海外の美術館でも、日本の美術館でもガイドツアーは滅多に利用しない。それは、ガイドツアーの人たちが邪魔だなあと思うことが多く、ツアーの人たちが見たい作品に群がっていて近づけないということもあったからだ。だから、自分がツアーに参加した場合はできるだけ一般の観覧者の邪魔にならないよう時にはガイドから距離を置いて回るのだ。これが、海外のツアーでよく使用されるような無線を使ってイヤホンから聴くというシステムなら問題ないが、ガイドの地声だけでは聞こえる範囲に制限がある。今回その失敗を体験してしまった。
現代美術は解説がないとコンセプトがよく分からないものも多く、神戸ビエンナーレのディレクターであり、兵庫県立美術館の学芸員である越智裕二郎さんの案内でツアーに参加することにした。しかし、参加申し込みが多く、急遽参加人員を増やしたためか(50人くらいはいたのではないか)、越智さんの解説を聞くどころか、グループが固まって一緒に行動しては他の観客に迷惑になることは明らかであった。だから余計に後ろの方に、グループの団子にならないように、通路を確保できるようにある程度離れてついていったため、ガイドを楽しめる雰囲気ではなかった。やはり、ガイドツアー参加というのはいろいろな意味で難しい。
会期も半ばにさしかかり、少し開幕当初よりお客さんの減った会場で、改めてビエンナーレの目玉であるアート・イン・コテンナをじっくり見ることかできた。ビエンナーレ大賞をとった戸島麻貴の「beyond the sea」は相変わらずの人気で、私たちガイドツアーが入場した頃にはシステムがダウンしていたが、しばらくすると復旧し早くも行列ができていた。「beyond…」は、オーストラリアから運び込んだとてもきめの細かな砂を敷き詰め、そこに映し出されるいろいろな海のイメージがサウンドと共に変化。惹き込まれる作品。その隣のコンテナが前回紹介した伊庭野と藤井の作品。そしてその隣がピオリオの「輪音の森」とこれまた映像を巧みに配置した瞑想的作品。このあたりはいつも行列だが、映像にデジタルに頼らない(厳密に言うと伊庭野・藤井作品はCG計算の粋であるがデジタルではない)作品もみるべきものが。
制作ボランティアをしていたとき「現代美術は結局根気と大工」などと言い放っていたが、段ボール紙を仏像の形に刻み込んだありがたい?「BUTSU」(木堀雄二)、アナログの極地とも言うべき「ワールドカウハウス」(石上和弘)、海外からはコールダーのモビールを思わせる「ShadowWanings」(Hans Schohl)など、面白いものも多い。
ツアーの目玉である乗船しての海上アート見学。神戸在住の榎忠の「伝説のバー ローズ」はバーというよりほとんどラブホテルか飾り窓。ただ本ビエンナーレでもっともビッグネームであろう植松奎二の石を使った作品は、越智さんの設置がどれだけ大変であったかの解説も聞けて、インスタレーションとはいえ巨大系・重量系の苦労がしのばれた。
兵庫県立美術館に着き、招待作家らの「LINK しなやかな逸脱」展は榎の「RPM-1200」(廃鉄を旋盤で磨き込むときの単位らしい)、被写体になりきる澤田知子、ドローイング系の奥田善巳らの一昔前?の現代芸術もあり、越智さんの解説とともに回れたが、先述のツアーグループがインデペンダントの客を害しかねない場面にも遭遇し、すこし躊躇した。
なにはともあれ、現代芸術は「参加」することも楽しむ大きな方法の一つ。そういった意味では、グリーンアート(コンテナ)展で東京芸大の現役院生であるユニット イピリマ(アイヌの言葉でつぶやきという)の「しおん」は、海底イメージの中からしみ出すかすかな鼓動を楽しむ空間は、ゆっくりそこにいる時間を持ちにくいので、制作する側に少しでも参加できたことがよかったのかも。それこそ現代アートを彩るキーワード アソシエーションの一里塚であったのかもしれない。
(植松奎二「傾くかたち」)
現代美術は解説がないとコンセプトがよく分からないものも多く、神戸ビエンナーレのディレクターであり、兵庫県立美術館の学芸員である越智裕二郎さんの案内でツアーに参加することにした。しかし、参加申し込みが多く、急遽参加人員を増やしたためか(50人くらいはいたのではないか)、越智さんの解説を聞くどころか、グループが固まって一緒に行動しては他の観客に迷惑になることは明らかであった。だから余計に後ろの方に、グループの団子にならないように、通路を確保できるようにある程度離れてついていったため、ガイドを楽しめる雰囲気ではなかった。やはり、ガイドツアー参加というのはいろいろな意味で難しい。
会期も半ばにさしかかり、少し開幕当初よりお客さんの減った会場で、改めてビエンナーレの目玉であるアート・イン・コテンナをじっくり見ることかできた。ビエンナーレ大賞をとった戸島麻貴の「beyond the sea」は相変わらずの人気で、私たちガイドツアーが入場した頃にはシステムがダウンしていたが、しばらくすると復旧し早くも行列ができていた。「beyond…」は、オーストラリアから運び込んだとてもきめの細かな砂を敷き詰め、そこに映し出されるいろいろな海のイメージがサウンドと共に変化。惹き込まれる作品。その隣のコンテナが前回紹介した伊庭野と藤井の作品。そしてその隣がピオリオの「輪音の森」とこれまた映像を巧みに配置した瞑想的作品。このあたりはいつも行列だが、映像にデジタルに頼らない(厳密に言うと伊庭野・藤井作品はCG計算の粋であるがデジタルではない)作品もみるべきものが。
制作ボランティアをしていたとき「現代美術は結局根気と大工」などと言い放っていたが、段ボール紙を仏像の形に刻み込んだありがたい?「BUTSU」(木堀雄二)、アナログの極地とも言うべき「ワールドカウハウス」(石上和弘)、海外からはコールダーのモビールを思わせる「ShadowWanings」(Hans Schohl)など、面白いものも多い。
ツアーの目玉である乗船しての海上アート見学。神戸在住の榎忠の「伝説のバー ローズ」はバーというよりほとんどラブホテルか飾り窓。ただ本ビエンナーレでもっともビッグネームであろう植松奎二の石を使った作品は、越智さんの設置がどれだけ大変であったかの解説も聞けて、インスタレーションとはいえ巨大系・重量系の苦労がしのばれた。
兵庫県立美術館に着き、招待作家らの「LINK しなやかな逸脱」展は榎の「RPM-1200」(廃鉄を旋盤で磨き込むときの単位らしい)、被写体になりきる澤田知子、ドローイング系の奥田善巳らの一昔前?の現代芸術もあり、越智さんの解説とともに回れたが、先述のツアーグループがインデペンダントの客を害しかねない場面にも遭遇し、すこし躊躇した。
なにはともあれ、現代芸術は「参加」することも楽しむ大きな方法の一つ。そういった意味では、グリーンアート(コンテナ)展で東京芸大の現役院生であるユニット イピリマ(アイヌの言葉でつぶやきという)の「しおん」は、海底イメージの中からしみ出すかすかな鼓動を楽しむ空間は、ゆっくりそこにいる時間を持ちにくいので、制作する側に少しでも参加できたことがよかったのかも。それこそ現代アートを彩るキーワード アソシエーションの一里塚であったのかもしれない。
(植松奎二「傾くかたち」)