kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

「書かずに死ねるか 難治がんの記者がそれでも伝えたいこと」は伝わった

2019-07-12 | 書籍

私ごとで恐縮だが、4年前にがんの手術をした。あれから定期的にCTRなどの検査を行っているが、幸い再発、転移はないという。ただ医療も縦割りだなあと感じたのは、主治医によると「転移が分かるのは肺だけで、胃や大腸といった消化器系、その他のがんは、それぞれの検査でないと分からない」とのこと。だから定期検診などの血液検査で腫瘍マーカーを測るのだろうが、野上祐さんのように膵臓がんの場合は、多くの場合見つかった時は手遅れともいう。確かにがんの根治という点では「手遅れ」だが、野上さんの人生に「手遅れ」はなかった。

原一男さんの映画で井上光晴を追った「全身小説家」があるが、野上さんは「全身新聞記者」である。彼は医者から治癒しないと告げられた時、よし死ぬまでこのがんと自分を見てやろうと思ったという。その記者魂がウェブ上で「がんと闘う記者」としてコラムを続けさせる原動力となった。そしてコラムは続き、ついにウーマンラッシャアワーの村本大輔さんとのコメディーライブまで果たす。そこでは「今まで記者として国境などの境目を見てきたが、生と死の境目を見た」であるとか「(出張できないので)人には会いに行けないが、『書こう』と思えば、現場は向こうからやって来る」であるとか、あくまで客観的かつ好奇心旺盛、そして「私に目をつけた、バカな病気に思い知らせてやろう。」「『苦しめるつもりだったのに、いい人生を送らせてしまったじゃないか』と人間ならば後悔するぐらい、使い倒してやろう」とあくまで意気軒昂である。その時、村本さんが舞台の後方にいた野上さんの配偶者を舞台にあげるサプライズがあったが、野上さんを支えてきたのは紛れもなく彼女であるので、ここまではご愛嬌。しかし、野上さんの連れ合いに対する「配偶者」という呼び方が一貫しているのは素敵だ。「奥さん」でも「家内」「女房」でもない、ましてや「嫁さん」でも。

野上さんは、尊敬する大学時代の教授が「配偶者」と呼んでいるので、自分もそうしようと思ったと記しているが、そう思うことと実践には距離がある。何せ「配偶者」と呼ぶことによって、いちいち説明をしなければいけない場面が多く想定されるからだ。実際、コラムの質問でも多いという。ましてや、野上さんが「配偶者」と出会うのは、教授から巣立った10年後である。しかし、教授の「頭の中と行動が一貫している」姿勢は「(ジャーナリストとして)毅然と生きなければ」という野上さんの今日の矜持と確かにつながっている。

私自身は、ジェンダー平等の観点から、むしろ何の疑いもなく「奥さん」「嫁さん」を連発する人に対して「なぜ、そう呼ぶのか」問いたくなるタチだが、今の所面倒臭いのでそういう機会は少ない。ただ、野上さんの教授の方が男女平等原則の時代にそれを前提として、自己の配偶者と対等を意識するなら、「配偶者」という呼び名しか思いつかないのは当然ではないか。ただ、これは法律上の婚姻関係にある人にしか使えないが、まさしく男女どちらにも使えて平等である。

国民の二人に一人の仲間入りした自身を振り返っても、野上さんのように死の間際まで自分自身と社会を見つめ、筆を離さない自信と覚悟は到底ない。野上さんの本書のあとがきは死の3日前。彼のスマホには書きかけのコラムもあったという。参議院選も近づき、この国がより個人の自由、民主主義や人権の向上に資する政権を持てそうにないと感じる暗雲の中、私の方が政権より先に逝きそうに思える。私なりの「書かずに死ねるか」と啖呵をきれるかどうかだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メディアへの、政権への真剣な追及が問われる  日本映画「新聞記者」

2019-07-05 | 映画

韓国映画の「共犯者たち」と「スパイネーション」で韓国メディアの対政権姿勢、真っ当なジャーナリズムの姿を紹介したが(韓国の民主主義にならう 「共犯者たち」と「スパイネーション 自白」https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/29d2c9e778aaa6edb8c378b322436a9b)、日本でもやっと対政権に見合うものができたかと思える作品である。

映画はここ2、3年で起こっている政権スキャンダルそのままに進行する。本筋は大学新設に関わる疑惑、脇に政権の独善に批判的なトップ官僚の醜聞、首相のお友達ジャーナリストによる性暴力スキャンダルのもみ消し…。言うまでもなく、大学新設は設置申請者が安倍首相とお友達、特区を利用した無理くりな加計学園認可、その加計学園認可に疑義を呈し、発言した前川喜平元文科省事務次官に対する「出会い系バー」出入りについての疑義発言直前のマスコミへのリーク(もちろん読売新聞)、ジャーナリストの伊藤詩織さんに対する安倍首相に近いTBS政治部記者でワシントン支局長だった山口敬之氏からの性暴力告発と逮捕状の失効、をそれぞれ指している。こうまで好き放題できるのか、「最高権力者」とのたまった人の政権では。

映画はあの菅官房長官が最も目の敵にする東京新聞・望月衣塑子記者の『新聞記者』(角川新書)に着想を得た、完全なフィクションである。とは言っても、多分フィクションには思えない、描き方が。韓国人俳優のシム・ウンギョン演じる新聞記者吉岡エリカ、大学新設疑惑を追うが、父親もジャーナリストで「誤報」で自殺に追い込まれている。内閣情報調査室勤務のエリート官僚杉原拓海を演じる松坂桃季。子どももでき、家庭は順風満帆だが、仕事は政権に批判的な勢力に関するマイナス情報を捏造する日々。内閣情報調査室、「内調」は実際の組織で、まさに映画で描かれているような業務を日々こなしていると言う。前川元事務次官の「醜聞」も内調が集め、読売にリークしたと言うのがもっぱらの話だ。それほどまでに内調は「政権の安定」のためにはなんでもする。杉原が上司の指示、「(首相官邸前の安保法制反対デモに写った)人物の素性を調べろ」に対し、「民間人じゃないですか」と問うが、多分、「新左翼・党派」監視が主な業務だった公安調査庁が、組織防衛もあって内調と一体となって一般市民監視にシフトしていると言うのもまたもっぱらの話である。今や監視カメラが街を写し続け、携帯・スマホのGPSやNシステムで被疑者の確保も簡単になってきている。武器輸出は「防衛装備移転」と言い換えられ、沖縄に「寄り添う」は「見捨てる」の意である。これではオーウェルの『1984年』の世界だ。アメリカがイランを盛んに挑発しているが、もし、武力攻撃になれば簡単に安保法制は発動されるだろう。「日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある」と判断すれば。イランを始め中東から石油を供給している日本からすれば、その可能性は大で、そういった実態があるのに憲法を変えないのはおかしいと。

政権与党の安定的勝利とも報道される今夏の参議院選挙。「新聞記者」が制作、ヒットしたのを映像世界の強かな抵抗と見るか、有権者のカエルのぬるま湯と見るか。本作とともに志葉玲さんの記事(「都合の悪い者」陥れる官邸のフェイクー『新聞記者』のリアル、望月記者らに聞く

https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20190705-00132919/)も強くオススメする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本にもこんな裁判官がいたなら  「RBG 最強の85才」

2019-07-03 | 映画

ルース・ベイダー・ギンズバーグについてはビリーブ(男女平等ランキング110位の国から見る「ビリーブ 未来への大逆転」https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/2f938f020190349ea2fe880a0ef4586a)である程度述べたので、本作で気になったところだけ書くことにする。その大きな点は、字幕でルースが夫のことを話す時には「夫は」と訳しているのに、ルースに質問するすべての人が夫のことを尋ねる時には「ご主人は」と訳していることだ。

フェミニズムの成果を持ち出すまでもない。主人の反対語は奴隷である。主婦だという意見もあるだろうが、主夫の場合、その配偶者を「主人」と呼んだりするだろうか。主人はかくもジェンダーにおける非対称性を明らかした用語であり、そもそも英語の主人、例えば、MasterとかLordとかは妻の側から見た夫を指すものとしての用語ではない。字幕者が自己の極めて日本的ジェンダー規範に縛られた用語を当てはめたのである。

クリントン大統領の時代に女性として史上2番目に最高裁判事に任命されたRBGは、「ビリーブ」で描かれたように、1950年代優秀な成績で法曹資格を取ったのに、どの弁護士事務所も雇わなかった時代を生き、その後、70年代になって性差別、少数者差別を問う重要な訴訟を勝ち抜いてきた。しかし、アメリカとて性差別がなくなったわけではもちろんない。初の女性大統領になるはずだったヒラリー・クリントンは女性差別主義者の権化であるかのようなドナルド・トランプに敗れた。ハリウッドの大物による性差別、犯罪行為に端を発した「#Me Too」運動が起こったのが2017年、その後の「#Times Up」運動は性に限らず、少数者差別・排除を許さない動きにつながった。これらの動きに先駆的に最高裁の差別容認判決に果敢に反対意見を述べ続けてきたのがRBGだった。しかも、現在連邦最高裁判事の構成は、保守5、リベラル4と保守派が強い上に、最高齢のRBGが引退すれば、トランプは超保守派の裁判官を送り込むことは目に見えている。だから86歳のRBGは倒れるわけにはいかないのだ。

RBGの功績は偉大で、尊敬を集めるのは理解できるが、その人気がグッズになったり、モノマネ芸人が出るなどアイドル的なのには戸惑ってしまう。しかし、日本の最高裁判事のように普段どう働いているのか、姿が全くわからないより、テレビ番組に出演し、オペラ鑑賞などの私生活、健康維持のためのトレーニング風景など、裁判官も人間だとわかる方がいいのではないか。最高裁には弁護士枠があって、大阪弁護士会からもこれまで弁護士から最高裁判事になられた人もいるが、退官後しか最高裁当時のことをお話しされないし、退官後早く亡くなられた方も数人いる。それほどの激務だったのであろうか、弁護士との差が激しかったのだろうか。ちなみに現在大阪弁護士会出身の最高裁判事はいない。

いや、安倍政権になってからの最高裁判事の指名は、政権に都合のいい判断をしそうな人ばかり送り込んでいるとのもっぱらの話。どこまでもトランプについていくポチらしい振る舞いとは言い過ぎだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする