kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

アート、アート、アート  NYゆえの至福感 ハーブ&ドロシー

2011-01-30 | 映画
ニューヨークは現代アートのメッカである。筆者もNYを訪れた際、ギャラリーをぶらぶらした。暑い夏の真っ盛りでお休みのギャラリーも多かったが、そこで、ばったりNY在住のアーティスト日影眩氏に遭い、ちょうどレセプション最中のギャラリーに連れて行ってもらった。そこでタダのワインを一杯だけご馳走になり、別のギャラリーへとはしごしたものだ。
SOHOやトライベッキヤなどギャラリーの集まる界隈は、やはりスタイリッシュでどこかスノビッシュだ、と思う。けれど、ヴォーゲル夫妻はどこか泥臭い。泥臭いとまでは言わないまでも、全然あか抜けていない。そのあか抜けていない二人がNYのギャラリーを毎日毎日歩き回って、まだ売れていなかったアーティストの作品を買いまくったというのだから驚きだ。その数4000点超。もちろん、アートの最先端であるSOHOなりのギャラリーがはじめからスタイリッシュでスノビッシュであったわけではないだろう。ハーブ&ドロシーが見出したときはみんな貧乏アーティスト(駆け出しも)だったのだろう。それが成功するかどうかなんて誰にも分からない。けれど、ハーブ&ドロシーは買い続けた。そして、今や多くのアーティストは成功し、その作品価格は、二人が老後を大きな邸宅で過ごすだけの価値を生むものになっている。
けれど、それをしなかったこと、その膨大な収集をワシントン・ナショナル・ギャラリーに無償で寄贈したことがハーブ&ドロシーの素敵さをさらに物語っている。いや、それは分かり切っていたことである。投資や儲け目的であれば、とうに作品は売り飛ばしているし、もっと広い家で「優雅に」生活していたはずである、二人は。1LDKのアパートに住まう二入はアート収集以外のことはあまり気にかけていないようである。想像だが食事も質素で、ファッションに気を付けているようにも見えない。けれど、猫をはじめ、亀や熱帯魚もおり、ドロシーは観劇も趣味というし、大きな家と子どもがいない分、それなりの豊かさを享受していたといえるのではないか。それを凡人は家が、別荘が、車が、ディナーが、クルーズがなどと詮索するが、二人にとってこの上ないぜいたく。それが現代アート収集であるのだ。
アート趣味の筆者としては恥ずかしいが、登場するアーティストは知らない人ばかり。わずかにクリストとジャンヌ・クロードくらいか。言い訳になるが、コンテンポラリーアートの面々は現在も活躍中であり、日本で「回顧展」が開かれることは現在のところ皆無だ(少なくとも関西の美術館では)。NYアートシーンをチェックする仕事でもしていない限り、それらの仕事をコンテンポラリーに覚知、評価することは難しい。ましてやミニマルアート、コンセプチュアルアートは日本ではたいがい分が悪い。しかし、それは一般的に人気があるか?という意味であって、美術館レベルでは意欲的な企画もある。もう随分前だと思うが京都国立近代美術館だったか「ミニマル・マキシマル」と称してミニマルアートのそれこそ体系的な企画展があった。ミニマルアートというとどうしてもその名が冠せられる前、50年代に登場したフランク・ステラの仕事に興味がゆき、「ミニマル」の仕事たる小さな画面に細密な幾何学形、という作品はよく知らなかったのだ。
ステラの仕事はある意味簡明だ。しかし、作品はいかんせん大きい。個人の家に飾るような代物ではない。それがミニマルの時代、ヴォーゲル家にも置けるような作品が増えたのだから福としよう。
ミニマルに続くコンセプチュアルアートは難解だと言われる。しかし、本作の主要アーティスト、ソル・ウィットは「アートに重要なのものは作家のアイデアやコンセプトであり、完成品は二の次だ」と言っていることからも分かるように、(制作)過程がアートなのであって、展示されたとき、その作品の重要な要素はすでにないことになる。
ハーブ&ドロシーにとってもそうだろう。収集が自分たちの趣味あるいは達成感であって、見せびらかすのは、ましてやそれで金儲けするのは「アート」の範疇ではないと。アートとは何か、コレクターとは何か、美術愛好家とは何か? 理屈とは別の世界で成立する「アート」の奥深さと魅力にまた虜になった人たち。
ああ、NYに行きたくなった。筆者もハーブ&ドロシーのように「病膏肓に入る」と生きたいものだが。

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ひとりだからこそつながれる    クレアモントホテル

2011-01-29 | 映画
イギリスでデイムの称号と言えば、ハリポタはマクゴナガル先生のマギー・スミスとか007シリーズのM役、ジュディ・ディンチなど数少ないと勝手に思っていたが、結構授与されているようだ。日本の叙勲制度と同じで、天皇(国王)から授与されることを潔しとしない人はもらわないし(ジョン・レノンは返上)、そもそも候補対象に上がらないだろう。その点、やはり王国だなと感じさせるデイム(男性の場合はナイト)は、映画・演劇といった芸能界でも名をあげた人は喜んで戴くようだ。何よりも名誉であるし、そうはいっても誰でも授与されるものではないからだ。
解説の佐藤忠男が「恥ずかしながらあまり記憶がない」女優と白状されているくらいだから、筆者も全然知らない人であった。ジョーン・プロウライト。デイムの称号を持ち、あの故ローレンス・オリヴィエ夫人であり、数々の賞にノミネートされているという。英国ヴェテラン俳優の常で舞台出身。このプロウライトがとにかくすばらしい。賢くてウイットに富んでいて、それでいてやさしい。
パルフリー夫人は、口うるさい娘から逃れたいとの思いもあり、一人クレアモントホテルへ。長期滞在型ホテルの住人?は他人の詮索好き、話題も狭く、アメリカのトレンドドラマを夕食後皆で観るという変なルールもある。期待外れのホテル生活にうんざりしているとき、図書館の帰りに転んで青年に助けられる。小説家をめざす貧乏青年を孫と偽って、ホテルの住人らに紹介するが、いつかそれが本当の孫、いや、孫という生来の肉親関係を超えた信頼関係を持つようになり…。
人間はひとりで生まれ、ひとりで逝く。「ひとり」には「一人」もあるが「独り」もある。パルフリー夫人は若くして最愛の夫アーサーを失くし、家族のために働いてきたが、母子家庭のつらさ故か、娘はかなり厳しい雰囲気。一人でゆるりと過ごしたいと選んだクレアモントホテルはプライバシーのない狭い空間。勘違いした紳士がプロポーズしてきたり、孫の仔細を嗅ぎまわってみたり。けれど、人生の多くは、プライベートとパブリックの均衡をどう計るか?に費やされるといえばそうである。ましてや、ラテンのような情熱型ではなく、天候不順のブリテンの地となれば、余計に他者との距離の計り方に腐心する人生ではあるまいか。
話は変わるが、ジェンダー論、フェミニズム研究等専門の伊田広行さんが、昔、シングルの社会的重要性を述べる中で「ひとりだからこそつながれる。ひとりであるから仲間を求める」みたいなことをおっしゃっていて、社会の仕組みが家族単位で構成される日本のあり方をシングル単位で考えようという意欲的な問題提起として喝采したことを覚えている。伊田さんのシングル論は、当時、日本の非正規雇用が、あまりにも正規雇用と差別されている中で社会をシングル単位で考えることによってそのようなあからさまな差別にノーという明確なテーゼと捉えることができた。
パルフリー夫人は社会的地位、名誉、財産のない青年との交流ではじめて「ひとり」を楽しめたという逆説は、人と人のつながりはそういう外形的な条件ではないという作者の意図を見事に描き出し、そして、そのつながりにも訣れが来る必然を、さわやかに伝えている。
あんな老人でいたいという思いは、本作を見た多くの人の思いではないだろうか。それにしてもだ。いないはずはないのに、ひとりで素敵な男性の老人を描いた作品は女性のそれに比べてとても少ないように思える。イギリス、日本を問わず、現実を反映しているのだろうか。
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描く者の真実の吐露「汝の目を信じよ! 統一ドイツ美術紀行」(徐京植 著)

2011-01-28 | 書籍
徐京植さんの美術関係著作はたいがい読んでいるが、徐さんの発掘でフェリックス・ヌスバウムという名も知ったし、オットー・ディックスの「戦争祭壇画」やエミール・ノルデの「描かれざる絵」のことも知ることができた。徐さんは、ナチスドイツにより迫害された画家のみならずアウシュビッツから生還した医師にも目を向け、その足跡と思念を丹念に追跡してもいる(『プリーモ・レーヴィへの旅』1999年)。その医師プリーモ・レーヴィの追跡とナチスに迫害された上記画家を取り上げたテレビ番組をヒントに筆者も小文をしたためたことがある(「プリーモ・レーヴィへの旅」への旅)。かなり「ええかっこ」した小論であったが、その小文をしたためることによって、3人の画家のことやその3人をしつこく追いかけた徐さんの思いを少しでも知ることができた。
徐さんの美術エッセーの表題はディックスの言葉「肖像画家というものは、すぐに各々の顔に隠れた美点や欠点を読み出し、それを絵画に表現する偉大な人相学者であるといつも思われがちだ。それは文学的な考えだ。画家は「判断」せず「直視」する。私のモットーは「汝の目を信じよ!」である。」からとっている。ディックスの肖像画は対象の醜い面、いや、ディックスに言わせれば対象を「直視」した結果、を描いていて「美しく」はないのだろう。その美しくなさがナチスの逆鱗に触れた。美術はアーリア人の優位を示すとともに、ドイツの理想を描かなければならないとしたナチス思想と相反する美術作品は放逐されたのだ。
徐さんは、ナチスにより「退廃芸術」のレッテルを張られた美術作品を繰り返し、追いかける。その中に、ノルデ、キルヒナー、マルクらドイツ表現主義、ディックス、ベックマンらの新即物主義、そしてヌスバスムらユダヤ人美術が含まれている。2度の世界大戦に従軍したディックスは反ナチスであったわけではない。それどころかナチス党員でもあった。しかし、売春婦を好んで描き、戦争の悲惨な実相を描き続けたディックスを監視し、迫害し、時には逮捕した。海外亡命の道もあったが、ディックスはその道を選ばず、ドイツ国内にとどまり続け「風景への亡命」(徐さん)をしたのである。
戦後東ドイツからはドイツにとどまり続けながらナチスに抗した作品を描いた画家として、西ドイツからは抽象表現主義後の具象芸術を貫いた画家として、両ドイツから評価、賞賛されている。しかし、徐さんの言うようにディックスはそんな評価がほしかったのではもちろんなく、自分の見たままをそのまま、時に醜悪に見える様を描いたにすぎず、また、ディックス自身がそれを己の仕事と達観していたふしさえある。
本書は、ディックス以外に忘れ去られた画家、ヌスバウムを辿る章、虐殺とアートをめぐる記憶の仕方に言及した章、そして、ゴッホの画力に改めて驚かされる対談(画家矢野静明氏との対談)も収めていて必読である。
以前、ドレスデンを訪れたことがあるが、州立美術館の旧館(アルテ・マイスター)を訪れただけでディックスの「戦争祭壇画」がある新館には行くことができなかった。とても残念である。



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イギリス美術ぶらり3(2011年冬)

2011-01-28 | 美術

ロンドン・ナショナルギャラリ―は3度目である。今回はナショナルギャラリーとテート・ブリテン、テート・モダンをまとめて行った。実は、ナショナルギャラリーの良さは今更言うまでもなく、以前取り上げたことがあるので、しつこく述べはしないが、とにかく大きすぎず、小さすぎず、展示も分かりやすく回りやすい。ただ、今回もそうだが、近代=印象派のあたりは人混みがひどいのでゆっくり見る気もせず流しただけで、結局中世とルネサンス、バロックあたりだけきちんと見て、あとは足早に通り過ぎただけである。
ナショナルギャラリーは反時計周りがよい。入館するとすぐにまっすぐ左のセインズベリウイングまで突っ切ると中世の展示、初期ルネサンスから、後期ルネサンス、北方ルネサンスなどわくわくする作品であふれている。なかでも珠玉はダ・ヴィンチの「聖母子と聖アンナと洗礼者聖ヨハネ」、「岩窟の聖母」。「岩窟の聖母」はルーブル版を描き直したといういわく付きの作品。キリスト教絵画を描きながら、従前の決まり事に反旗を翻したダ・ヴィンチ。決まり事とは聖人は光輪が描かれ、それ以外の登場人物と見分けられるようにされていたのだが、ダ・ヴィンチは描かなかった。それを注文主に非難され、光輪を書き加えたが、書き直す前がルーブル版、書き直したのがナショナルギャラリー版であるというのは有名な話だが、ルネサンス以降、ダ・ヴィンチの描き方は主流になり、ラファエロの聖母に光輪などない。ダ・ヴィンチが無理やり書かされた光輪のないルーブル版の方が完成度の高いのは当たり前で、その違いを楽しむことのできるのはナショナルギャラリー版を見てのこと。
ダ・ヴィンチの作品以外にもヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻の肖像」は秀逸。600年の時空を越えた美しさに魅了される。そしてホルバインの「大使たち」。メメントモリ(死を思え)の思想が蔓延した中で、裕福さに満ちた大使らを描きながら、中空に不気味なドクロを、それも、正面からは見えず、右斜め方向からしか見て取れないドクロを描いたホルバインの技量と終末期観に驚くとともに、そのまた異様でない様に感動さえ覚えるのだ。
おっと西ウイングまで来てしまった。ここでは後期ルネサンスの逸品から、クラナッハ、グレコなどイタリア豊満系とは違う作品も楽しめる。ここは後期ルネサンス17世紀以前。目玉はいくつもあるが、クラナッハ「ヴィーナスに訴えるキューピッド」、パルジャニーノ「聖母子と洗礼者聖ヨハネと聖ヒエロニムス」、ティツィアーノ「バッカスとアリアドネ」など。キリスト教世界一辺倒から古代ギリシア・ローマ世界への回帰、復興が目指されたとするルネサンスだが、絵画(彫刻)におけるキリスト教世界はもちろん健在で、それらが中世的神話世界からより人間的表現に重きが置かれたにすぎない。
北ウイングは1700年まで。カラヴァッジョの登場、バロックの花咲く世紀。プッサンの歴史大画、ルーベンスの迫力絵巻、レンブラントの登場によって肖像画が画壇の主流として確立される。宗教画と風俗画が混交し楽しめる時代は次世紀のロココ、19世紀のロマン主義、印象派へと連なっていくが、18世紀以降は東ウイングで先述のとおりゆっくりとは回らなかった。西洋絵画を時代に沿ってひととおり楽しめ、かつ、食傷しない展示量であるのがナショナルギャラリーの魅力であることは何度記述してもしすぎることはない。
ちょうど企画展はカナレットをしていたのだが、大勢の人でゆっくり見られる状況ではなかった。カナレットをはじめ風景画にはあまり興味を持てなかった筆者だが、これほどまでに集められるとすごい! 繊細なタッチに思わず見入るが、イギリス人は大きいのでよく見えない。人混みを避けつつ企画展はほどほどにした。
テート・ブリテンでターナーを見た後、体力・時間の続く限りとテート・モダンへ。ゴーギャンが特別展。日本でよく見られるゴッホとの出会い、別れに重きを置くのではなく、タヒチに渡るまでとタヒチ以後を丹念になぞっていて好感。美術館の規模や運搬料などいろいろな条件が影響しているとは思うが、日本の美術館での特別展は概して小さように思える。本気度が違うというか。いや、ゴーギャンならまだしもカナレット展は日本では流行らないのではないか。美術展示の仕方と、美術好き裾野と。考えさせられた今回のイギリス美術ぶらりでもあった。(マルセル・デュシャン「大ガラス」テート・モダン)
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イギリス美術ぶらり2(2011年冬)

2011-01-17 | 美術

今回はイギリス滞在わずか4日だけだったのでリバプールへの移動を考えるとロンドンは2日。なかでもハムステッドヒース、ケンウッドハウスには行きたかったので、かなり駆け足の旅となった。とは言っても、昔とは違い、無理はせず、今回は数か所しか訪れなかった。
 ケンウッドハウスは、ロンドン郊外の広大な公園、ハムステッドヒースの一角にある。規模はそれほどでもないが、映画「ノッティングヒルの恋人」の舞台になったこと、レンブラントやフェルメールなど少ないコレクションの中で逸品があることで訪れてみたかったのだ。
 17世紀に建築されたケンウッドハウスは、貴族の館からはじまって現在はEnglish Heritageとして登録されている。ハムステッドのなだらかな緑の丘に白く建つ館はまるでおとぎ話の様と誰かが言ったとか。確かに、フランスなど大陸の館はヴェルサイユをはじめとして宮殿、お城が中心でこれでもかというくらいの華やかさと雄大さがあるが、イギリスの館はあくまで地方貴族のもので華やかさには欠けるが、そのシンプルさがまたよいのかもしれない。ロンドンに滞在していた夏目漱石もよく通ったとされるくだんの館は、今はギャラリーとして息づいている。中でもレンブラントの晩年の自画像には引き込まれる。レンブラントほどしつこく自画像を描いた画家も少ないそうであるが、晩年のものほど良いように思える。もともと自画像の名手であったが、自己の老いをこれほどまでに直視し、かつ、まだ生きる意欲というか描く意欲がかいまみられる筆致驚きを禁じ得ない。最晩年レンブラントは破産し、家財をほとんど差し押さえられたほど散在を尽くしたのは有名であるが、それほどまでに好奇心が止むことはなかったのであろう。自己を描くということも。
 ケンウッドハウスの逸品の一つ、フェルメール晩年の「ギターを弾く娘」は貸し出し中であったためか残念ながら拝めなかったが、ゲインズバラなどビクトリア朝を彩るロココの佳品が並んでおり、これはこれでなかなかうれしいもの。ハムステッドヒースで少し道に迷い、ようやくバス停を見つけてたどり着いた価値があった。
 
 ハムステッドヒースからロンドンに戻り、時間があったので寄ったのはサーチギャラリー。設立されてまだ割と新しい現代美術ばかり扱うサーチは、実はその存在を知らなかった。これも映画「マッチポイント」で主人公がデートする場所に使っていたので、ああ、こんなギャラリーがあるのかと行ってみたかったのだ。いかにも現代美術でドでかい作品が多く、数は多くなかったがそれなりに楽しめた。サーチギャラリーに行って感動したのは、向かいにアート関係ばかり出版しているドイツTASCHEN社の専門店があったこと。地下には持ち上げられないような大きさの図録もあり、なにか手に触れてはいけない雰囲気も。日本には持って帰れない?ようなエッチなカタログ誌やカレンダーもあり、それはそれで面白かった。(ケンウッドハウス)
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なくすために、広め続ける FGMの事実  デザートフラワー

2011-01-16 | 映画
私たちの知らない世界では、私たちの知らない、想像を絶するタブーが存在する。FGM(female genital mutilation)。女性性器切除と訳される中には、さまざまな施術(と言えるかどうかも問題であるが)があり、女性性器の一部を傷つけて儀式を終えたとするものから、ワリス・ディリーのようにクリトリス、大陰唇、小陰唇すべてを切り取り、縫合する(といっても清潔な外科手術ではもちろんない)というパターンまであるという。
ファッション、モードの世界はとんと知らないのでワリス・ディリーの名も本作で知ったほど。けれど、FGMは国連でも女性に対する差別、虐待として取り上げられたのでもう随分前から知っていた。また、「母たちの村」で書いたように(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/e57e43c79ef411bba94d108c807b57fa)、FGMははアフリカの古い宗教儀礼でも、イスラム教の教えでもない。けれど、FGMは西アフリカ、中央アフリカを中心に今なお続けられており、多くの国が法律で禁止したにもかかわらず年間300万人の女児に「施術」されているという。女性性器をすべて切り取るタイプのFGMの率が高いソマリア出身のワリス・ディリーにより、その実態が広く知られるようになった。本作はそのワリス・ディリーの成功譚である。
砂漠で生まれ育ったワリスは13歳のとき、羊と引き替えにかなり年上の同じ遊牧民の男の4番目の妻として結婚させられそうになる。自分がいなくなれば家事や羊の世話を一手に引き受けなけれなばらなくなる母親を思いながらも逃げ出したワリスは、叔母を頼り、そのつてでロンドンのソマリア大使館でメイドとして働くことになる。しかし、政変で急遽帰国しなければならなくなった大使一家についていかず、ロンドンに一人残ったワリスは実際路上生活も経験し、やがてマクドナルドで掃除の仕事を得、そこで一流のフォトグラファーに見いだされ、トップモデルの座に。しかし、恋に臆病であったワリスにはその理由があったのだ。「遊牧民出身の」との紹介ばかりされる女性誌に、いかに成功したかではなく、ワリスは自己の過去を語った。
世界の華、ファッションの頂点にたつ女性が自己の恐ろしい体験を語ったことに衝撃が走ったのは当然である。それまでフェミニズムの世界やアフリカの研究者など一部の者しか知らなかった、あるいは語られてこなかった事実が世界中の人たちが知ることになったのだから。しかしその「世界中」にはスーダンをはじめFGMが現に行われている地域の人にはそれが差別や虐待であると表現する方法を持たない人たちは入っていない。いや、日本でもその他世界でも聞こえない人、聞きたくない人、聞く気のない人には届かない。おそらくはワリスも知って欲しいと、FGMの事実を広めるためには普段から社会問題を扱う雑誌や新聞でなく、自分たちモデルが取り上げられ、ふだん社会問題に関心のない人たちが読む雑誌をわざと選んだのではないか。
FGMを女性差別とは考えずに守るべき伝統や風習として支える力もまた強い。ワリスが下腹部の痛みに耐えかねてロンドンの病院に行くが、診察をした白人男性医師がFGMのためにそのような症例になっていること、手術が必要と言うのに、それを通訳したアフリカ系の看護士が「白人の男に足を拡げたな。恥を知れ。一族の恥だ。手術はしないと言え」と通訳しているふりをして脅かすシーンがある。それで一度は手術をあきらめたワリス。これは極端な例であるが、「伝統」や「風習」ならば守るべき、反対すべきでないと考える向きは一般的である。例えば、土俵に女性は上がれないとする相撲の世界や、女人禁制の山など。「伝統」であるから守らなければならないのではなくて、「風習」だから侵してはならないのではない。それが差別であるならば守るべき伝統や風習ではない。
ワリスの訴えは世界の意識を変えつつあるが、アフリカの地域ではまだ届いていない。それは後進性というものではなくて、人の命や体は本人の意思に反して理由なく、傷つけてはならないという普遍的な価値概念なのだ。まだ、何百万のワリスがいる限り、FGMの事実は広め続けなければならない。
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断捨離? いや労働者連帯の物語  エリックを探して

2011-01-12 | 映画
ケン・ローチも好々爺になったか。いや、ローチは自身コミュニストであることを認めているから本来オプティミストであるのかもしれない。もっとも本作はローチが発案したのはなく、エリック・カントナ自身が持ち込んだ企画にローチとずっと組んできた脚本家のポール・ラヴァティが乗って実現したらいしいのだ。それもローチが部類のサッカーファンであったことが幸いしたらしい。イギリスではサッカーは下層階級のスポーツで上流階級はラグビーやクリケットその他である。労働者階級出身のローチだがオックスフォード大学で法律を学んだ後、BBCで映像演出を始めたのは知られているが、熱烈なサッカーファンだったとは。そしてエリック・カントナがマンチェスター・ユナイテッド(MU)のサポーターでなくともサッカーファンなら知らない者はいないほどのスーパースターであったことも本作の成功の所以である。
ストーリーはとても簡単だ。万事に自信を持てず、息子らとの関係もうまくいっていない(リトル)エリックが、別れた妻に久しぶりに会って動揺してしまい、事故を起こす。いよいよ落ち込むエリックの前に本物の(ビッグ)エリック(・カントナ)が現れ、アドバイスして最後は息子との関係も、うまくいき、妻ともよりがもどりそう、万事めでたし。ただそれだけ。
ローチの描く世界にはしがない労働者がいっぱい出てくる。そして時にはギャングと関わらざるを得なかったり、人を死に追いやってしまったり、救いようのない結末も多い。しかし、本作は単純なハッピーものと言える。運よく誰も傷ついていない。そして本作でローチの描きたかったのは、イギリスという国の生の姿と労働者が仲間として助け合う大切さである。と思う。
イギリスの生の姿とは。まずエリックをめぐる家族関係。別れた妻リリーとの間にサムという娘がいるが、赤ん坊を抱えているが夫の姿は出てこず、エリックとリリーに子守を助けてもらい大学に通っている。つまりサムは母子家庭で30歳位くらいだが大学生。次に2番目の妻が二人の連れ子をエリックのもとに置いて出て行ってしまうのだが、二人は肌の色が違うので父親は別々であろうし、そもそもエリックと血縁関係はない。ステップファミリーだ。妻が出て行ったのが7年前という設定であるのでエリックもその間父子家庭で、高校生くらいと小学生くらいの男の子は手に負えなくなっている。いや、エリックも子育てには自信もなく積極的でもなかったのかもしれない。ギャングと関わった長男を最後には助けて「父」として見直されるのだが、エリックを助けたのは仲間、郵便局の同僚である。そう、ビッグ・エリックに語るのは「仲間を信じろ。仲間を大切にしろ」
01年「ナビゲーター ある鉄道員の物語」でローチが描いたのはサッチャー政権で国営鉄道が民営化され、必要な人員が配置されず安全性が損なわれる姿だった。サッチャーの後メージャー、労働党政権になっても新しい労働(党)(ニューレイバー)を打ち立てたブレア政権で国営企業の民営化、競争化は止まらなかった。いや加速した。それが、現在行きすぎた規制緩和で安全性が損なわれているとして労働党ブラウン政権、現在の保守党キャメロン政権で見直しがはかられているという。
皮肉なものだ。政権が競争原理に走りすぎ、それに歯止めを考え出したときローチはハッピーな物語を撮るとは。しかし、これは言えるだろう。規制緩和だろうがなんだろうが、家族の形態が自由化しても、それによって差別されてはいけないことを、人種や宗教によって生存権が脅かされてはいけないことを。そしてそれらしてはいけないことをきちんと「いけない」と行動するのは、理不尽を跳ね返そうと支えるのは事情を分かった近しい仲間であることを。
好々爺になった?ローチだが、プロレタリアートが「連帯」する本質は描かないではおられないようである。競争原理ゆえの優勝劣敗というリバタリアニズムの現在、もう一度、働く仲間を見直そうという古めかしいメッセージにこそローチの優しさを見る。けれどやっぱり昔のようなキツい作品が見たいなあ。

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イギリス美術ぶらり1(2011年冬)

2011-01-09 | 美術


今回イギリスに行ったのは昨夏イギリスの田舎を回った際にポンドが余ったこと、田舎回りばかりでロンドンには寄らず、久しぶりにロンドンの美術館に行きたかったことによる。しかし、今回の大きな目的はテート・リバプールに行くことであった。ロンドンのデート・モダンがリバプールに分館を設えてもう随分になるが、結構話題になっていたので行ってみたかった。結論から言うとロンドンに比べると規模はさほどでもない。それよりもリバプール訪れた旅行最終日に体調を崩してしまい、テート・リバプールは半ばアリバイのごとく短時間でまわったのが災いであった。ただ、ちょうど特別展で2006年に亡くなったナム・ジュン・パイク展をしていて、日本ではあまり体系的、総合的にナム・ジュン・パイクを見ることがなかったのでそれはそれで興味深かった。「体系的、総合的」と記したが、もちろん英語説明を読む能力も気力もなかったので流しただけであるが。
ナム・ジュン・パイクはアジア出身(韓国系アメリカ人)で早くから成功した映像、インスタレーション作家ぐらいの知識しかなかったのだが、今回、パイクの多くの作品に接することができて思ったのは、パイクはやはアジアの人であること、作品の根底に流れるエッセンスには多分に日本を意識したものが含まれていることである。もちろんパイク自身、日本以外のアジアに対してその距離(感)に関わらず目を向けていたことは確かで、中国やパイクの出身である朝鮮半島やインドシナへまなざしも強く感じられた。それは、違う文化に対する等距離感覚や、ビデオをはじめとする映像技術は国境をたやすく超えることの証明であるのあろう。しかしパイクの描く世界はある意味コスモポリタニズムでもグローバリズムでもない。ましてやリージョニズムでもない。世界的に活動するアーティストに冠せられる呼称、「普遍主義が見て取れる」などと安易に言いたいのではない。むしろパイクはその逆である。個々の作品はいうなれば「ベタ」である。どこかで見たことのある、あるいはどこにでもいる「オッサン」が妙に叫んでいるのか、喚いているのか。または安っぽいテレビコマーシャルの羅列か。既視感。かなり違うとは思うが、最近ビデオアートの分野で注目している束芋の描く世界も妙にベタで、洗練さには程遠いのを思い出した。しかし、そのベタこそが新しい、見るものの新しいモノ好きを刺激するものがある。パイクの描く今となっては古めかしいビデオインスタレーションも「今となっては」古くない。
テート・リバプールの常設展は彫刻に重きをおいた展示となっていて楽しい。マイヨールやジャコメッティの近代彫刻の重鎮が並ぶ中に、コンテンポラリーアートがころがっているのは素敵な並びである。あわよくばもう少し広ければ。そして、せっかくの収蔵品であるのにテート・リバプールの図録がなかったのが少し淋しかった。もう二度と来る可能性が低かろうから。
リバプールで有名な美術館といえば規模の割にコレクションがいいザ・ウォーカー美術館。となりの博物館が水族館まで併設していて、こちらの方がより楽しめるかもしれないが、あいにく恐竜とか石の標本を見てもあまり興味がわかないので時間をかけなかったが、一見の価値ある博物館であると思う。ウォーカーは古い建物にどこか貴族のマナーハウスにありそうな一部展示の仕方がしぶい。作品の上に作品がと数点まとめられて展示されていてその説明書きも下部に写真付きでまとめて。おかげで、ラファエル前派をまとめて見る機会はテート・ブリテンしかないと思っていたが、なんのなんの、ウォーカーも軽視できない。ラファエル前派といってもロセッティはすぐにそのタッチで分かるがバーン・ジョーンズやミレイの絵はすぐには分からない。また、ラファエル前派ではないとされるが、同時代にビクトリア朝の作品を遺したウォーターハウスなども飾られており、すこしうれしくなってしまう。また、少ないながらレンブラントの自画像やルーベンスのほかに、ホガースやゲインズバラなど英国の重要な画家の作品も並んでいてうならされる。一品一作じっくり見るにはこれくらいの規模が実はいいのかもしれない。
(ロセッティ)
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