旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ポルト半日観光

2019-04-30 12:00:00 | ポルトガル
レロ・イ・イルマオン書店は入場料をとる書店。

入ってすぐ、全面が装飾された書棚が広がる

※この書店の写真をこちらに載せました
**

朝食

曇りがちでけっこう寒いと感じる朝、まずは大聖堂へ↓まるで要塞のようなつくり

実際にここは防衛拠点でもあったようだ。古くはローマ人の神殿があったとされる丘の上。
↓騎馬姿のヴィマラ・ペレスは九世紀の人↓イスラム教徒をこの地から追い出したとされる

当時はまだポルトガルという国はなく、スペインという国の概念もない。
イスラム教徒によって北スペインの山間部に、追い詰められたキリスト教徒最後の国アストゥリアスがあったのみ。
彼はその王族の血を引くとおもわれている。

スペインのガリシア地方とポルトガルの故郷を流れるミーニョ川とこのポルトを流れるドゥエロ川の一帯をイスラム教徒の手から取戻したので、ポルトガルの基を築いた人物とみなされているのだ。

***
大聖堂の内部と付属の修道院

中庭が二つのこされている。奥で修復が行われていた方が古そう↓

↓現在でも司教の埋葬がつづけられている聖具室↓


大聖堂前の広場にあるツーリストインフォメーションの建物↓解説をきいておどろいた

この建物はもともと大聖堂の近くにあったのを移築したのそうだ↓このあたり?

大聖堂の周辺は二十世紀はじめまで中世からの建物を利用した古い家がぎっしり建てられていたのだと分かった。
残されているこういう家だろう↓

↓ポルトの古い家並みとドゥエロ川を見渡す高台にある↓


横を下りていく急な階段の道がある↓

****
「ポルトでいちばん細い家があるんだよ」と指差す方向には↓

教会が二つならんでいるだけ。
でも、よく見ると二つの教会の間に幅一メートル程の二階建ての家が挟まっている!

左は1628年に建設されたカルメリータ会の教会と修道院、
右はその百年ほど後つくられたカルモ会の修道院
間に家を建てたのは、前者は女性修道院で後者は男性修道院だったからだそうな(^.^)

*****空はいつの間にか青空
川沿いのリベイラ地区まで降りてきた

ポルトでもっとも古いエリアで、商業用の広場の奥に古い家がひしめき合っている

15世紀のエンリケ航海王子が生まれた家がすぐ近くにあるので、この銅像も


エッフェルの弟子が建設したドン・ルイス一世橋を渡って対岸へ

昔はポルトワインを積んで行き来していた船が今は観光客のクルーズ船になっている

対岸のカレ地区はポルトワインの工場がずらりとならぶ
その中でサンドマンを見学↓

1790年に若きスコットランド人ジョージ・サンドマンがロンドンで創設した会社。
ワインをつくることができない(できなかった?)イギリスではスペインやポルトガルのブドウをつかってイギリス人好みのワインをつくっていたのだ。
サンドマンのシンボルマークはこの帽子とマントのスタイル↓

帽子はスペインのヘレス(英語読みすればシェリー)デ・ラ・フロンテラの男たちのスタイル。
マント(ポルトガル語で「カッパ」)は、ポルトガルのコインブラ大学の学生が今でも着ているスタイル。
二国に工場を持っていたサンドマン氏が考案したシンボルマークとなった。

一見古めかしく見えるが最新設備の工場。
↓このパイプにはワインがながれているのを見せるために透明にしてある

↓なんと百年をこえるビンテージもあるのだそうだ↓

なんと強靭なワインだろう。

ふたたび橋を渡りリベイラ地区へもどる
 


昼食は路地の一軒


メインの鴨ごはんはいたくおいしかった(^.^)


午後はコインブラへ向かいます

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北方向からポルトの街に到着 | トップ | コインブラ大学 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。