千の天使がバスケットボールする

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『受取人不明』

2008-11-24 22:38:35 | Movie
人にはお薦めできない映画をこっそり観る。キム・キドク監督の映画は、映画鑑賞が趣味と公言する女性にお薦めするのはためらうが、実は映画好きだったというマニアックな方にはお薦め。

1970年代、韓国の米軍基地に隣接したとある田舎。
登場人物その1:村のはずれに赤い廃車となったバスで暮らしているのは、本国に帰っていった黒人米兵への便りの返信を待つ母と混血青年のチャングク(ヤン・ドンクン)。彼は、母の愛人の犬商人(チョ・ジェヒョン)のを手伝いながら生活力のない母の糊口をしのいでいる。

登場人物その2:ジフム(キム・ヨンミン)は、朝鮮戦争で脚を失い没落した地主の父とふたり暮らし。家庭の事情から学校を退学して肖像画製作をする店でアルバイトをしているが、報酬も下級生に脅されて奪われてしまう気の弱い青年だった。

登場人物その3:そのジフムが密かに思いを寄せているのが、女子高校生のウノク(パン・ミンジョン)。彼女は右目を失明していて、いつも前髪で目を隠して歩く綺麗な顔立ちの少女。
本映画は、基地のある村を寒村を舞台に朝鮮戦争の傷跡と3人の衝撃的な青春を描いたキム・キドクの名を世界に知らしめた記念碑的作品である。

3人の共通点は、それぞれの事情による孤独と貧しさにある。孤独や貧しさも、昔からあり、韓国だけでなく今日の日本でも日常的な風景である。しかし、寒々とした風景に立つ3人の孤独は、観る者に痛みを伴って迫ってくる。そして彼らに重くのしかかってくるのが、米軍基地の存在である。黒人米兵からの手紙の返信だけを待っている生活を送る母に愛憎半ばの複雑な感情をもつ黒い肌のチャングクや、戦争で脚を失った父のいるジフム。米軍は、韓国に暗い影を落とす一方、ウノクの目を手術して快復させる米兵もいる。やがて、目を治した見返りに彼女を支配していく麻薬中毒の米兵に、米国は韓国を救うと今度は支配していくという構図が象徴的に描かれ、単なる青春映画の枠を越えて、社会性をもたらしている。ともあれ優れた青春映画は数多くあれど、日本や諸外国にも通じる社会性に、洗練された現代の文化人は弱いのである。

監督は、実際にこども時代に過ごした故郷にいた黒人とのハーフの少年と片目を失明していた少女の存在70%に、30%のフクションを加えたとインタビューで応えているが、この30%の描き方が鬼才の手にかかると観る者に不快感をつのらせながらその静かで独特な映像から目をそらすことができず、強烈な印象を残していく。ジフムがウノクの部屋を夜こっそりのぞき見する場面で、そののぞき穴から光がもれてジフムの左目をまずしく射す情景は、美しくも見事に映画に緊張感をもたらしてくる。
右の画像は映画の中の3人がひと言もしゃべらずに歩くワンシーンだが、巧みな構図と絵画的なセンスに溢れている。また、映画では観客に想像させるだけにとどめているが、食用の犬を撲殺するという野卑で残虐な行為や、彼らが障害者や混血児であったり、貧しさを揶揄したり差別するといった社会の触れたくない底辺をあえて浮き彫りにし、また自分の遊びで妹の目を失明させた兄の存在やジフムを恐喝する不良高校生の仲間われ、犬商人にバイクの荷台に載せた犬用の檻に入れられて運ばれるチャングクの描写など、うんざりするような低俗さも描くのがキム・キドク流。母国の韓国では、女性から嫌われる監督というのもわかる。しかし、淡々とした進行に、謎解きを余韻のように残しながら、残酷な美しさをうかびあがらせるのも、キム・キドクならではである。

荒削りながらも、練られた映像と構成は、よくよく解釈していくとその完成度の高さに感嘆させられる。
彼はこの映画に寄せてこんなことも言っている。

「私はただ幸せな人生は意味がないと考えております」
そんな人生観が、一番のキム・キドク流儀だったのか。。。

■アーカイブ
『うつせみ』
『サマリア』