川の流れていない平原の中、海岸から四十キロ以上も内陸に位置するカイロアン(ケロアン)がどうしてイスラム王朝の首都であり続けたのか不思議だった。
↓旧市街から五百メートル程のところにある9世紀に建設された貯水槽を見て少し納得した

AD856-863年にかけて、このような水槽が十四もあったのだそうだ。

水源は直線距離で23km離れたシュリシラ山から約40㎞の道のりを水道管で引いてきたそうだ。
古代ローマの水道橋の知恵はイスラム王朝にも引き継がれていたということになろうか。
1961年に改修されて、現在でも利用され続けているので現役の貯水槽なのである。
★それでも、この水槽が完成する以前のカイロアン(ケロアン)がどんな水源に寄っていたのか?
※市内を見学してあとから理解することになる
「アグラブ朝の水槽」の立派な入口

小さな土産店のおじさんがオイルをいっしょうけんめい売りについてくる

↑この日本語の文字は明らかに日本人の書いた文字。今回日本からの一般グループをいくつもみかけた。同行している添乗員さんが書いてあげたんでしょう(^.^)
**
イスラム教は最初の王朝であるウマイヤ朝の始祖ムワイーヤと息子のヤズィード一世の治世にアフリカ侵攻をはじめる。
軍団を率いてやってきた将軍ウクバによってAD670年に建設されたアフリカ最初のモスク↓

現在見られるこの建物は、AD863年アッバース朝下に改修されたもの↓
↓街の壁がイコールモスクの壁になっており、外側に初期につくられた名前の無い墓が並んでいる↓


↓このモスクはチュニジアでは珍しく異教徒も中庭へ入れてくれる↓
↓大通りから

中へ入ってみよう。そこには広々とした別世界がひろがっていた↓

中庭から見上げたミナレット↓

↑手前に見えるのは浄水装置
↓この時代には雨水をためる水槽が地下にあったのだそうだ↓

浄化され溜められた水をくみ上げる井戸が三つ見える↓

長い年月つるべによって削られた跡↓今でも水をくみ出す装置がつけられている

↓ミナレットからは一日五回の礼拝を促す声がムワッジンによって叫ばれていた筈だが…

今のような時計のない時代、どうやって「その時」を決めたのだろう?
↓その答えが階段のついた台の上を見ればわかる↓

なるほど!日時計をつかっていたのか
↓ミナレットの基部には9世紀に改修される以前、8世紀に建設されたとされる部分が残る↓そこには古代ローマやキリスト教時代のモニュメントが組み込まれている↓

↓上野写真左側の碑文を拡大したところ

↓周囲の回廊を支える柱は古代ローマの遺跡から再利用されたもの



キリスト教時代の「十字架」を削ったと思われる部分↓

↓この回廊アーチはスペインのアンダルシア地方でみかけるものとそっくりだ↓

イスラム教徒しか入れない礼拝所も外から写真を撮るのはOK
↓正面がメッカの方向を示すキブラ

↓より美しい古代の柱が並んでいる

↓これら赤い絨毯は未婚の女性が奉納する習慣があるのだそうだ

・・・続く
↓旧市街から五百メートル程のところにある9世紀に建設された貯水槽を見て少し納得した

AD856-863年にかけて、このような水槽が十四もあったのだそうだ。

水源は直線距離で23km離れたシュリシラ山から約40㎞の道のりを水道管で引いてきたそうだ。
古代ローマの水道橋の知恵はイスラム王朝にも引き継がれていたということになろうか。
1961年に改修されて、現在でも利用され続けているので現役の貯水槽なのである。
★それでも、この水槽が完成する以前のカイロアン(ケロアン)がどんな水源に寄っていたのか?
※市内を見学してあとから理解することになる
「アグラブ朝の水槽」の立派な入口

小さな土産店のおじさんがオイルをいっしょうけんめい売りについてくる

↑この日本語の文字は明らかに日本人の書いた文字。今回日本からの一般グループをいくつもみかけた。同行している添乗員さんが書いてあげたんでしょう(^.^)
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イスラム教は最初の王朝であるウマイヤ朝の始祖ムワイーヤと息子のヤズィード一世の治世にアフリカ侵攻をはじめる。
軍団を率いてやってきた将軍ウクバによってAD670年に建設されたアフリカ最初のモスク↓

現在見られるこの建物は、AD863年アッバース朝下に改修されたもの↓
↓街の壁がイコールモスクの壁になっており、外側に初期につくられた名前の無い墓が並んでいる↓


↓このモスクはチュニジアでは珍しく異教徒も中庭へ入れてくれる↓
↓大通りから

中へ入ってみよう。そこには広々とした別世界がひろがっていた↓

中庭から見上げたミナレット↓

↑手前に見えるのは浄水装置
↓この時代には雨水をためる水槽が地下にあったのだそうだ↓

浄化され溜められた水をくみ上げる井戸が三つ見える↓

長い年月つるべによって削られた跡↓今でも水をくみ出す装置がつけられている

↓ミナレットからは一日五回の礼拝を促す声がムワッジンによって叫ばれていた筈だが…

今のような時計のない時代、どうやって「その時」を決めたのだろう?
↓その答えが階段のついた台の上を見ればわかる↓

なるほど!日時計をつかっていたのか
↓ミナレットの基部には9世紀に改修される以前、8世紀に建設されたとされる部分が残る↓そこには古代ローマやキリスト教時代のモニュメントが組み込まれている↓

↓上野写真左側の碑文を拡大したところ

↓周囲の回廊を支える柱は古代ローマの遺跡から再利用されたもの



キリスト教時代の「十字架」を削ったと思われる部分↓

↓この回廊アーチはスペインのアンダルシア地方でみかけるものとそっくりだ↓

イスラム教徒しか入れない礼拝所も外から写真を撮るのはOK
↓正面がメッカの方向を示すキブラ

↓より美しい古代の柱が並んでいる

↓これら赤い絨毯は未婚の女性が奉納する習慣があるのだそうだ

・・・続く