kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

「すべり台社会から」脱出しよう    反貧困(湯浅誠著)

2008-07-28 | Weblog
このブログとは別の機会に生活保護の実態を紹介するインタビュー記事をしたためたことがある。友人が市の生活保護部署の非常勤をしていて話を聞いたのだ。その記事のリードで生活保護というと「一家心中か、ベンツを乗り回すヤクザか、生活保護というと極端な例を思い浮かべがち」と書いたが、導入としては概ね間違っていないとしても湯浅さんの『反貧困』を読むと導入としてもそのような取り上げ方自体が二項対立を煽る「底辺への競争」に絡みとられていることに無自覚で恥ずかしい。「底辺への競争」、そう、低さくらべが、今や、貶めくらべという、そのような社会を招いた「勝ち組」(が、大企業なのか、新自由主義の発案者なのか)の掌で舞い踊っている実態こそ恐ろしいのだ。許せないのだ。
湯浅さんの『反貧困』は、基本的に湯浅さんがこの間「もやい」で相談を受けたこと、そのネットワークで見聞したこと、そして厚労省をはじめとする政府の貧困実態に対する姿勢、無策ぶり、というか無視ぶりを中心に記述している。そこで描かれるのは、ネットカフェ難民生活さえも続かなくなって、助けを求める人や、助けを求めるのを嫌がる人をいろいろ説明して、生活保護申請にこぎつげたり、生活保護の「水際作戦」で追い返されたりした人に寄り添い、生活保護を受給できるようにしたり、社会のセーフティネットから「底抜け」した人たちの姿である。湯浅さんは言う。社会的なセーフティネットにはいくつかの段階があり、まず雇用のセーフティネット。
非正規雇用がこれほど増え、請負派遣という労働力の究極の商品化がすすみ、将来のないこの仕事であっても失えば明日から住むことさえできないという生活し、将来設計に全くつながらない雇用形態。ちょうど秋葉原の「無差別殺人事件」に被疑者が典型的な派遣労働の現場にいたこと(日研総業という派遣会社、派遣先はトヨタの下請けたる関東自動車工業)、彼が自分のツナギが見つからなくて「クビにするのか」と怒ったことからも分かるように即解雇と隣り合わせの日々。「日雇い派遣」が今頃原則禁止という流れの中で(もちろん厚労省の研究会の提言であり、企業側の抵抗は強いだろう)、明日のない身をこれだけ放置してきた罪は重いし、そもそもそのような規制緩和の趨勢を支持した有権者の愚かさもきわまれりである。
次に社会保険のネット。働いておれば失業しても雇用保険がある、病気をしても厚生保険があるというのはあくまで正規雇用の話。上述の派遣などでは社会保険は一切ない。仕事がなくなれば間もなくホームレスに、病気もできないという場面は珍しくない。
そして働けなくなっても生活保護があれば生きていけるはずの公的扶助のネット。生活保護があればと書いたが、北九州で保護を求めた男性が追い返され餓死した事件は最近のことだ。その後生活保護申請に対する「水際作戦」が北九州以外でも報告されている。今や最後の生きる望みである公的扶助の道も絶たれたら。餓死した男性の例は「絶たれたら」というイフの例ではない、現実で起こっていることを示している。
ともすれば貧困の問題を訴える私たちの中には公的制度のここが悪い、年金改悪のここが問題だ、労働法制の抜本的な改革を、いや、そもそも小泉構造改革が、アメリカがと社会的扶助の低劣さを政策や政権に求め、それを解説しがちである。それら社会的な分析ももちろん必要で、個々の問題を見据えるために、その背景となった政策や国の流れに目を向けることはむろん重要である。しかし、私たちのそばで貧困と対峙せざるを得ない人たちを前にして評論家になっているわけにはいかない。湯浅さんの立ち位置はそこにある。いわゆる最高学府を出た湯浅さんは学生時代から山谷や野宿者の問題と関わってきた。湯浅さんの見る目はもちろん時の労働や年金、社会保険に対する政策とその変遷、問題点を見据えている。そして労働市場の開放を迫るアメリカの圧迫も。しかし、今、困っている人を助けるのはアメリカの政策がどうだ、それに追随する日本がどうだではない。
一緒に生活保護申請に預かり、アパートを探し、時には苛烈な取り立てに法的措置をとるべくアドバイスをすることだ。そのすべてを湯浅さんのグループができるわけではない。いろいろなネットワークを駆使して、一人、また一人と助けていく。もちろん自分さえ助かれば、もう二度と湯浅さんらの反貧困運動に関わろうとしない、他の人の力になろうとしない人もいる。しかし、まず助けることだ、共に考え動くことだ。
本ブログでは堤未果さんの同じ岩波新書の『ルポ貧困大国アメリカ』も取り上げた(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/499c1c32efe16ee11fad4293a5f51701)。併せて読むべきであろうと思う。
「愛の反対語は何ですか」「憎悪です」「いいえ、愛の反対は無関心です」(マザー・テレサ)
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人をとりまく優しさとは  「ぐるりのこと」

2008-07-20 | 映画
女優の木村多江さんという人を実はよく知らない。が、木村さんが本作で「翔子は自分だ」と語ったことは分かるような気がする。というのは、木村さんはBSだったか、「千の風になって」のオリジンを訪ねる旅人として出演されていて、身近な人の死を思うかの歌、メロディの出自を探り当てる道程で自己も癒されていくドキュメンタリーを見ていたからだ。木村さんはご自身が女優という職業に飛び込んだ時、父親に納得してもらえなかったという悔恨の情があったのにその父親が若くして亡くなり、父の死は自分のせいではといったトラウマを抱えていたから、「千の風になって」探しのファシリテイターになったのだと。
女優さん(男優も含めて)の泣きじゃくりシーンというのは大変だと思う。美しい人が(少なくとも木村さんはきれいな人系であるのだろう)あんなに汚く、鼻水まで垂らしているのだから。
子どもを喪い、次第にバランスを壊していく翔子はある意味で真摯であったから、であるし、また、真摯でない翔子の兄やその妻、法廷画家としてどんな時も自己を流されず客観性だけが要請される夫のカナオも真摯でなかったから翔子のようにバランスを喪わなかったというふうに描かれている。そして、きついところを生きる翔子を愛し続けるカナオを夫婦愛の具現者として描いているように見えるがそうだろうか。
壊れても「好きだ」というカナオに嘘はない。けれど、そのような愛だけが要求される「夫婦愛」とはあまりにも狭すぎないか。作品では翔子の兄夫婦が翔子夫妻の知性と正反対に描かれている。バブル期は羽振りがよかったが、その後は没落し、嫌な面だけ十分に出ている知性とは反対側の人たちとして。たしかにそのような人はいるであろうし、そちらの方が翔子とカナオより現実的に見える。価値判断を求めているわけではないだろうが、橋口監督は明らかに翔子とナカオ夫妻に観る者の支持を煽っているように思える。でも、あんな夫婦はいない。
職業選択に不器用で自己表現で激しさのないナカオはただ、翔子を愛することで自己存在理由を叶えているようにも見える。法廷画家というかなりエキセントリックな仕事を生きるカナオこそ翔子を愛し続けるに価値ある男と描きたかったのかもしれないが、そもそも法廷の描き方が間違っている。
90年代を騒がしたさまざまな事件では法廷で描かれているような理解不能な被告人の姿、被害者にはとうてい絶えられない被告人の言動もあったやもしれぬ。が、刑事事件とは法廷で話された内容だけではない。そこに至る被告人の表現、変質、社会的な背景など多くの要素が絡み合っているものなのだ。センセーショナルな法廷だけで90年代の種々の事件も、個々の事件も語ることもできないし、そのようなことを語ることを否定する法廷画家の存否自体も問われていない。
いみじくもカナオに記者が「虐待された子どもを描け」だの「もっと悪人面に描け」など要求し、その理由を「視聴者が観たがっているから」と言い放つシーンがあるが、本作はその欺瞞性や犯罪性について翔子を愛する優しいカナオを描くあまり捨象している。むしろ翔子がそのような危機に落ちいった原因はカナオには全くないように描いているのだ。しかし、そもそも個々の事件の客観性に拘泥するあまり、妻の危機に気づかない、あるいは応えられない夫の優しさとはなんなのか。を問うている本作と観るならば、捨てがたい秀作である。本作の題が周囲をあらわす「ぐるり」となっているのは、先述のような視点ではなく家族はいいものだけでど身内はかなわないといったある一面を丹念に描いた映画ならばそれも納得できるというものである。
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肖像画の「大家」として再発見  モディリアーニ展

2008-07-18 | 美術
ずいぶん昔、上野の森美術館でモディリアーニ展(その時はモジリアニと表記していたかもしれないが)を開催していて、そのデッサン力に驚いたものだが、今回もそれは同じだった。しかし、それからブランクーシに惹かれ、モディリアーニについても何回か見る機会もあり、またエコール・ド・パリの面々についても少しだけ知るようになり、その時とはいくぶんモディリアーニについての見方や知識量も変化したのだろう。折しも、モディリアーニの映画やジャンヌの展覧会も開催され、あのすぐにはとっつきにくいフォルムに人気が高まっているように思える。だからこそ今回の展覧会となったのであろう。
今回はモディリアーニのあの独特のフォルムの出自をアフリカ原始美術に求め、そのプリミティブ性が、彫刻をあきらめた後のかの典型的な細長いフォルムに開花しているという点、そして肖像画家として大成した(もちろん生前成功したわけではない)姿をそのアフリカ美術への傾倒に求めているという点でクリアである。ブランクーシがアフリカのプリミティブ芸術に惹かれていたこと、モディリアーニがブランクーシと親交のあったこと、その頃はモディリアーニは彫刻家を目指していたことは知っていた。しかし、あらためてモディリアーニのカリアティッド(細長い石柱の女性像)を見るとブランクーシ、その光景に透けて見えるアフリカ(といってももちろん広く、北アフリカの民族芸術が中心である)の影響がはっきりする。そして、ブランクーシのあの研ぎすまされた形態もプリミティブ・アートが起源であることも。
誤解していたのはモディリアーニといえば黒眼と白眼の区別のつかない真っ黒な虚空の眼をしていると思ったこと。最初は最晩年のときだけそうなのかと思ったが、よくよく見ると1916年くらいに黒眼をきちんと描いていたさまは死ぬ直前になっても変わらない。肖像画の相手によって、その時々、眼の玉を描いたり、描かなかったりしていたようだ。それにしても、虚空の眼、同じように無表情に少し傾げてまみえる肖像画の数々を見ていると、モディリアーニが被写体の内面に迫ってから描き始めたという伝説が本当に思えるような迫力だ。逆にいえば、あの虚空、無表情は描く人としてのモディリアーニを完全に信頼していた証かもしれない。
国立国際美術館は同時にコレクション展として宮本隆司と石内都の写真展を、企画展としてベルリンで活躍するインスタレーション作家の塩田千春の展示もしているが、こちらも必見である。
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