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大枚はたいてチケットをゲットした(やったぜっ!)今年のウィーン・フィルの演奏会。(みんなに自慢しているもんね。)それとは別に、ちょっとした思い出とともに毎年楽しみにしているメロス・フィル。ところが、うっかり、本当にうっかり昨年は秋風が吹いた頃にはたと気がつき、とっくにコンサートの日は過ぎていて聴き逃していた・・・。
そんなこともあったが、毎回、メロスフィルのプログラムは楽しませてくれる。もう少し早く来て、せっかくのモーツァルトの「不協和音」のロビーコンサートも最初から聴くべきだった。
今年は、古典からハイドン、メインは同じ変ホ長調のシューマンの「ライン」。この「ライン」については、プログラムの曲目解説に拍節感に関する研究が紹介されていて、「3/4拍子になると旋律の各音に重さが与えられて、ライン川のゆったりとした流れの中に息づく生命感や躍動感が感じられる」と解説されている。これは大変、興味深い。昨年はシューマン生誕200年ということで、奥泉光さんの小説「シューマンの指」や映画『クララ・シューマン 愛の協奏曲』などそれなりにシューマン関連の盛り上がりもあったのだが、理知的でいて複雑さも備えたシューマンは、なかなかとっつきにくい印象もある。しかし、今回、メロスフィルの「ライン」を聴いているとシューマンが自分に語りかけているような錯覚がした。えっ、私はクララではないけれど、、、というのは冗談だが、1850年に「ライン」を作曲、と言っても副題は彼自身が名づけた訳ではないのだが、その4年後、ライン川に投身自殺を図り、46歳の生涯を精神病院で閉じた。猛反対をおしきりクララと結婚し、子ども達を愛して子どものための曲を多く残したシューマン。演奏中、そんなことを思いだし、音楽と親密になった。
そして、出色だったのはアンコールのグリーグの「2つの悲しき旋律」である。
グリーグらしい透明感のある哀しみをたたえた清らかな旋律に、3月11日の東北地方を襲った東日本大震災と津波による被害に思いをはせた。震災後のまだ浅い春の夜、カイシャのスタッフさんと食事をした時に、彼女が「あの震災で、私たちも何か変わったと思いませんか」と言った言葉がよみがえってきた。都心とはいえ、職場のビルが二回目にゆれた時、私もここで自分の人生が終わるのか・・・と私ですら漠然たる覚悟をした。今もここで生きていて、こうして音楽を聴けることが、いとおしく宝のような時間なのか。そんなことをしみじみと伝えてくれた演奏だった。
--------- 2011年8月29日 紀尾井ホール ------------------------------------------
C.M.v. ウェーバー / 歌劇「オベロン」序曲
J. ハイドン / 交響曲第103番 変ホ長調「太鼓連打」
R. シューマン / 交響曲第3番 変ホ長調 作品97「ライン」
■アンコール
E・グリーグ /2つの悲しき旋律 過ぎた春
指揮 / 中田延亮 (メロスフィルハーモニー 音楽監督)
■アンコール!
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