旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

コインブラ大学

2019-04-30 15:00:00 | ポルトガル
コインブラ大学の正門前に着くとすぐにかわいいペンを売りにやってきた学生さん

大学の行事のための資金を学生自身の手でもまかなえるように、伝統的にしていることの一環だそうだ。

コインブラ大学のある場所そのものがポルトガルの歴史と深くつながっている。
↓この門の向こうが旧キャンパス

もともとはローマの神殿があった丘だが、中世には王宮+城塞になっていた。
1537年にこのコインブラ大学がここに建設された↓

中に入ると丘の頂上に位置していることがわかる。
この場所に大学を移動させてコインブラ大学としたジョアン三世の像が立っている
※大学の前身は1290年にリスボンに創立されたラテン語の「一般教養学院」

上の写真で写っている建物が歴史ある図書館で、以前はここと礼拝堂ぐらいしか見ていなかったのだが、今回はみっちり案内してもらった。
↓数年前から時間予約制で地下の入口から入るように変わった

我々は15時の入場。
ここから入った部分は数年前まで実際に学生が勉強室にしていたのだという。

ポルトガルの人文学者・画家のフランチェスコ・ホランダの展示会をやっていた↓

前出のジョアン三世王に仕えた人物

↓上の古い図書館部分に入っていく(写真撮影禁止)
圧倒される書架が左右にそびえている。
ところどころに白い紙が挟まっているのは、その部分が定位置の図書が貸し出されているからだそうだ。
この古い図書館で、意図的に飼われている動物がいる。
それは、コウモリ! 本につく虫を食べてくれるからだそうだ
人間の出入りする昼間は出てこないが天井近くの巣で眠っている
↓この扉の隙間から外へも出入りしている

夜にはテーブルにビニールを敷いておき、朝その上にちらばったコウモリのフンを掃除するのだと、係員のおじさん↓
↓さて、外にでましょう。

以前はこの入口から入っていたで外からの砂が部屋にはいるという問題があったとのこと。
**
大学礼拝堂へ

タイル装飾は18世紀ごろに付け加えられた

↑タイルのデザインは数限りなくあるので壊れると同じものを補充するのはたいへん
似ているのでがまんすることもあるそうな
↓主祭壇近くにはマクラダの聖母が冠をかぶっている

ポルトガルの王と王妃は伝統的に冠をかぶらなかったそうだが、
それは、ポルトガルの守護聖人がこのマリアであり、
彼女が冠をかぶっているから、だと教えてくれた。

↓オルガン

***
階段に制服のマントを着た学生たちがたくさんいる↓

今日は、近く行われる祭りに配られる冊子のための写真をクラスごとに撮影しているのだそうだ。
大学に制服?と、思われるかもしれないが、大学にこそ制服が必要だった。
★貧富に関係なく学生たちが学ぶことができるように
服装で差別・区別されないように、
制服が支給されたのだそうだ。
当時の校則に「華美に過ぎる服装をしないように」という項目があったそうな。


実際の教室がある上の階へ
ついさっきまで授業をやってきた大教室↓


★「建築学部PHDの試験中だそうです。三時間ぐらいはかかるんですよ」↓
え?そんなところを上から見ちゃっていいんですか?

これ、今回いちばん興味深い光景だった
試験をうけているのは左手手前でPCを開きながら説明している人
右手で教授たちがそれを聴いている。
向こうでは学生が許可した友人や家族が見守っている。
この部屋は1655年から、こうして使われてきたそうな。

コインブラ大学で学位をとれば、
それはほんとうに栄誉な事なのだろう(^.^)

コインブラ大学はポルトガル語圏で最初の大学であり、現在でも新しい言葉が出てきた時にポルトガル語でそれをどう呼ぶかを審査している機関があるのだそうだ。
これはつまり、フランスの「アカデミー・フランセズ」みたいな場所だということ。

↓大学は伝統的に宗教者がはじめたものだった。
ダ・ガマ家の人もそこにはいたのですね


建物の屋根に乗っていた天使の像のホンモノはこちら


****
↓これから降りてゆく旧市街の3D映像があった↓

頂上の大学から、指さしている門のところまで降りていこう。
↓途中にあるロマネスクの大聖堂は今もほとんどそのままのカタチで見えている↓










コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ポルト半日観光 | トップ | コインブラ旧市街 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。