【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

ノーマ・フィールド『へんな子じゃないもん』みすず書房、2006年

2010-08-30 00:55:44 | 評論/評伝/自伝
                へんな子じゃないもん

  奇妙な表題の由来は、本書のなかの逸話にあります。病床にあった祖母に、彼女が半世紀以上もむかしに読んだ随筆家の文章を音読してあげたさいに、ふと著者が「おばあちゃま、へんな子をお医者さんのところに連れていくのは、いやじゃなかった?」と質問(著者は子どもの頃、祖母に連れられてしばしば医者に通ったのだった)。
 ふだんもう何もしゃべられない状態にあった祖母が突然こう言ったというのである、「へんな子じゃないもん。自慢の子だもん」(p.183)。表題はここから取ったようです。

 本書は、米兵と日本人の母親との間に生まれ、2つの文化の間を往還しつつ人生を重ねてきた著者が、発作で倒れた祖母の病床につきそいながら、祖母の思い出、祖母と母との関わり、戦争とは何か、平和とは何かを断片的にスケッチした内容のものです。筋があるわけではなく、今風にいえば「ブログ」のように思いついたことを縷々語っていくという手法です。

 小さな見出しはついています。「宝の夢」「カリフォルニア・ワイン」「エスカレーターで」「『ただいま』」「扇風機」「時間」「近所Ⅰ」「花の話」「寝具」・・・。

 たどられる記憶の手触り、祖母の意識下にあった忘れられた記憶。著者は本書に込めたかったことを次のように述べています、「これで過ぎ去る世界への愛着説明しえたとは毛頭思っていない。譲るべくして消えていく制度や慣習はいくらもあるし、愛着自体、一義的に理解できるものではない。とりあえず、というより、まずは愛着の記録を残したかった。それは説明しなくてもよいことなのかもしれない。さらに、その記録をとおし、私が育った一庶民の家庭の戦後史を垣間見ることができると思う。それが他人にとっても関心事でありうると考えるのが奢りだけでないことを切に願う。個々人の生涯を織りなす愛着とそれが生み出す葛藤と、社会と歴史の大きな流れとの関係を追ってみたかった。平行線をたどるように見えながら、後者が前者の振幅のみならずその内実までにも入り込んでいる様子をとらえたかったが、それはかなり難しいことである」と(pp.251-252)。

 文中、写真家・土門拳のことにかなりページを割いて書きこんでいることが印象に残りました(pp.73-88)。筆者はここで土門の作品に強い共感、魅力を感じながらも、作品を「日本民族」のエートスと結び付けようとしていることに違和感をもち、抵抗しています。

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