2004年制作の本作は、モントリオール国際映画祭でグランプリをやエキュメニカル賞を獲るなど、数々の映画賞を獲得し、評価の高さはつとに知られ、日本でも早くから紹介されていたが、岩波ホールでやっと公開され、岩波は遠いわれわれもやっとまみえることができた。
筆者よりはるかに深い洞察の映画評論、中東情勢への言及も多い他の方のブログでたくさん紹介されているので、ストーリーや作品の背景を改めて解説することは要しないと思うが、感じたことを数点。それは本作を彩る「壁」についてである。
描かれているのはイスラエルの不法占領の地ゴラン高原(イスラエルは自国地だとしてシリア側からのこの地名さえも認めていない)に住まう人々が、イスラエル国籍を選択しなかったため「無国籍」となり、いったんその地を離れイスラエルと国交のないシリア側に行ってしまえば二度と帰ることはできないといういわば物理的、国家的な壁が一つ。もう一つは、家父長制の強い世界で父親や夫は絶対であるのにそれに異議申し立てを行う娘や妻、そして村を捨ててロシア人(異教徒)と結婚したため勘当されている息子らに去来する心の壁。
さらに、用意万端整ったのにもかかわらずイスラエル側とシリア側の入出(国)事務を司る役人らの頑なな姿が示す市井の人たちと国家を背負う人たちとの意識の壁。
真ん中の壁だけは、親子の和解や、古く頑迷な夫を見捨て自立をめざす主人公の女性の姿やそれを応援する娘らをみれば、ある程度溶解するかのようにも見える。そして、3番目の壁はその時々担当をしていた役人により壁が低くなりうることもかいま見えた。
しかし、最初の壁だけは容易には墜ちない。大きな物言いでいうと現在ガザでおこっていること、ヤマアラシ国家イスラエルが隣国に巻き起こす不法占領や侵略が放置され、容認(もちろんアメリカ)されているかぎりこの壁は墜ちないだろう。
ラスト、この日には「結婚」できそうにない花嫁が許可も得ず、境界(国境ではない、決して)越えるシーン。この後撃ち殺されるかもしれないのに自分が選んだわけでもない、映像でしか見たこともない夫のもとへ歩をすすめる新婦の決然とした表情とそれを見送る花嫁の姉、主人公のアマルの表情に1番目の壁など取るに足らないもの、そしてそれがいかに空虚なものか判明してしまう。ましてや家父長制のジェンダーなど。
ホロコースト以前から民族としての国家を持ち得ず、地政学的に無理矢理つくられた国家イスラエルはユダヤ人の国であるが、イスラエルに住まうユダヤ人はおよそ80%。それ以外はアラブ人などであるという事実がイスラエルという国の出自の無理矢理さをより強調しているようにも思える。しかし、イスラエルがイスラエルたり得るためには、そのヤマアラシ性を強化することにしかなかったのも事実だ。
イスラエルが、第三次中東戦争でシリア領であったゴラン高原を占領したことを忘れてはならない。膨張国家とその周辺で新たな悲しみを増やす人たちの存在に、ゴラン高原に自衛隊まで派遣している日本の民として気づかない振りもまた許されない。
ただ、深刻なテーマにもかかわらずさすがはたくさんの評価(賞)を獲得した本作は、重すぎず時にユーモアももれるすばらしい作品である。
ディアスポラ映画の秀作をまた手に入れた。
筆者よりはるかに深い洞察の映画評論、中東情勢への言及も多い他の方のブログでたくさん紹介されているので、ストーリーや作品の背景を改めて解説することは要しないと思うが、感じたことを数点。それは本作を彩る「壁」についてである。
描かれているのはイスラエルの不法占領の地ゴラン高原(イスラエルは自国地だとしてシリア側からのこの地名さえも認めていない)に住まう人々が、イスラエル国籍を選択しなかったため「無国籍」となり、いったんその地を離れイスラエルと国交のないシリア側に行ってしまえば二度と帰ることはできないといういわば物理的、国家的な壁が一つ。もう一つは、家父長制の強い世界で父親や夫は絶対であるのにそれに異議申し立てを行う娘や妻、そして村を捨ててロシア人(異教徒)と結婚したため勘当されている息子らに去来する心の壁。
さらに、用意万端整ったのにもかかわらずイスラエル側とシリア側の入出(国)事務を司る役人らの頑なな姿が示す市井の人たちと国家を背負う人たちとの意識の壁。
真ん中の壁だけは、親子の和解や、古く頑迷な夫を見捨て自立をめざす主人公の女性の姿やそれを応援する娘らをみれば、ある程度溶解するかのようにも見える。そして、3番目の壁はその時々担当をしていた役人により壁が低くなりうることもかいま見えた。
しかし、最初の壁だけは容易には墜ちない。大きな物言いでいうと現在ガザでおこっていること、ヤマアラシ国家イスラエルが隣国に巻き起こす不法占領や侵略が放置され、容認(もちろんアメリカ)されているかぎりこの壁は墜ちないだろう。
ラスト、この日には「結婚」できそうにない花嫁が許可も得ず、境界(国境ではない、決して)越えるシーン。この後撃ち殺されるかもしれないのに自分が選んだわけでもない、映像でしか見たこともない夫のもとへ歩をすすめる新婦の決然とした表情とそれを見送る花嫁の姉、主人公のアマルの表情に1番目の壁など取るに足らないもの、そしてそれがいかに空虚なものか判明してしまう。ましてや家父長制のジェンダーなど。
ホロコースト以前から民族としての国家を持ち得ず、地政学的に無理矢理つくられた国家イスラエルはユダヤ人の国であるが、イスラエルに住まうユダヤ人はおよそ80%。それ以外はアラブ人などであるという事実がイスラエルという国の出自の無理矢理さをより強調しているようにも思える。しかし、イスラエルがイスラエルたり得るためには、そのヤマアラシ性を強化することにしかなかったのも事実だ。
イスラエルが、第三次中東戦争でシリア領であったゴラン高原を占領したことを忘れてはならない。膨張国家とその周辺で新たな悲しみを増やす人たちの存在に、ゴラン高原に自衛隊まで派遣している日本の民として気づかない振りもまた許されない。
ただ、深刻なテーマにもかかわらずさすがはたくさんの評価(賞)を獲得した本作は、重すぎず時にユーモアももれるすばらしい作品である。
ディアスポラ映画の秀作をまた手に入れた。