kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

沈黙を破る    解決の遠いパレスチナの地に修復的司法の可能性

2009-07-20 | 映画
いろいろなことを教えられ、考え、そして去来した。
まず野田正彰さんが、『戦争と罪責』で旅順戦犯管理所で自己の罪責と向き合った人たちを取り上げたのが思い起こされた。戦争の性格を語るとき、その戦争が「正しかった」「美しい思いの上で」といった価値がすでに付与されている抽象的な意味づけより、まず実相を語ることの大切さを、その人たちは教えてくれた。同じく「沈黙を破る」のイスラエルの元兵士の若者たちも、自分たちが占領地で何をしたかを語ってくれたのに、「占領」の実態を教えられた。
「沈黙を破る」のメンバーは、イスラエル国内では裏切り者呼ばわりされたり、非国民呼ばわりされたりしていると言う。日本でも旅順戦犯管理所での経験から戦地での自分たちの犯罪を告白し、反戦運動に与する人たちを「反日」「中国共産党に洗脳された左翼」などとレッテルを貼る人たちもいる。
「沈黙を破る」メンバーが、学校教育の中でくり返し教え込まれてきた「イスラエル兵は世界で最もモラルの高い兵士」とは違う実態を語る教育関係者のコミッティで、そこでは「教育のことに限って、政治的発言は控えましょう」という了解があるにもかかわらず、一人メンバーを強く非難する女性がいた。「(占領地でのイスラエル兵がパレスチナ民衆や子どもを無理矢理家から引きずり出す暴挙を言う前に)テロリストから襲われる恐怖を感じているイスラエルの子どもを考えよ」と。
日中戦争中の日本であれば、中国での皇軍の残虐性をあげつらう前に(もちろんそんなはっきりとした発言をした人はいなかった)、「中共やそのアカの息のかかった匪賊に襲われる(満州にいるなどの)日本人が襲われる恐怖に思いをはせよ」と、なるであろうか。あるいは、現在では石原都知事のように北朝鮮に「先にミサイルをぶち込め」みたいな発想につながるのであろうか。
「沈黙を破る」メンバーはシオニストではもちろんないが、ハマスやその他パレスチナ側の「強硬派」に与するのとももちろん違う。自分たちが「占領軍」として国家のために忠実に任務をこなしてきた中で「おかしい」、これまで教えられてきたことと違うと感じたことを、除隊後語り始めたに過ぎない。世界一モラルの高い兵士が、パレスチナ人に対しては、テロリストを支援しているとし、家から引きずり出し、戦車が通れないからと大切なオリーブの木々を切り倒し、そして無差別爆撃。
イスラエル兵は除隊後、占領地での経験を封印、忘れるためにドラッグ、酒、セックスにまみれる者も少なくないと言う。イラク帰還兵の30%がなんらかのPTSDに悩んでいると読んだことがある。戦争、占領の実態とは決して本当のことを語ってはいけない。沈黙を破ってはいけないこと=現実を見たことをありのままに語ってはいけないものなのであろう。
土井監督はパレスチナ側からの映像を取り続けてきたが、イスラエル側からの取材もないとかの地での実態を伝えることはできないと思ったという。土井監督のこの姿勢、そして、「沈黙を破る」顧問のラミ・エルハナンの言葉に深く感銘を受けた。エルハナンは自分の娘をパレスチナ人の「自爆テロ」によって失っているが、イスラエル側の犠牲者、パレスチナ側の犠牲者の遺族らの橋渡し運動を続けている。彼は言う。「すべての争いの解決には、結局、話し合うしかないのです。」
修復的司法の可能性をここにも見たのには楽観的にすぎるだろうか。

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躍動する魂のきらめき    ImpressionismからIxpressionismへ 

2009-07-06 | 美術
速水豊学芸員が指摘するように「表現主義」を日本で語るとき、ドイツ絵画を思い浮かべるそれに止まらないらしい。ただし、筆者は絵画や彫刻など「静」客体以外の世界には疎いのでここでは絵画などについてしたためてみることにする。
一見すると日本の画家たちはヨーロッパの表現主義(そのティピカルなのはドイツのそれ)をよく取り込んでいるものだと感心する。黒田清輝は渡航しているからもちろんのこと、萬鉄五郎、神原泰など同時代のヨーロッパ画壇の状況を素早く取り入れ、あるいは先んじている。しかしながらヨーロッパで席巻していた「表現主義」に皆が取り込まれていたわけではなく、同一化しない、違うものだとわざわざことわって絵画を発表した者も多い。そういった意味で日本の「表現主義」は大正デモクラシーの自由主義的な雰囲気の中でゆるされたのかもしれない。
ところで印象主義=Impressionism に続く絵画の傾向にどのような名称が与えられただ
ろうか。ポスト印象主義、後期印象主義などの呼び名もあるが、結局 Impress =人間の内面への沈潜 に対してIxpress=人間の外に向かっての発露 Ixpressionismという語が結局大きな地位を獲得したようである。もっとも、一人ひとりの画家を見れば印象主義的、自然主義的な傾向から作品の風合いを大きく変転していった者もいて、たとえばある意味で凡庸な写実主義からキュビズム、フォービズム、シュルレアリズムと大きく画歴が変わったピカソのように。
表現主義といっても細分化されてゆく。というか発展していく。思想的な背景があり、それの体制内発露としてのロシア構成主義、萬鉄五郎から「私はそうではない」ときっぱり断絶されたイタリアの未来派。
しかし、たとえばブリュッケのノルデを、青騎士のマッケを見ても印象主義=Impressionism から発展した形態としての表現主義=Ixpressionism がよく見て取れる。そしてポスト印象主義だろうが、キュビズム、フォービズムだろうが、内面の発露としての表現主義は十分印象主義と別の絵画時代を築いているし、印象主義を経験した過程ですでに印象主義をポスト=越えている。であるからこそ、表現主義の画家たちの仕事はいかに、どれだけ印象主義を超克したかが問われているのであるし、鑑賞者側もそういった眼で見、また期待する。
日本の表現主義と言った場合、ある一つの作品にヨーロッパの画家たち、たとえば萬鉄五郎はゴーギャンを、神原泰はボッチョーニを、柳瀬正夢はカンディンスキーを、あるいは甲斐庄楠音はルノワールをなぞらえ、安心しがちであるが、いやいや 日本の画家たちもヨーロッパのそれの影響を受けたとしてもそれは後塵を拝したわけではない。同時代的に探索の過程として表現主義にたどりついたと解するのが妥当であると思う。
もっと十分楽しめばよい。日本の表現主義を。それは絵画に止まらない。彫刻、写真や演劇など、あるいは柳宗悦らの文芸運動まで巻き込んで発展し、そしてナチスドイツがノルデらの試行を退廃芸術との烙印を押して排斥したように、日本でも芸術は天皇制軍国主義の走狗となっていく。そこで生き残ったのはもう表現主義の残滓もないものであった。今一度楽しめる表現主義の再評価が必要である。(萬鉄五郎「雲のある自画像」)
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