千の天使がバスケットボールする

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「優雅な生活が最高の復讐である 加藤和彦・安井かずみ最期の日々」

2012-07-15 11:49:08 | Nonsense
「私の城下町」「危険なふたり」「危ない土曜日」 など数多くの歌謡曲を 作詞した安井かずみさんは、1977年に8歳年下のミュージシャン・加藤和彦さんと結婚した。38歳の妻がガンでなくなる55歳のその日まで17年間続いたふたりの優雅でスタイリッシュな結婚生活は、伝説の物語を残した。

妻が肺がんを発病し、余命1ヶ月と告知された夫は、誰にも病名を告げずにすべてを引き受けて、延命することよりも「優雅な生活が最高の復讐である」というスペインの諺を希望する妻を献身的に支え愛した。番組は、彼女の残された日記をもとに最後の日々を追った舞台劇のようなドラマである。

お洒落で美しかった安井かずみさん(ZUZU)を麻生祐未さんが演じ、長身の優しげな面立ちの加藤和彦さん(トノバン)は袴田吉彦さんが演じている。ひとつの空間に、自宅、病室、「キャンティ」(夫妻が通ったレストラン)、旅行先のホテルの室内、ハワイ、といった小さな舞台がセッティングされていて、ドラマというよりも室内劇のような雰囲気で、間に生前夫妻と親しかった友人のインタビューが入る形式になっている。

偶然観た番組だったのだが、観はじめたらどんどんひきこまれてとうとう深夜の最後までテレビのスイッチをきることができなかった。
病室にいる安井さんは、これからの闘病生活をクイーンエリザベス号に乗船して出発する優雅な旅にたとえた。荒波にもまれても、やがて船は港に着き、病は治っていると。パーサーは、夫。しかし、最後の港が死であることは夫だけが知っていたのだが、妻もいつしか気づいていく。

凝った手法の舞台劇と脚本は、生活感を排除したスタイリッシュな生活を最後まで貫いたふたりを非現実感をともなって美しくもうきあがらせていく。なんといっても、全く知らなかったが安井かずみさんというキャラクターとライフスタイルが印象に残る。いつか、加藤さんが丼ものは食べないとテレビで発言していたのを聞いたことがある。なんと、優雅で上品な暮らしをされているのだろうと感嘆し、丼ものが好きな私はちょっと憧れていた。しかし、そんな暮らしは安井さん流だったことがこの番組でわかった。ふたりは、結婚を機に、それまでの友人と距離をおいて離れていったという。コシノ・ジュンコさんは、結婚して安井さんのファッションがありえないコンサバになったことから、離れていくのも当然と感じたようだ。

思うに、ふたりは夫婦になりながら、究極の親友になったわけだから、相手がいれば24時間ふたりだけの濃密な時間があればそれですべて満足できたのだろう。もともと安井さんは恋多き女性だったそうだ。恋人ができると生き生きし、恋を失うと精神も不安定になりがちだったところ、加藤さんという理想的な夫をえることでやすらかで幸福な日々を送ることができた。

友人の松山猛さん(この方もとてもお洒落!)によると、加藤さんが結婚してゴルフやテニスをはじめたので驚いたそうだが、彼は敬愛する女性にあわせて自分やスタイルを変えられる人とのこと。ブリティッシュ・スタイルを好む安井さんは、家でもスーツにネクタイの夫を期待し、8時には仕事を終了して美しく整えられた自宅で、ふたりで料理をして、美味しいワインをかたむける優雅なくらし。毎日、毎日、上質な料理、上質な衣装、上質な、贅沢な暮らし。

結婚してからの友人だった大宅映子さんの自宅を加藤さんが訪問した時、絶対に安井さんが作らなかった味噌汁やなすの煮物を出した時に、京都出身の加藤さんがほっとするなと言っていたというエピソードが披露されていたが、すべてを妻の趣味にあわせるには、夫もそれなりの努力をしたのだろう。そんな夫の愛情にこたえるかのように、加藤さんの誕生日のプレゼントは、薔薇の花束にひそませた新車ポルシェの鍵だった。

葬儀で残された夫は、淋しいけれど悲しくはないと語った。当時の主治医は、多くの夫婦をみてきたが、彼らのような夫婦はいなかったと証言している。一瞬も惜しみなく、妻のために生きてきた加藤さんにとって、愛妻の死は悲しみを超越するくらいの愛情に満ちた日々だったのだろう。そこには、もっとこうすればよかったという後悔がはいる余地などないくらいに。

安井かずみさんが最後に遺した言葉は「金色のダンスシューズが散らばって、私は人形のよう」。
湿度の高い猛暑にうんざりしてだらけている私には、最後の瞬間まで優雅さを失わなかった彼女の存在に考えさせられる。どんな本を読み、どんな音楽を聴き、どんな映画を選ぶか、というほどにどのような暮らしをしたいのかを、自分はそれほど大切にしてこなかったのではないだろうか。