
信者数13億とも14億とも言われるから、世界人口の5人に一人がキリスト教徒との計算になる。それほど巨大な「世界宗教」のトップの選考に注目が集まるのは当然である。しかしバチカン市国のトップでもある教皇はあくまで人であって神ではない。教皇は世界中の枢機卿から選ばれるのだから、その枢機卿の「人間臭さ」も当然教皇選出のファクターとなる。
バチカンという閉ざされた空間の、それも教皇選挙(コンクラーベ)の期間中を描いた画面はほとんど室内のみ、限られた人物をヒューチャーしているだけなのに、このスリリング、迫力はどうだ。いや、狭い場所と多くのシーンを首席枢密卿、コンクラーベのマネジメントを司るローレンスに焦点を当てているだけでかえってそれらが増すのだろう。傑作であると思う。
2000年の歴史と世界地図のほとんど全てを網羅するキリスト教である。世界史の縮図と言っていい。そこには当然改革派(リベラル)と保守派のヘゲモニー争いがある。監督のエドワード・ベルガーはカトリック教会を「世界最古の家父長制」と呼んでいる。カトリックが女性神父を認めていないことなどを指すが、ずらりと並ぶほとんど高齢の枢機卿は男性ばかり。下働きのシスターの女性たちの姿は見えるが、男性側からはそれは「見えない」存在となっている。しかし不可視の存在側からは「見ていない」わけではない。ローレンスを支えるシスター頭が重要な役割を演じる。
2025年4月現在病床にあるとされるフランシスコ教皇はアルゼンチン出身で、「改革派」とされる。婚姻は男女間のものとする一方、同性カップルにも「祝福」を認めると発言している。世界中から集まる枢機卿であるから、地元ではすでに同性婚が認められた国、イスラム教が多数派の国からも集まる。現実の世界でもヨハネ・パウロ2世はポーランド、ベネディクト16世はドイツ、フランシスコとイタリア以外からが続いている。映画では、教皇はローマから出すべきだと地域(独占)主義を訴える者もおれば、イスラム教徒との「宗教戦争だ」と息巻く者もいる。しかし、ローレンスはじめ、改革派の路線を進めたい者たちとの抗争は激化。アフリカから初の教皇選出かと思われた者は過去の性スキャンダルが、それが明らかになるよう画策した保守派、さらにはイスラム世界、紛争の地カブールから赴いた若く清廉なベニテス枢機卿(メキシコ出身)がどんでん返しで教皇に選出されるが、そのベニテスこそ重大な秘密が。
候補者らの汚職、陰謀などを明かす重要な役割を演じるシスター・アグネスは「私たちシスターは目に見えぬ存在ですが神は目と耳をくださった」。家父長制が引き起こす醜い争い、愚行は家父長制のヒエラルキーから排除された者だからこそ、冷静かつ「神の正義」に基づいて観察しているということだろう。
折しも、トランプが牛耳るアメリカでは、DEI(Diversity、Equity、Inclusion 多様性、公正性、包摂性)を排除する動きが顕著である。反民主主義的価値観、動きが家父長制と親和性が高いことは明らかである。日本も例外ではない。(「教皇選挙」2024 アメリカ・イギリス)
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