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「アカデミック・キャピタリズムを超えて」上山隆大著

2011-08-27 11:08:21 | Book
「アカデミック・キャピタリズム」というあまりなじみのない言葉で思いだしたのが、我が敬愛なる生物学者の福岡伸一さんの著書「動的平衡」である。
弊ブログでもつぶやいた「ノーベル賞よりも億万長者(ビリオネラ)」でも記したが、福岡さんが90年代初頭にハーバード大学の研究室に研究員として勤務していた当時の研究室では、まるで渋谷「109」ファッションビルのテナントのように、成果の芳しくない(売れない)研究室が潰れて空室になったかと思うと、意気揚々と新しい教授が研究者たちをひきつれて研究チームがまるごと引っ越してきたそうだ。福岡さんがいたほんの数年で、研究者の転入、転出といった入れ替わりがけっこうあったとか。チャンスにも恵まれ新陳代謝が激しく風通しがよいと言えばそうだが、研究費獲得のための果実をえるのか、果実を得るための研究費獲得なのか、いずれにせよ熾烈な競争に神経をすりへらしていった研究者の姿に、本来の研究目的との乖離に私は疑問を感じるのだが、本書の著者によると民間企業からの外部資金研究の増減は、いわば自らの研究のマーケットにおける価値を常に判断され、より多くの研究費を獲得できる研究者を集めることが大学にとっても市場価値を高めることになると解説している。実際、100年ほど前はドイツの大学に留学して帰国した優秀な学生や研究者たちがえた範にそって、米国の研究室は活動していたが、こうした産業界や企業からのパトロネッジとマネジメントの圧力が研究競争に拍車をかけ、現代の米国の科学技術は国際競争力では圧倒的に他国を凌駕しているのは事実。

本書は、米国の大学の成り立ちや歴史にはじまり、第二次世界大戦以降、米国が世界最高峰の研究拠点に躍り出た背景の解説、そして今後の大学のありかたまで述べられている。戦争のため、米国に移住した優秀な科学者をかかえ、戦禍で疲弊し貧しくなったヨーロッパと比較し潤沢な研究資金も科学のフロンティアをおし勧めたが、著者だけでなく私自身も興味をもったのは、米国の科学者が常に政治的な視座をもっていることである。象牙の塔のこもる博士ではなく、社会とつながり、対外活動を旺盛に行い研究の必要性を常に世論に訴えて研究資金を獲得していく姿勢である。昨年、日本中をわかせた「はやぶさ」の帰還であるが、私は打ち上げ当時から注目していたのだが、あの頃は「はやぶさ」の存在を知っている人は殆どいなかった。仕分けで予算削減される前に、もっと日本の宇宙科学の夢と必要性を幅広く社会や大衆に訴えていくべきだろう。

また日本はかっての1960年代以降の大学紛争で産学協同は産業界との癒着が問題になるという風潮があったが、米国では1980年のバイ・ドール法制定により連邦政府からの資金による研究でえられた知的財産権を国ではなく大学に帰属すると整備され、格段に競争力をつけた。おかげで、大学発ベンチャー企業が次々と生まれた。

そしてキー・パーソンとして登場してくるのが、バニバー・ブッシュなる人物。1944年、ローズヴェルト大統領からの戦後米国科学研究の将来構想を求められて、『科学―果てしなきフロンンティア』で答弁している。ブッシュは、科学を人類共通の公共財としてとらえ、公的資金の必要性を論じ、尚且つ、資金の受け皿を一部のエリート研究大学にしぼることを提言した。彼の科学者エリート主義や、一般大衆を科学に金銭的に奉仕する人々ととらえる自然科学至上主義には辟易させられるが、基礎研究から応用研究へ、そして具体的な工業化への展開が最終的な生産に結びつくことで、基礎研究の社会貢献性を訴えた「イノベーションのリニアモデル」は優れていると思う。さらにこのモデルによって、基礎研究と応用研究という二元論の合理的な解決もできる。

某大学でカント哲学を研究・講義している高校時代の同級生が、「学者はカスミを喰っているようなもの」と自虐的に言い切ったが、そんな真理の探究や高邁な精神も、まるで激流に流れされてしまうかのような現代科学研究の商業化だ。ips細胞(人工多能性幹細胞)の研究でも、当初、山中教授には名誉、実利は結局、米国が獲るのではないかともささやかれたが、今月11日にiPS細胞の基本技術に関する特許が、米国でも成立したと発表された。これによって、京都大学は世界のiPS細胞関連の特許をほぼ今後20年間独占することになり、研究の世界的主導権を握ることになった。

他にも「生命は誰のもの」チャクラバティ事件、ヒト遺伝子の国家による所有、ミリタリー・サイエンス、マンハッタン計画と内容が実に充実している。一般的に上昇志向が強く自分の能力に自信のある研究者は米国が肌にあい、じっくり物事を考えてとりくみたいタイプの者はポスドクとして勤務するにはドイツが向いていると聞いたことがある。どちらがよいというのではなく、また一概に「アカデミック・キャピタリズム」がよいとも言い切れず、問題もあるが、日本の科学研究の国際競争力をつけるためにも、大学のあり方としてのアカデミック・キャピタリズムを考える決定版が本書である。

■こんなアーカイヴも
”生命”の未来を変えた男