州征服や第三帝国への野望に国民が一丸となったように、直情径行型で猪突猛進する国民性が環境保護への執念に変貌している節もある。福島の原発事故発生当時のこの国での報道のあり方は、むしろもう少し冷静になったらいかがでしょうか、といいたくなるくらいだ。

又、欧米社会がドイツ人を理解するキー・ワードGerman Angst (ドイツ人の不安)は、不況や大量失業の社会的不安からヒトラーを生んだという過去の歴史からも説明される。そんなドイツ人の不安を解消するかのような彼らの徹底したリスク管理は、「反原発の不都合な真実」を書いた藤沢数希氏の合理的なリスク計算とは別の次元にあると思われる。彼らの不安は、島国育ちの日本人のお気楽な楽観主義とは大きく乖離していてさすがに心配し過ぎとつっこみたくなるのは、私が根っからののんき者だからだろうか。つきつめていくと、そんな彼らの悲観主義からくるリスクへの意識は、自分さえたすかればよいという個人主義にも通じるものがあると私は感じるのだが、それでも、著者が、今回の原発への対応から木を見て森を見ない日本人と木を見なくても森を見るドイツ人という民族性の比較を感じていることに、残念だが反論はできない。

ドイツの原子力の発電量に占める比率は17.7%とそれほど高くはない。そして、陸続きで簡単にエネルギーを輸入するという裏技もありのドイツ。お国の事情もことなるのだが、同じ著者の熊谷氏による「ドイツ病に学べ」のように、今回の事故からも我々はドイツに学ぶこともありそうだ。しかし、ドイツの日本の原発の技術力への信頼をうらぎることがなければ、事情は少しかわったかもしれない。以前から、津波の影響への懸念を発言していた政治家がいたにも関わらず何ら手をうってこなかったこと、事故後の政府の対応の不手際、事実の隠蔽は、どう考えても言い訳の余地がない。公正な立場で審議できる第三者機関でチェックする機能があれば、ここまでには至らなかったのではないだろうか。