井上ユリ/小森陽一『米原万里を語る』かもがわ出版、2009年
2006年5月に亡くなったロシア語同時通訳者で文筆家でもあった米原万里さんをめぐる「家族文集」、「家族会議録」です。
それほど厚い本ではありませんが、内容が豊富です。
第一章では井上ひさしさんと井上ユリさんの対談、第四章では小森陽一さんと井上ユリさんの対談。第二章ではノンフィクション作家の吉岡忍さんが、第三章ではTBSの金平茂紀さんが想いでを書いています。
この本を読むと万里さんがどれだけ奇想天外な発想の持ち主であり、ロシア語同時通訳者としての能力が高かったか、作家としての資質も十分で、もっともっと多くの作品を残せたはずの人だったかがわかります。
「国家と国家、文化と文化、異なる言語と言語の間、異なる時代と時代の間を境界線を侵しながら行き来する[小森さんの「あとがき」]」(p.178)万里さんは、「記憶の人」「工夫の人」「発明の人」「核心をつかむ人」でした。
万里さん、ユリさん、小森さんは幼少の頃、プラハで学んでいたこともあり、そこでの教育と日本のそれとの大きな違い、など興味深い話がたくさん盛り込まれていました。
それほど厚い本ではありませんが、内容が豊富です。
第一章では井上ひさしさんと井上ユリさんの対談、第四章では小森陽一さんと井上ユリさんの対談。第二章ではノンフィクション作家の吉岡忍さんが、第三章ではTBSの金平茂紀さんが想いでを書いています。
この本を読むと万里さんがどれだけ奇想天外な発想の持ち主であり、ロシア語同時通訳者としての能力が高かったか、作家としての資質も十分で、もっともっと多くの作品を残せたはずの人だったかがわかります。
「国家と国家、文化と文化、異なる言語と言語の間、異なる時代と時代の間を境界線を侵しながら行き来する[小森さんの「あとがき」]」(p.178)万里さんは、「記憶の人」「工夫の人」「発明の人」「核心をつかむ人」でした。
万里さん、ユリさん、小森さんは幼少の頃、プラハで学んでいたこともあり、そこでの教育と日本のそれとの大きな違い、など興味深い話がたくさん盛り込まれていました。
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