千の天使がバスケットボールする

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『海と毒薬』

2008-11-19 23:07:56 | Movie
太平洋戦争末期、九州にある大学病院に勤務する研究生の勝呂()と戸田(渡辺謙)は、通称おやじと呼ばれている橋本教授(田村高廣)の元で、診察・治療、研究といそしんでいた。明日の命もわからない敗戦色のこい状況下にも関わらず、大学病院内では医学部長の地位を巡って、橋本教授と権藤教授(神山明)の熾烈な権力闘争がはじまった。ややポイントの低い橋本教授が、打開策として前医学部長の親戚である田部夫人の手術を行うが、失敗してしまう。昇進が絶望視される中、勝呂と戸田は橋本教授断ちに呼び出されて、米軍捕虜達の生体解剖を打ち明けられるのだったが。。。

昭和32年、作家・遠藤周作氏により発表された小説「海と毒薬」に注目した監督の熊井啓監督は、早速昭和40年代には映画化の権利を獲得し、脚本も書き上げたのだが、あまりにもショッキングな内容なので当時の日本映画界では受け入れられず、ようやく映画化されたのがそれから15年後の1986年のことだった。

監督自らの脚本は、原作にかなり忠実である。自ら製作委員長を務めた原作者の遠藤周作氏に気をつかわれた面もあるかもしれないが、小説を読んだ感想では、登場人物の会話が平易で短いにも関わらず、深みがあり情景が目に浮かぶこともあり、殆どそのままのセリフにしたのではないだろうか。例えば、勝呂が最初の患者だったために執着を示した「おばはん」と呼ばれる女性にこどもがいることがわかると、彼は「おばはんに子供がおったとね」と声をかける場面が映画にもある。若い医師である勝呂には、患者としての”おばはん”しか目に見えず、彼女の背景にある女性として妻や母としての暮らしが思いつかない様子が窺がえる。
そんな勝呂役のキャスティングは、当初難航した。奥田英二氏とオーディションに近い面接をした監督は、ほぼ他の俳優に決まりかけた勝呂役を帰り際の奥田さんの後ろ姿があまりにも良かったので、急遽彼を起用することにしたそうだ。小説の中での私のイメージに浮かぶ勝呂は、寒村出身のずんぐりむっくり体型のどちらかと言えば不細工な顔立ち。どこから見ても甘めのイケ面で髪をかきあげる仕草と髪型がお坊ちゃま君の若き頃の奥田氏は、私の勝呂像とかなり違う雰囲気だが、他人への共感性をもちあわせ良心の呵責に悩み苦しむ誠実な人柄と人の良さが映画では、けっこうイケテイル。対する生体解剖も医学への貢献と合理的に考え、世間の罰だけじゃなにも変わらないと言い切る戸田役の渡辺謙は、頭は切れるが少々酷薄なエゴイストなこの役が最高にあっている。監督も一目彼を見て、思わず「お願いします」と頭をさげたそうだ。(ちなみに、アマゾンの解説の登場人物の描写は逆である。)また、柴田助教授役の成田三樹夫、大塚看護婦を演じた岸田今日子や監督も含めて、すでに鬼籍に入られた昭和の映画人の業績に目をみはる思いがした。ベルリン国際映画祭で銀熊賞受賞に価する誇れる映画である。

また社会派の巨匠と言われる監督らしく、手術シーンに必要なベッドや小道具、メス、コッヘルなどの手術道具に至るまで、実際に当時使用された道具を用い、血液は若手スタッフの献血による本物、モノトーンの映像による圧倒的なリアリズムが、異常な状況下における人間のエゴイズムと恐ろしさをあぶりだしている。暗い海が観る者に不安をかきたて、松村禎三の音楽が人間の罪をあばき、戦争という極限の状態に自分もおかれたらと想像すると、米国人による断罪も虚ろに響いてくる。敗戦後、生体解剖実験の事実が明るみになり、GHQによる横浜軍事裁判によって、当時の関係者らに厳しい判決が下された。彼らは出所後も沈黙を続けたまま次々と他界し、唯一の生き証人となった開業医の東野利夫による「汚名-九大生体解剖事件の真相」の著書が出版されている。本土決戦もまじかという異常な状況の当時の雰囲気がわからなければ、絶対に理解できないと述べている。

監督:熊井啓

■アーカイブ
・「海と毒薬」遠藤周作著
・人類共通に仕組まれた倫理観