かつて、この普賢菩薩像が諏訪大明神そのものとして祀られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/22/ef27ee3a45c86d6386dc9085be124e4f.jpg)
明治の廃仏毀釈で諏訪大社上社本宮から出された。
幸い破壊は免れ、仏法紹隆寺に引き取られて百五十年が経った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/b1/7c0d0f7d1fc2c1beaf25cf095e59a84a.jpg)
平成二十七年ついに本格的に修復され、神秘的な姿をとりもどしている。
★諏訪プロジェクトの表紙としてとりあげられている
*
来週10/16-18で催行する《手造の旅》信州上田と諏訪。
行程に入れたけれど自分自身で訪れていなかったこの場所を、どうしても下見しておきたかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fb/6929a8ffddd751b0f550f51ca1adfff1.jpg)
仏法紹隆寺は坂上田村麻呂がお礼参りに訪れ、弘法大師空海が学問寺に指定したと伝わる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d4/f6322f2d56ffbdecaef79d8dcae238e2.jpg)
それは伝説にしても、江戸時代には高島藩の祈祷寺院であり、諏訪大社の仏事を行い、民の税金徴収の役もしていた要の寺である。
明治になって神社と寺を厳しく分離することになったとき、諏訪大社上社の仏像関係の重要なものがここに避難したのだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/92/276c8c4f3a9d0c31e17741475626a239.jpg)
冒頭の普賢菩薩像のために、東京高輪の高野山別院から昭和に移築された明治の建物がこれ↑
建物に近づくにつれ、普賢菩薩像が見えてきたのにはわくわくさせられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/04/ae/6336306420e8930e5980ad0161fedfea_s.jpg)
↑ゾウは鎌倉時代の作、その当時背中に乗っていた菩薩は信長によって破壊された。
その後しばらくして16世紀につくりなおしたものを現在みているものだが、オリジナルよりだいぶん小さくなってしまったと推察されている。
両者には三百年の時代差がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/65/70fc4a25e1f8b0259823db6888ca1a76.jpg)
ゾウの足が変にまっすぐな感じがして、あとの時代に下手に修復されているのではないかと訊ねたが…
「いえ、あれはオリジナルのようです。後補(あとからおぎなった部分)は、ゾウの背中にかけられた布の一部分、それからゾウの首も材木を足してあるようです」
住職の岩崎さんがお忙しい中いっしょに来てお話してくださった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/64/dbb721975397ecb8c79cfc0565a3c4a0.jpg)
隣に置かれていた↑この二体も諏訪大社で脇侍だったものだそうだ↑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/86/440b38e2d0f687e1c8cdd8bc7b7f0e5b.jpg)
右の文殊菩薩は目の一部に破損の跡がある↑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/37/819665b26c4cdb288c5231d6ebf94a75.jpg)
毘沙門天は修復前は顔と手足は欠損していたのだそうだ。
それでもあきらかに、となりの文殊菩薩より洗練された造形。
諏訪には中央から腕の立つ職人が仕事を残している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/d5/f0b1a65ec5bd7803b0e57835b70b8545.jpg)
↑宝物館に収蔵されているこの不動明王は、近年の研究で運慶の自身の作ではないかとされている。横須賀浄楽寺のものととても良く似ている※横須賀タウン誌のページにリンクします
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/47/a30726fc82b824a83aac96508323e119.jpg)
↑かつて諏訪大社上社にあった普賢堂の扁額※宝物館収蔵↑建物は廃仏毀釈で壊さた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/29/0a7ac0d779c7a98c685ab92d64e997f6.jpg)
仏法紹隆寺は庭も見るべき場所である↑
一週間後の10月18日の再訪がより楽しみになった(^^)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/22/ef27ee3a45c86d6386dc9085be124e4f.jpg)
明治の廃仏毀釈で諏訪大社上社本宮から出された。
幸い破壊は免れ、仏法紹隆寺に引き取られて百五十年が経った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/b1/7c0d0f7d1fc2c1beaf25cf095e59a84a.jpg)
平成二十七年ついに本格的に修復され、神秘的な姿をとりもどしている。
★諏訪プロジェクトの表紙としてとりあげられている
*
来週10/16-18で催行する《手造の旅》信州上田と諏訪。
行程に入れたけれど自分自身で訪れていなかったこの場所を、どうしても下見しておきたかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fb/6929a8ffddd751b0f550f51ca1adfff1.jpg)
仏法紹隆寺は坂上田村麻呂がお礼参りに訪れ、弘法大師空海が学問寺に指定したと伝わる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d4/f6322f2d56ffbdecaef79d8dcae238e2.jpg)
それは伝説にしても、江戸時代には高島藩の祈祷寺院であり、諏訪大社の仏事を行い、民の税金徴収の役もしていた要の寺である。
明治になって神社と寺を厳しく分離することになったとき、諏訪大社上社の仏像関係の重要なものがここに避難したのだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/92/276c8c4f3a9d0c31e17741475626a239.jpg)
冒頭の普賢菩薩像のために、東京高輪の高野山別院から昭和に移築された明治の建物がこれ↑
建物に近づくにつれ、普賢菩薩像が見えてきたのにはわくわくさせられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/04/ae/6336306420e8930e5980ad0161fedfea_s.jpg)
↑ゾウは鎌倉時代の作、その当時背中に乗っていた菩薩は信長によって破壊された。
その後しばらくして16世紀につくりなおしたものを現在みているものだが、オリジナルよりだいぶん小さくなってしまったと推察されている。
両者には三百年の時代差がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/65/70fc4a25e1f8b0259823db6888ca1a76.jpg)
ゾウの足が変にまっすぐな感じがして、あとの時代に下手に修復されているのではないかと訊ねたが…
「いえ、あれはオリジナルのようです。後補(あとからおぎなった部分)は、ゾウの背中にかけられた布の一部分、それからゾウの首も材木を足してあるようです」
住職の岩崎さんがお忙しい中いっしょに来てお話してくださった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/64/dbb721975397ecb8c79cfc0565a3c4a0.jpg)
隣に置かれていた↑この二体も諏訪大社で脇侍だったものだそうだ↑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/86/440b38e2d0f687e1c8cdd8bc7b7f0e5b.jpg)
右の文殊菩薩は目の一部に破損の跡がある↑
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毘沙門天は修復前は顔と手足は欠損していたのだそうだ。
それでもあきらかに、となりの文殊菩薩より洗練された造形。
諏訪には中央から腕の立つ職人が仕事を残している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/d5/f0b1a65ec5bd7803b0e57835b70b8545.jpg)
↑宝物館に収蔵されているこの不動明王は、近年の研究で運慶の自身の作ではないかとされている。横須賀浄楽寺のものととても良く似ている※横須賀タウン誌のページにリンクします
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/47/a30726fc82b824a83aac96508323e119.jpg)
↑かつて諏訪大社上社にあった普賢堂の扁額※宝物館収蔵↑建物は廃仏毀釈で壊さた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/29/0a7ac0d779c7a98c685ab92d64e997f6.jpg)
仏法紹隆寺は庭も見るべき場所である↑
一週間後の10月18日の再訪がより楽しみになった(^^)