kenroのミニコミ

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群舞の複雑さに感嘆   NYCB2013

2013-11-04 | 舞台
有吉京子「SWAN(スワン)」で主人公の聖真澄が、正統派クラシックの世界からニューヨークのバランシンに指導を受けるシーン。正確には覚えていないが、バランシンは「考えるな」「構成するな」「解釈するな」と体が自然に音楽に反応、あるいは身体そのものが音楽になることを要求した。ロシア・バレエの正統にて大御所マリンスキー、バレエ・リュス出身のバランシンがアメリカに渡った後は、クラシックの伝統的な舞台ではなく、身体反応としてのバレエを求めた。
バランシンのすごいところは、そうは言ってもクラシック・バレエの基本を押さえた上での振り付けであるということ。それはもちろんそうだろう、白鳥と黒鳥のダンスが入れ替わるなんてありえない。が、今回NYCB(New York City Ballet)の公演で分かったのは、体が反応とは正反対のコール・ド・バレエの構成力の高さ。コール・ド・バレエと書いたが、ここでは群舞がぴったりとくる。今回の「白鳥の湖」ではソロはとても少なく、ほとんどが群舞の醍醐味を実感する演出となっている。それは群舞がおそろしく複雑であるから。通常、コール・ド・バレエというと、16人や24人が同じ動きをくり返す。そろったアラベスクの美しさと言ったらない。しかしバランシンの振り付けは各人が同じ動きをすることを許さない。ある時は一人ひとり順に開くグラデーションに、ある時はまるで美しい統制を拒否するかのようなランダムな舞い。
圧巻は国鳥の乱舞。ヒッチコックの怖い映画に「鳥」があったが、まるで無数の鳥が無秩序に舞っている様。この時、黒鳥に魂を奪われた(白鳥オデットと間違えた)ジークリフトも落命するが、あの黒鳥の群れに巻き込まれれば一たまりもない、と思わせる演出。本当に黒鳥が舞っているように見えたのだ。ブラボー!
ところでNYBCといえば、ストラヴィンスキーの諸作品を圧倒的な技術で展開したことで有名だ。ストラヴィンスキーと言えば「ペトルーシュカ」「火の鳥」「春の祭典」といった難解な作品が多く、それを振り付けた場合の舞いはときに「難解」を継承していて、分かりやすいクラッシック・バレエに慣れた浅薄生にはつらい時がある。その時に冗長な振りではなくて、魅せる振りとは、を体現したのがこのバランシンの群舞である。
群舞を美しく見せるためには一人ひとりの高い技術が必要だ。だから、今回の公演では群舞のダンサー全てがプリンシパル(主役)であり、端役は存在しないのだ。バランシンは最初、乱舞を白鳥でしようと考えていたが、衣装合わせの段階で黒鳥もいいなと転換したという。そう、ジークフリフトを追い込む暗黒の舞いは複雑、そして奔放な無数の黒鳥の舞いこそふさわしい。その一羽、一羽がすばらしく迫力ある前提とともに。
「白鳥」のほかに今回の舞台はコンテンポラリー「The とFour Temperaments」、ビゼーの初期楽曲(17歳のときの作品という!)に着想を得た「Symphony in C」。「Symphony in C」は、コンテンポラリーに少々に戸惑いを感じた観客にサービスのオーソドックスなクラシカル。うまい組み合わせだ。
圧倒的な運動量、目くるめく展開はNYBCの面目躍如。楽しい時間を新しいフェスティバルホールで堪能できた。

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