私ごとで恐縮だが、4年前にがんの手術をした。あれから定期的にCTRなどの検査を行っているが、幸い再発、転移はないという。ただ医療も縦割りだなあと感じたのは、主治医によると「転移が分かるのは肺だけで、胃や大腸といった消化器系、その他のがんは、それぞれの検査でないと分からない」とのこと。だから定期検診などの血液検査で腫瘍マーカーを測るのだろうが、野上祐さんのように膵臓がんの場合は、多くの場合見つかった時は手遅れともいう。確かにがんの根治という点では「手遅れ」だが、野上さんの人生に「手遅れ」はなかった。
原一男さんの映画で井上光晴を追った「全身小説家」があるが、野上さんは「全身新聞記者」である。彼は医者から治癒しないと告げられた時、よし死ぬまでこのがんと自分を見てやろうと思ったという。その記者魂がウェブ上で「がんと闘う記者」としてコラムを続けさせる原動力となった。そしてコラムは続き、ついにウーマンラッシャアワーの村本大輔さんとのコメディーライブまで果たす。そこでは「今まで記者として国境などの境目を見てきたが、生と死の境目を見た」であるとか「(出張できないので)人には会いに行けないが、『書こう』と思えば、現場は向こうからやって来る」であるとか、あくまで客観的かつ好奇心旺盛、そして「私に目をつけた、バカな病気に思い知らせてやろう。」「『苦しめるつもりだったのに、いい人生を送らせてしまったじゃないか』と人間ならば後悔するぐらい、使い倒してやろう」とあくまで意気軒昂である。その時、村本さんが舞台の後方にいた野上さんの配偶者を舞台にあげるサプライズがあったが、野上さんを支えてきたのは紛れもなく彼女であるので、ここまではご愛嬌。しかし、野上さんの連れ合いに対する「配偶者」という呼び方が一貫しているのは素敵だ。「奥さん」でも「家内」「女房」でもない、ましてや「嫁さん」でも。
野上さんは、尊敬する大学時代の教授が「配偶者」と呼んでいるので、自分もそうしようと思ったと記しているが、そう思うことと実践には距離がある。何せ「配偶者」と呼ぶことによって、いちいち説明をしなければいけない場面が多く想定されるからだ。実際、コラムの質問でも多いという。ましてや、野上さんが「配偶者」と出会うのは、教授から巣立った10年後である。しかし、教授の「頭の中と行動が一貫している」姿勢は「(ジャーナリストとして)毅然と生きなければ」という野上さんの今日の矜持と確かにつながっている。
私自身は、ジェンダー平等の観点から、むしろ何の疑いもなく「奥さん」「嫁さん」を連発する人に対して「なぜ、そう呼ぶのか」問いたくなるタチだが、今の所面倒臭いのでそういう機会は少ない。ただ、野上さんの教授の方が男女平等原則の時代にそれを前提として、自己の配偶者と対等を意識するなら、「配偶者」という呼び名しか思いつかないのは当然ではないか。ただ、これは法律上の婚姻関係にある人にしか使えないが、まさしく男女どちらにも使えて平等である。
国民の二人に一人の仲間入りした自身を振り返っても、野上さんのように死の間際まで自分自身と社会を見つめ、筆を離さない自信と覚悟は到底ない。野上さんの本書のあとがきは死の3日前。彼のスマホには書きかけのコラムもあったという。参議院選も近づき、この国がより個人の自由、民主主義や人権の向上に資する政権を持てそうにないと感じる暗雲の中、私の方が政権より先に逝きそうに思える。私なりの「書かずに死ねるか」と啖呵をきれるかどうかだ。