旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

諏訪下見~仏法紹隆寺

2022-10-12 14:57:20 | 国内
かつて、この普賢菩薩像が諏訪大明神そのものとして祀られていた。

明治の廃仏毀釈で諏訪大社上社本宮から出された。
幸い破壊は免れ、仏法紹隆寺に引き取られて百五十年が経った。

平成二十七年ついに本格的に修復され、神秘的な姿をとりもどしている。
★諏訪プロジェクトの表紙としてとりあげられている

来週10/16-18で催行する《手造の旅》信州上田と諏訪。
行程に入れたけれど自分自身で訪れていなかったこの場所を、どうしても下見しておきたかった。

仏法紹隆寺は坂上田村麻呂がお礼参りに訪れ、弘法大師空海が学問寺に指定したと伝わる。

それは伝説にしても、江戸時代には高島藩の祈祷寺院であり、諏訪大社の仏事を行い、民の税金徴収の役もしていた要の寺である。
明治になって神社と寺を厳しく分離することになったとき、諏訪大社上社の仏像関係の重要なものがここに避難したのだった。

冒頭の普賢菩薩像のために、東京高輪の高野山別院から昭和に移築された明治の建物がこれ↑
建物に近づくにつれ、普賢菩薩像が見えてきたのにはわくわくさせられた。

↑ゾウは鎌倉時代の作、その当時背中に乗っていた菩薩は信長によって破壊された。
その後しばらくして16世紀につくりなおしたものを現在みているものだが、オリジナルよりだいぶん小さくなってしまったと推察されている。
両者には三百年の時代差がある。

ゾウの足が変にまっすぐな感じがして、あとの時代に下手に修復されているのではないかと訊ねたが…
「いえ、あれはオリジナルのようです。後補(あとからおぎなった部分)は、ゾウの背中にかけられた布の一部分、それからゾウの首も材木を足してあるようです」
住職の岩崎さんがお忙しい中いっしょに来てお話してくださった。

隣に置かれていた↑この二体も諏訪大社で脇侍だったものだそうだ↑

右の文殊菩薩は目の一部に破損の跡がある↑

毘沙門天は修復前は顔と手足は欠損していたのだそうだ。
それでもあきらかに、となりの文殊菩薩より洗練された造形。
諏訪には中央から腕の立つ職人が仕事を残している。

↑宝物館に収蔵されているこの不動明王は、近年の研究で運慶の自身の作ではないかとされている。横須賀浄楽寺のものととても良く似ている※横須賀タウン誌のページにリンクします

↑かつて諏訪大社上社にあった普賢堂の扁額※宝物館収蔵↑建物は廃仏毀釈で壊さた

仏法紹隆寺は庭も見るべき場所である↑

一週間後の10月18日の再訪がより楽しみになった(^^)
コメント
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