【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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小森陽一『村上春樹論-「海辺のカフカ」を精読する-』平凡社新書、2005年

2008-10-05 22:57:44 | 評論/評伝/自伝
小森陽一『村上春樹論-「海辺のカフカ」を精読する-』平凡社新書、2005年

          村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する  /小森陽一/著 [本]

 現代文学の旗手として神格化されている村上春樹氏。その村上氏によって書かれたベストセラー『海辺のカフカ』を精読し、その危うい内容、危険な役割を綿密なテキスト・クレティークで論証した本です。

 著者は『海辺のカフカ』を「処刑小説」と断罪しています。

 『海辺のカフカ』の危険な内容と言うのは、要約すれば①人間がしてはいけないこと、すなわち「人殺し」と「近親相姦」の肯定、②個人的動機による殺人と「戦争」や「ホロコースト」とが等価とみなされ、それらを<いたしかたないこと>としてしまう文学的背信、③一貫した女性嫌悪(ミソジニー)と「女性であることが罪」とする視点(「精神のある人間として呼吸している」「女」の存在の抹殺)、④歴史の否認、否定(史実を読者に一度想起させたうえでその一連の記憶を物語り内部で消去していく巧妙な手口)、などです。

 著者自身の言葉を借りれば、『海辺のカフカ』は「分身の二重化をほどこされた偽オイディプス物語の枠組みを持ち、(バートン版)『千夜一夜物語』から、女性の性的欲望に対する不信を基にした男性側の女性嫌悪(ミソジニー)を引き継ぎ、フランス・カフカの『流刑地にて』の処刑小説という主題を流用した『海辺のカフカ』という小説は、これら複数の先行する文学テクストを、夏目漱石の『義美人草』を媒介に結合し、『坑夫』を通じて、記憶とその想起をめぐる自我心理学的小説の方向性を持つかのように装いながら、小説という表現手段を処刑する」構造になっている(p.178)、ということになります。

 さらに「昭和天皇ヒロヒトの戦争責任が密かに小説のなかで免責され」(p..224)たばかりか、「侵略戦争の中心的な責任を担うはずの、昭和天皇ヒロヒトを自力で裁かないで放置した」(pp.241-242)団塊の世代の限界も指摘しています。

 わたしは『海辺のカフカ』そのものを読んでいないので文脈が分かりにくいところはありますが、著者の大方の指摘は正鵠を射ているのではないでしょうか。そう読みました。

<目次>
第1章 『海辺のカフカ』とオイディプス神話
第2章 甲村図書館と書物の迷宮
第3章 カフカ少年はなぜ夏目漱石を読むのか-甲村図書館と書物の迷宮2
第4章 ナカタさんと戦争の記憶
第5章 『海辺のカフカ』と戦後日本社会

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