【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

今年は太宰治生誕100年

2009-07-08 00:29:39 | 評論/評伝/自伝
津島美知子『回想の太宰治』人文書院、1978年

                               
                             


 「太宰は箸を使うことが大変上手な人であった。長い指で長い箸の先だけ使って、ことに魚の食べ方がきれいだった。あれほど箸づかいのすっきりした人は少ないと思う」(p.83)。

 著者は太宰治の妻でしたから、生活者としての太宰のことをよく知っています。当然といえば当然ですが、上記のような文章は妻でなければ書けないのでは。

 著者は夫だった太宰について書いたものを加筆しつつまとめ、このような本にしました。

 冒頭、結婚にいたった経緯の回想があります。甲府での話です。以来、太宰が愛人と入水自殺するまで、妻として生活をともにしました。

 生活者としての太宰といっても、力仕事はだめでペンをもつことだけであしたから、著者の苦労は人並みでなく、「金の卵を抱いている男」と渾名をつけていたとか(p.31)。

 それでも、戦争中、甲府から千代田村への荷物疎開のおりに、大八車を引いていた太宰が著者に「荷車に乗れ」(p.103)と言ったり優しいところがありました。

 何かおもしろくないことがあって、著者は結婚前に交わした手紙やはがきを庭で燃やしてしまった(p.41)とか、ラジオや時計を含めて家財道具など買わなかった太宰が闇商人らしきものから懐中時計を買ったのを著者がむしょうに腹がたってなじったとか(p.177)、ありのままが書かれています。

 「太宰治」という筆名の由来(友人が「万葉集」をめくっているうちに「太宰」というのはどうかと言って、「よかろう」ということになったとか[p.154])、『女生徒』で使ったノートの書き手であるS子さんのこと、『右大臣実朝』『惜別』執筆の裏話、など興味つきません。

 銀座「ルパン」での太宰の有名な写真がありますが、穿いている靴は配給された兵隊靴で、いい靴が手に入りにくかった戦後、太宰が上機嫌で穿いていたという記述もありました(p.180)。

 「主観のかたまり」(p.196)のような太宰でしたが、人間臭さはその文学とともに一流でした。今年は太宰治生誕100年です。

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