【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

加藤周一の日本人論、知識人論

2009-04-21 14:56:30 | 評論/評伝/自伝
加藤周一『日本人とは何か』講談社、1976年              
             

 知の巨人、加藤周一(1919-2008)の日本人論、知識人論です。

 8編の論稿が収められていますが、いずれも1960年前後に書かれたものです。

 著者は日本ではもとより西欧で長く生活し、複眼的な目で日本、日本人、知識人のありかたを見据えています。

 たとえば、しばしば日本的なものと国学の流れが強調する「わび、さび、枯淡」は日本の文学、芸術の一面にすぎないことを指摘し、日本文化の雑種性、外来文化混入を前提とした文化の普遍的基準の確立を唱えます。

 また、日本は経済的な面での長い間の孤立は脱却しつつありますが、政治的な面では孤立の事情は変わっていない、日本のアジアでの伝統的孤立は変化がないと述べています。

 天皇制の洞察は鋭く、日本の近代化には歪みがあり、その集中的表現が天皇制と説いています。1956年9月に天皇制と宗教意識に関する世論調査(調査票約6000)を全国規模で行った結果が紹介されていて、まことに興味深いです。

 最後に知識人について、また知識人が大東亜戦争とどのように関わったかについての考察がなされています。内容の要約は難しいですが、日本の知識人は(イギリス、フランスなどと比べると)政治にも、大衆文化にも影響力をもたない抽象的存在で、そのような孤立的状況も手伝って、大多数が太平洋戦争を聖戦と礼賛し、皇軍のたたかいを熱狂的に支援したと分析しています。

 知識人の思想は、結局、西洋思想の受け売りであり、生活意識と日本の伝統を媒介としていませんでした。著者は、このことが知識人の思想が真の意味での科学的精神を欠く脆弱な内容のものとならざるをえなかった理由である、と述べています。
 この内容は著者の叙述に即して言えば、論旨は概ね、次のとおりです。戦争中、知識人にとっての思想の価値は、実生活上の便宜、習慣、感情、「小集団を支配する家族的意識」を超越するものではありませんでした。倫理的価値、美的価値、科学的真理は、生活の論理に屈服したのです。日本は超越的価値概念、真理概念を生むことができず、外来思想を頭で理解していました。それこそが知識人の戦争協力という事実の背景でした。批判の矛先はとくに日本浪漫派、京都哲学に向けられています。

 「思想」が国家をも超越する価値として捉えていたわずかな知識人のみが、その脆弱性を回避でき、戦争協力や戦争賛美と無縁な場所にいたとも書きくわえています。
    
    
                
               
             
 

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