kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

決して隠してはならない個の尊厳史と歴史の暗部と 「名もなき生涯」

2020-02-26 | 映画

随分前に読んだ岩波新書に『兵役を拒否した日本人』(1972年 稲垣真美)がある。その副題は「灯台社の戦時下抵抗」。そう、ものみの塔として知られるエホバの証人の信者がその教義ゆえ戦前兵役を拒否した事件を扱っている。最初に断っておくが、現在日本で布教活動をしている「エホバの証人」は戦前のものみの塔とほとんど関係がないし、その連続性をうかがわせるものはない。多分、現在布教活動をしている特に若い世代では灯台社を全く知らないのではないか。

日本で灯台社を創立した明石順三は治安維持法で検挙される。明石の下で布教活動をしていた村本一生も拷問の上転向せず懲役刑を受けるが、戦後やっと出獄する。しかし、明石、村本は戦後、ものみの塔(アメリカのワッチタワー本部)の戦時協力を批判し、除名されるのである。

長々と書いたのは「良心的兵役拒否」日本ではどうだったろうかと思いうかべられる例が他になかったからである(集団的自衛権を容認する自衛隊法に対し、現職自衛隊員が出動命令に対する抗命確認訴訟を提起したが一審で敗訴している)。

オーストリアの山岳地帯で酪農や農業を営むフランツは若いころ、「やんちゃ」であったそうだ。それが敬虔なカトリック信者ファニと結婚し、家畜や畑と向き合い、可愛い子どもらが生まれる中で変わっていったという。無辜の民に銃を向けるこの戦争はおかしい、ヒトラーにひれ伏すことは神に背く行為だと。兵役拒否はすぐに村中に知れ渡り、説得を試みる者、憎悪の感情を見せる者。フランツは自己の信念を神父に相談するが、その上の司教は「祖国への義務がある」。召集された場でヒトラーへの宣誓を拒否したフランツは逮捕され、独房へ。軍事裁判を受けるためにベルリンへ移送される。その頃、ファニも村で孤立していた。お互い助け合うことが前提で成り立っている農作業も、牧畜も助けてもらえない。嫌味や無視、嫌がらせの日々。そこに知らされたフランツの死刑判決。神父とともにフランツに会いに行く。

175分の長尺。これまでも詩情あふれる光の魔術師と言われるテレンス・マリックの映像は、農村にさす光や、青々とした作物や息遣いまで聞こえてきそうな家畜たち、ところどころに挟まれる水の描写と美しいことこの上ない。しかしその平和をひたひたと侵食する戦争と個の圧殺。フランツを支えたのは信仰だったし、作品コメントを寄せた町山智浩によれば幾度も効果的に映し出される光や水のシーンは、宗教的意味を含有するという。光(太陽)は神であり、水は大地の恵み、すなわち神の恵み。教会はフランツを助けないし、支えは愛する妻ファニのみ。フランツとファニの往復書簡を基に初めて映画化された実話である。

数多あるナチスの時代を描いた映画の中でも異色である。ナチスによる暴虐シーンはほとんど描かれないし、多くの場面を割いているのは穏やかな農村風景。セリフも少なく、劇的な場面もない。しかし、最後まで惹き寄せられたのはフランツの信念に目をそむけたり、逃げたりしてはいけないと、彼の尊厳をかけたたたかいを見届ける責任が見る者をして自覚させるからである。先の町山によれば、ファニは愛称で本名はフランチスカ。そう、フランツもフランチスカもアッシジの聖人フランシスコから取られた名前であるのだ。

フランツの存在が知られたのは往復書簡が見出された1960年代になってからで、カトリック教会によって殉教者と認定されたのが2003年という。まさに「名もなき生涯」であった。ナチス時代を描いた作品の多さに少し食傷するとともに、いつも不思議に思うのが反対に日本での戦争映画や暗い時代を描いた作品の少なさだ。それも暗部と言える負の歴史、大逆事件や関東大震災、天皇機関説、滝川事件などを描く作品がドキュメンタリーを除いて見当たらないことだ。「金子文子と朴烈」も韓国映画であった。

ナチスに抵抗した宗教者としてはマルティン・ニーメラーが有名だが、彼も「共産主義者が攻撃された時関係ないと思っていた。教会が攻撃された時には遅かった」旨、発言したとされる(丸山眞男)。フランツが語った「心の中は自由」が蹂躙されつつある時代に、改めて本作を見る価値は大いにあると思う。

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建築の醍醐味を満喫 「建築と社会の年代記」「インポッシブル・アーキテクチャー」展

2020-02-06 | 美術

時期を同じくして対照的な展覧会が開催された。「建築と社会の年代記」展と「IMPOSSIBLEARCHITECTURE」展である。「建築」展は竹中工務店創立400年(2016年に開催された展覧会)の再構成、インポッシブル展は、実現不可能あるいは可能であったが採用されなかったり、事情で放棄されたりした計画を図面や模型、関連資料などで紹介する大展望である。

織田家の普請奉行であった竹中藤兵衛正高の工匠時代を始祖とし、宮大工として技術を磨き、近代に入ると早々に都市のコンクリート建築などを手がけた竹中工務店は言わば実現可能な作品だけを遺した。一方、その時代の建築土木技術では不可能、あるいは、実現化する具体的方法論を持っていなかったり、残念ながら実現に至らなかった幻、建築家をはじめとするアーティストの夢を揃えたのがインポッシブルである。しかし、宮大工に見られるように木造建築の粋を極めた竹中と、計画段階から鉄骨をはじめとして様々な素材が用意される近代建築とを同列には扱えない。ただ、建築は時の思想や哲学、産業構造、それがもたらす影響や施主の意図など、建物一つひとつを取り巻く環境と無縁ではないという意味では同じだろう。

竹中は言わば、近世に培った宮大工の精密さを近代化に伴うより規模の大きい複雑な構造に進化させ、また成功してきた例であり、それが東京を中心とする現在でいう大手ゼネコン(大林、大成は明治期の土木事業から。鹿島、清水は竹中と同じ大工棟梁)で早くから関西・神戸の地で着実に成長したのは竹中だけである。それもそのはず関西には竹中施工にかかる有名建築が圧倒的に多い。大阪の堂島ビルヂング(躯体は大正当時のまま)、朝日ビルディングや三井銀行神戸支店(阪神・淡路大震災で被災。取り壊し。)、宝塚大劇場など。そして高度経済成長期を経て、国立劇場、大阪マーチャンダイズ・マート、大阪万博のパビリオン、代官山ヒルサイドテラス、そして21世紀に入り、東京ドームやあべのハルカスなど度肝を抜くような最新鋭の技術を駆使して成長(膨張?)を続ける。1企業の成長史はややもすると手前味噌な成功宣伝物語に陥りがちで、本展も全くそれを感じないということではないが、近現代の建築(技術)発展史と見れば大いに楽しめるはずだ。ドームの屋根を葺く(というのだろうか?正確には)様や、限られた敷地での工法など飽きないビデオも多く、現在は「環境」との親和性が求められている時代であるのもよく分かる。建築物は美術館に持ってくるわけにはいかないので、写真や図面、模型になるが実現した分だけ、実際の建物を見に行きたくなる。

一方、アーティストのイマジネーションを最大限に見せつけ、実現していたらどれほど圧倒されたであろう作品群がインポッシブルである。マレーヴィチのシュプレマティズム素描がオープニングであるのは象徴的である。20世紀初頭の構成主義は建築との親和性が高いどころか、バウハウスは建築家のグロピウスを校長に工芸学校としてスタートした。しかし圧倒されるのはウラジミール・タトリンの「第3インターナショナル記念塔」である。高さ400メートルを構想された鉄骨の怪物はロシア革命とロシア・アヴァンギャルドの象徴的プロジェクトであって、事実、完成を目指していたようだが、財政的・技術的に不可能であったようだ。しかし「タトリン・タワー」として紹介されることも多い同作の模型を見るにつけ完成すればどれほどの異形(偉業)、異様であったかも想像を超えている。

現代の作品群はたまたまコンペで採用されなかったインポッシブルも多いが、採用されたのに「安倍首相の「英断」により、白紙撤回になった」(「建築の可能性と不可能生のあいだ」五十嵐太郎は「それは多くの反対の声を押し切り、国会で安保法案の強行採決が行われた直後だった」とも記す。)ザハ・ハディド・アーキテクツ+設計JVの《新国立競技場》こそ造形的には完成して欲しかった作品ではある。そもそも自然環境や景観に著しい影響を及ぼす巨大建築こそ必要だったのか、という観点はある。しかし建築、建設といったものは、環境保全とのかね合いや土建国家のこの国で必須性を論じるのはとても難しいことだ。であるからザハ・ハディドの急死を受けて磯崎新が「〈建築〉が暗殺された。……悲報を聞いて、私は憤っている。……あらたに戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪誘致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義に頼んで廃案にしてしまった。」(五十嵐同上)と述懐する時、建築家の矜持と怒りの両方を感じるのである。

アイロニーと諧謔に満ち、時に物議をかもす作品を発表する会田誠の「東京都庁はこうだった方が良かったのでは?の図」も楽しい。建築が成功するには様々な前提–資金、周囲を含む環境、技術–をクリアしないと「完成」には至らない。その間をぬって、新たな挑戦や提案を現実化してポシブルになる。しかし数多のインポッシブルを踏まえたところに現実があるのだ。(「建築と社会の年代記 竹中工務店400年の歩み」神戸市立博物館 3/1まで。「IMPOSSIBLEARCHITECTURE 建築家たちの夢」国立国際美術館 3/15まで)

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