【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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藤沢周平『半生の記』文春文庫、

2011-05-19 00:03:16 | 評論/評伝/自伝

                半生の記 (文春文庫)
 松岡正剛「千夜一夜」では、選ばれた著者の本は一冊限りということになっています。藤沢周平の本はこの「半生の記」が採択されています。それで、読んでみました。

 著者自身は自伝とか自分史を書こうとは思っていなかった、と語っています。作品に自ずから自分が出るのだし、振り返ってみる自分の過去に書き残すに値するものはないからだ、と言っています。藤沢周平はそれで「含羞の作家」とも呼ばれています。

 それでは、なぜ「半生の記」を著したのかというと、それは自身が「小説を書くようになった経緯、・・・どのような道筋があって私は小説家になったのだろうか」を確認しておきたいから、ということのようです(p.10)。

 東北の田舎の農家に生まれ(1927年12月26日)、いろりのまわりで父母のむかし話を聞き育ち、学校は嫌いでした。本を読むことは好きでした。

 5年生のときにの担任の先生の教育(授業をつぶして本を読んでくれた)が著者のとりとめもない活字好き明確に小説好きに変える鍵となったとあります(p.40)。小説好きの友人も多かったとのこと。

 その後、昼間は印刷会社で働きながら鶴岡中学校夜間部に通います。さらに、湯田川中学校の教員をつとめながら(結核の療養生活を経験)、同人誌に参加し、小説家の道に近づいていったのです。この湯田川中学校の校長が、著者に東京で小説家になるのがよいのではないかと示唆したようで、このアドバイスが大きな影響を与えたようです(pp.100-103)。

 そして結婚。業界新聞者を転々とし、生活は不安定でした。最初の妻は若くして亡くなりました。小説を書き始め、「冥い海」がオール読物新人賞に選ばれましたが、それでも「このとき、私にしても妻の和子にしても、将来小説を書いて暮らして行くことになるとは夢にも思っていなかった。そのあとのことは成行きとしてしか言えない」と書いています(p.110)。昭和46年(1971年)、44歳の時でした。

 半生の記はここで終わっています。本書にはもう一遍「わが山形の思い出」が入っています。青春記です。「半生の記」「わが山形の思い出」ともども、読みやすく人柄が滲みでています。藤沢文学という人肌温泉の源泉かけながしです。


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