浜口梧陵(1820-1885)という大きな仕事をした人でありながら、あまり知られていない人物の生涯を平易に紹介した本です。あまり知られていない人とはいえ、古い小学校の教科書にのっていた話「稲むらの火」(原典は小泉八雲の「生ける神」)のその人といえば、知る人ぞ知るということらしいです。
その話とは、ある海辺の村を襲った大津波を庄屋の五兵衛がいち早く察知し、刈り取った大切な稲むら(稲の束)に火を放って村人に知らせ、おおぜいの命を救ったというものです。[この話、本当に農家の貴重な財産である稲むらだったかは疑わしく、実際にはすすき、または脱穀後の稲藁だったのではないかと、著者は推測しています(p.61)]。
この五兵衛が浜口梧陵その人であり、紀州広村・現和歌山県広川町での実話ということのようです。
著者は浜口梧陵のこの逸話を彼の生涯のなかで再考し、この人物を再評価しようとして、この書をあらわしました。
通読すると浜口梧陵なる人物は、醤油醸造業を営む浜口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)当主で、七代目浜口儀兵衛を名乗り、紀州と江戸を行き来した豪商でした。ただ商人だったというだけでなく、儒教思想をふまえ、経世済民のもと社会福祉(とくに医療支援)、社会事業(広村防波堤の敷設)で大きな仕事を成しとげました。
また、藩政改革、教育事業でも多大な貢献があり、故郷の広村に私塾(その後耐久社と改称)を開設し、共立学舎設立に奔走しました。
蘭医・関寛斎、勝海舟、福沢諭吉と交流があり、広い交友関係がありました。政府駅逓頭、和歌山県大参事、国会開設建言総代、県議会初代議長などを歴任しました。経営者として、社会活動家として、江戸末期から明治初期の激浪のなかを駆け抜け、生き抜いた偉人とのことです。
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