kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

バレエは美しい、そして厳しい  「ファースト・ポジション 夢に向かって踊れ!」

2013-01-25 | 映画
バレエ用語は基本的にフランス語である。パ・ドゥ・ドゥだとか。しかしなぜだか分からないが5つの基本ポジションはファースト・ポジションなどと英語。世界各地での予選を経て、ニューヨークでファイナルが行われる若手ダンサーの登竜門YAGP(ユース・アメリカ・グランプリ)に参加する子どもたちを描いた秀作が「ファースト・ポジション」である。そう、映画の題名は踊り始めるときの基本姿勢と同時に、彼ら彼女らが世界にはばたく第一歩であることをも表している。
ド素人バレエファンとしては、11歳のアランの瑕疵のない、年齢を感じさせないテクニックと舞台余裕に驚嘆させられる。抜きんでていると感じたのだ。取り上げられるのは基本的にアメリカ人が多いが、14歳、黒人のミケーラは西アフリカのシオラレオネ出身。両親が内戦で殺され、孤児院にいたところをアメリカ人の白人夫妻に養子にとられたころから渡ってきた。アメリカ人と日本人とのハーフのミコ、12歳は、母親が猛烈なステージママ。10歳の弟のジュールズはバレエへの関心をなくしてしまうが、ミコはバレエを心から愛し、楽しんでいるよう。ステージママの熱心さだけではない。コロンビアからNYに来ている16歳のセバスチャンはまだ母親の声をしょっちゅう聞かないと淋しい年頃。両親から「この国には仕事がない。成功して帰って来い」と言われている。自分で車を運転、友だち、彼にもめぐまれ、整った容姿と体躯を持つレベッカ、17歳。アランのダンスに魅せられ、すすめられて自分も始めた11歳のガヤはイスラエル人。アランもミコも自宅学習で学校へは行かず、完全にバレエ中心の生活を送っている。そして総じて皆裕福な家庭である。レベッカの家は大きいし、ミコの父は企業経営者。ミケーラの養父母もミケーラの年からすれば年配でこれも裕福そう。そう、全身全霊バレエにかけるには本人の意志や家族のサポートはもちろん、そもそも大きな費用がかかる。全員レッスンに明け暮れているが、アラン、ミコやレベッカの様に個人教授を持つ者もいる。レッスン料の他に衣装代、コンテストに出る費用、旅費…。だから、ミケーラ、セバスチャンのように名門バレエ団への入団やバレエ学校への奨学金獲得をめざしてファイナルにかけるのだ。
YAGPでの成績だけで誰にでも入団や奨学金への道が平等に開かれているのはすばらしいと言えるかもしれない。しかし、現実はファイナル前の各地域予選では、持てる者がそもそも優位であることに変わりはない。そうはいっても、お金があれば成功する世界ではない。本作のすばらしいところは、ファイナルに至る裏側、それぞれの葛藤やバレエの舞台裏=それは、時にくじけそうなる心や、激しいレッスンからくる身体的傷、をもあますところなく丹念に描いているところ。それが可能になったのは、被写体がカメラを気にしなくなるところまで撮影する側との信頼関係ができているから。
監督のベス・カーグマン自身がバレエをしていて、そのある意味閉ざされた内輪と実態に通じている。そして、ここが一番すごいと思うのは、カーグマンが被写体に選んだほとんどすべての子どもたちが、ファイナルで賞を取ったり、入団したりと夢の第一歩、ファースト・ポジションに立てたことである。カーグマンは言う。「最初から、彼ら彼女らの才能を見いだして撮ったわけではない」が、「たくさんの人を撮って、賞を取った人だけに絞ってなどというのは時間的、資金的に無理」とも。けれど、7名とのその家族、友人たちを撮った数百時間に及ぶフィルムを90分ほどのドラマに設えた才能は、バレエに精通していたからであり、地区予選の段階でファイナルまでいくかどうかも分からないのに、結果的にそれを見いだしたのは慧眼としか言いようがない。
先ほど、被写体を「子どもたち」と書いた。しかし、もう立派なバレリーナたちである。名門ロイヤル・バレエ団に入団したセバスチャンをはじめ、数年後の舞台でプリシンパルとして会えることを楽しみしている。
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アメリカ東海岸美術館巡り2013 6

2013-01-21 | 美術
前回METについて書いたが、そのMETに行く直前の朝、METの別館クロイスターズを訪れた。クロイスターズは、スペインやフランスから回廊と修道院を移設した中世専門の美術館である。中世美術にあふれた空間は、ヨーロッパにいくつもあるが、「美術館」として大規模に特化したのは、パリのクリュニュー美術館とバルセロナのカタルーニャ美術館以外に思い浮かばない。カタルーニャは、ビザンチン様式が主流で、ロマネスクからゴシックへと、あの得も言われぬ、それは必ずしもキリスト教とは関係のない、旧い佇まいはやはりクリュニューとこのクロイスターズであろう。
中世美術には静謐が似合う。冷たさもある石の回廊が美しく、その外側に広がる薄暗い部屋には彫刻や調度品、絵画、家具、タピストリーが並ぶ。中世彫刻といえばリーメンシュナイダーははずせない。リーメンシュナイダーに特徴づけられる深く、峻厳さにあふれた思惟像はこのビショップでも再現されている。ほかにも、まるで運ばれたのではなく最初からそこにあったかのような威厳に満ちた彫りばかりだ。絵画ではカンピンのメローデ祭壇画がある。15世紀初頭の作品は、ルネサンス以前フランドルの画家たちが、後世いかにこの発色を遺そうとしたかのとの創意工夫が偲ばれる。受胎告知は数えきれないほど描かれた画題であるが、ルネサンス以前、特に中世フランドルや北方ルネサンスのものほど美しい受胎告知はないのではないかと、一人思っている。
規模はもちろん小さいがステンドグラスも美しい。光の少なかった中世。教会により光をとりこもうとこじんまりしたロマネスク様式とうって変わって、ゴシックは大規模な、窓を多く施し、より高い建物を志向した。そのいわば完成形がランスやシャルトルであるが、このような名も知れぬ回廊がいい。柱一つひとつに表情があり、クリュニューでも記したが、蛇口一つにとっても楽しい彫りがあり、油断がならない。神は細部に宿ると誰かが言った。温かい季節なら回廊の中庭も解放されているという。建築、作品、すべての雰囲気に囲まれて豊かな静謐を満喫したい。そんな気にさせるクロイスターズである。
 
駆け足で、MoMA(ニューヨーク市立近代美術館)とブルックリン美術館も行った。MoMAは前回、12年前だったかに訪れたときは改装中で、マンハッタン島を離れた場所で小規模な仮設展示であったので、マチスの「ダンス」やピカソの「アヴィニョンの娘たち」など限られた作品しか見られなかった。それが、今回雪辱を果たせた。大げさだけれども。ガイドブックに沿って常設の4階に行くといきなりアンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」。アメリカン・リアリズムここにありとばかりの記念碑的作品。時代的には印象派より前だが、堅苦しいアカデミーのなかったおかげで19世紀にはリアリズムが発達した。それは南北戦争前夜の豊かな農場主(もちろん黒人奴隷差別・搾取の上で)が持つ広大な穀倉地帯と草原が描かれ、アメリカと言えども本格的な近代のまだ手前であったことが示唆されている。
アメリカの美術館の豊かさは、富豪らの印象派買い漁りにより成り立ったとくどく述べた。MoMAは、そのような印象派以前、歴史の浅いアメリカでは19世紀初頭、に始まってこぼれるほど多量な印象派、二つの大戦間の美術、世界中の戦後美術を先導したドローイングやその他、などModern=近代のすべてを俯瞰できる御殿のような存在だ。ちょうど、企画展も日本の50年代~美術をはじめいくつも同時併催していた。ポンピドゥー・センター、テート・モダン、ピナコテーク・モデルニ、ソフィア王妃芸術センター。ヨーロッパの名だたる近代美術館がたばになっても、MoMAの資金力と構成力には追い付かないのではないか(そんなことはないが)と思わせるほどの充実した新生MoMAであった。(カンピン 「メローデ祭壇画」 この稿了)
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アメリカ東海岸美術館巡り2013 5

2013-01-20 | 美術
銀行家アンドリュー・メロン ワシントン・ナショナル・ギャラリー、石油王ジャン・ポール・ゲティ ロサンジェルス・ゲティ・センター、化粧品ビジネスなどの実業家ノートン・サイモン パサデナ・ノートン・サイモン美術館、ミシン業者ロバート&フランシーヌ・スターリング・クラーク ウィリアムズタウン・クラーク美術館、製薬会社アルバート・クームズ・バーンズ フィラデルフィア・バーンズ財団美術館…。
アメリカの美術館は、企業家・富豪が公立美術館に資金提供、作品寄贈したコレクション、あるいは自ら美術館を設立してできたものが圧倒的に多い。そして、世界でも屈指、アメリカ最大のメトロポリタン美術館。パリで開かれたアメリカ独立を祝う会合で政治家ジョン・ジェイの「国民の美術館をつくろう」との呼びかけにより、資金と作品が集まった。呼びかけに応じ、提供したのは金融王ジョン・ビアポンド・モルガン、石油王ジョン・ロックフェラー、鉄鋼王ジョン・デイビスなど。現代のウォール街に対しオキュパイ運動した99%から見れば1%、後の富豪たちである。これらの富豪の作品寄贈、資金提供によりメトロポリタンは設立され、現在でも作品寄贈は続いているという。また、入館料は基本的にはdonation(寄付)。といいながら、ちゃんとadmission25ドルと明記されていて、それを支払わないと、入館許可の証であるバッジをもらえないので、結局みんな25ドル支払っているのだが。
広さについては言うまでもない。今回は午後半日ということもあり、最初から全館回るつもりはなかった。それでも、中世美術、ヨーロッパ絵画・彫刻、近現代美術までで、アメリカ美術は行かなかったのに、夕方まであまり休まずへとへとに。エジプトやアジア、イスラム美術は全然行っていない。また、館内中央西側を占めるロバート・レーマン・コレクションやいくつかの企画展もあり(その日は、マチス展のほか、18世紀の西洋家具展、戦前の著名なアメリカ人画家George Bellows(読み方がよく分からない。ジョージ・ベロウズか?)の回顧展など)、とてもでないが、一日で回りきれる質・量ではない。しかし、今回ワシントンD.C.はフィラデルフィアの大美術館を回って再認識したのは、アメリカは近現代美術は充実しているが、中世美術は弱いということである。これはもちろん、アメリカという国の新しさ故であるし、ピューリタンの国として、キリスト教芸術たるカトリックの基盤がないアメリカでは、ある意味近代以前のキリスト教美術をすべて捨象して新たな美術世界を求めることを可能にした。それが近代美術の充実、それも印象派とその流れのなかでの作品の蒐集、そして、第2次世界大戦で国土が傷つかなかったアメリカが戦後美術をけん引することを運命づけられたのだ。メトロポリタンは、弱い中世絵画はさておいて、印象派のほか金に飽かせて集めまくった!エジプト美術など、世界3大美術館の一角に数えられているにしては、ルーブルやエルミタージュがそのコレクションはにおいてキリスト教美術が西洋美術の基本というわりには歪である。
ヨーロッパ諸国が第2次大戦後、国土復興に時間をとられている間、アメリカの富豪はそれこそ、近代絵画を浚えまくった。その典型がルノワールを集めたバーンズであり、マチスを集めたコーン姉妹(ボルチモア美術館)などである。そして、その集大成がメトロポリタンであるとすれば、今、よき状態でルノワールなどを満喫することができるのは、そのような「浚えた」故であろう。文化保護主義の観点からは、そのような所業が正当かどうかはわからない。ただ、資本主義アメリカのおかげで、貴重な美術作品が一堂に集められた眼福は否定できない。覇権主義と美術作品の維持。キリスト教美術に対する一方の核であるイスラム世界では、偶像崇拝禁止厳格化の下に過去の美術作品を破壊する勢力もある。そして、資本主義ゆえにここまで拡大した貧富の格差に目を向けないで美術擁護か?
大きなメトロポリタンで、身に余る大きな課題を少しだけ考えた。(ジャクソン・ポロック「秋のソナタ」)
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アメリカ東海岸美術館巡り2013 4

2013-01-16 | 美術
白状すると、日本で西洋絵画の人気はイコール印象派人気であって、キリスト教美術を解さない日本人が、その逃げ道として印象派を必要以上にありたがっているのではいか、とひねくれると同時に「本当に面白いのはキリスト教美術なのに」と少し傲慢な態度でこれまで印象派絵画には接してきた。「馬鹿にしていた」わけである。今回、バーンズ財団美術館を訪れて、これまでの自分の傲岸さと不明を反省しなければならないと思った。
1994年に国立西洋美術館でバーンズ・コレクション展として開催されたとき、たまたま東京に行っていたが、入場3時間以上待ちだとかにおののいて、入らなかった覚えがある。その時はバーンズ・コレクションのなんたるかも知らず「なぜこんなに人気があるのかな」と能天気に思っていたのだ。しかし、今ならあれだけ人気があった理由も分かるし、バーンズ・コレクションの貴重さも分かる。敵のように集めまくったルノワール、セザンヌ、マチス、スーチン…。冗談ではない「敵」としか思えないほどの蒐集ぶり。例えば、入った部屋、進んだ部屋からルノワールがなくならないのだ。こちらもルノワール、おっとセザンヌも尽きない。最初の部屋の右にはっとするほど美しいのはスーラの「Models(「裸婦たち」とか「ポーズする女たち」と紹介される)」。スーラがわずか31歳で亡くなったのは、あのような根を詰めた作品を描いたからだと思わずにいられないほど精緻に構成されている。200×250mの大作であり、作品数の少ないスーラのなかでも間違いなく傑作である。スーラを左に部屋(MAIN ROOM)の正面に向かうと、入口のすぐ上にはセザンヌ、左右にルノワールが10点ほど、ルノワールの間にセザンヌも10点ほど。部屋反対側は左にマチスのSeated Riffan、右にピカソのComposition、そして上部にはマチスの巨大なThe Dance。ふう~、こんな狭い展示空間にため息の出る作品群。そう、バーンズ財団美術館はどの部屋もそれほど広くなく、2フロアで20室ほど。しかし、そのコレクションのすごさもさることながら、展示方法がユニーク。先ほど述べたようにルノワールとセザンヌが混ぜて、それも上下左右に、展示されているわ、ハルスの左右にセザンヌがあったり、アンリ・ルソーの下にはイスラム調のテーブルがあったり。そう、時代や関連性を無視しているように見える展示なのだ。しかし、これは美術館の創始者アルバート・クームズ・バーンズの美意識、発想の豊かさと見ていいだろう。冒頭、印象派を軽くみていた自身を反省したが、ルノワールやセザンヌの技量は、これだけそろっているとよく分かるし、モネやドガ、そして後期印象派、新印象派などを含めて、印象派が絵画の世界を変えたのは間違いない。そう、印象派は絵画の世界を分かったのに間違いない。
1974年モネの「印象・日の出」で始まった印象派は、アカデミーなど旧来の画壇に酷評されながらも、その足取りを着実に広げてきた。生前には全く評価されなかったゴッホや、子どもでももっとましな絵を描くとコケにされたアンリ・ルソーなどフォーブの黎明は後に20世紀豊かな近代絵画の世界に道筋をつけた。しかし、フランス国内よりも、いやヨーロッパ中を集めても、アメリカにある印象派やそれに続く近代絵画の方が多いのではないかと思うほどのすさまじいコレクションである。その筆頭がバーンズだ。アメリカの金持ちが買い漁ったから、印象派の価値が上がり、また注目されたというまるで現代の未公開株の仕手戦のような趣もある。しかし、であるからといって、ルノワールやセザンヌの仕事の評価は下がらない。たくさん、見てはじめて分かる印象派とその評価の本質に出会えたような気がした。(バーンズ財団美術館)
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アメリカ東海岸美術館巡り2013 3

2013-01-14 | 美術
「大きい」を表す英語のbigは「大きい」の中では小さい方らしい。gigantic(ジャイガンティックとか発音するらしい。難しい)がもっと大きくて、enormousとかhugeとかは受験英語にもあったような気がするが、colossalはもっと大きくて(ローマのコロセウムから来たのだと筆者の英会話の先生が言っていた)、さらに、ginormousとか(giganticとenormousを合成した造語ではないかとにらんでいる)より大きさを表す単語は進化?しているようだ。
どうも、ハンバーガーとかそれを食べる人間とか巨大化していくのが得意のアメリカでは、「小さい」を表す単語は多くないのに(と勝手に思ってる。英語詳しい方、教えてください)、なぜか「大きい」を表す単語は変化に富む。
フィラデルフィア美術館はせいぜいbigだろうとなめていたら、enormousかなんかで、まともに見ていたら一日では足りない規模だ。特に近現代美術のコレクションはすさまじい。ああ、そういえば美術書の作品引用に「フィラデルフィア美術館所蔵」とのキャプションが入っているのが多かったような。例えばマルセル・デュシャンの「大ガラス」や「遺作」など。「大ガラス」は東京大学にもあるくいらいで、日本やヨーロッパで何回も見た。しかし「遺作」は、さすがにフィラデルフィアまで来ないとなかなか見られないのではないか(ただし、横浜美術館でデュシャン展をしていた時には展示されていたようである。筆者もポンピドゥーかどこで見た。)。まあ、わざわざ見に来る作品かどうかは別にして。そしてドガの彫刻も多い。ドガというとバレエの油彩、パステル画などが思い浮かぶが、アラベスクなどたくさんの彫刻をつくっていて、日本で大規模な展示は難しいだろう。それに、そもそも近代絵画、印象派以降、スーラなど新印象派、ゴッホなどのフォービズム、そしピカソ以降と印象派の後ヨーロッパ画壇でどう展開していったのかを知るには、このようにまとめて見る必要がある。マネが火をつけた革新的画壇=印象派の先達、ルノワール、モネ、ドガ、をセザンヌが後に続く者を生み出し、フォービズムのゴッホやゴーギャン、キュビズムのピカソ、ブラックを経て、シュルレアリズムに至るまでの流れは、ある程度作品がそろっていないと理解しがたい。その意味でセザンヌとマチスのコレクションは重要である。水浴画ですでにフォルムとしての絵画論を完成していたセザンヌは、山を描くときも、人を描くときも同じように対象分析=分解を終えていた。自然を円筒形と球と円錐形で捉えよといったセザンヌは、色彩についても少なくとも彼が考える無駄な色を排せよとした。シュルレアリズムはその一つの到達点であり、シュルレアリズムというと抽象的な無機質との思い込みを、見る側の想像力を刺激してやまない豊かなフォルムとカラーを生み出した。それはマチスを見ればさらに明らかになる。なぜ、このような簡単なドローイングで、乏しい色数でこのような華やか、豊かな表現が可能であるのか。それは、印象派以前、非現実的な歴史絵巻を主にしていたアカデミズム画壇が「見せる」絵画を念頭に置いていたのに対し、印象派は描く自らが「見る」絵画を追求したからではないか。自分がどう見るかは、へたをすると唯我独尊になる危険は大きいが、セザンヌがモネを賞賛して発した「モネは眼に過ぎない。しかし、なんという眼だ」に端的に表れている。
自ら「見る」にこだわった印象派の面々は、やさしい女性(少女)や家族像を繰り返し描いたルノワール、バレエという現実に動いている者を止まった状態で表わしたドガ、ロマン主義を排したところで田園を想起させたピサロなどを見れば、印象派が絵画の世界を変えたと知るには十分である。
アメリカは美術の世界をも変えようとした。それは財であり、ともすれば旧いキリスト教美術の価値よりも、後世に力を持つであろう(実際、そうであった)印象派の作品に価値を見、買い漁ったアメリカの富豪のすばらしき成金趣味の証として現在の私たちの眼福に寄与しているのは紛れもない事実である。(セザンヌ The Large Bathers)
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アメリカ東海岸美術館巡り2013 2

2013-01-10 | 美術
ワシントンD.C.と言えばスミソニアンである。スミソニアンが擁する博物館・美術館などは19あるが、ナショナル・ギャラリーは前回記述の通りアンドリュー・メロンが私的に蒐集した作品がそもそもの始まりで厳密にはスミソニアンには含まれない。スミソニアンでやはり有名なのは、広島への原爆投下に肯定的解説を付したエノラ・ゲイを展示する国立航空宇宙博物館であろう。エノラ・ゲイはともかく飛行機や宇宙船など見てもよく分からないので、行かなかったが、ほかにも自然史博物館とか国立アメリカ歴史博物館とか純粋に美術館と呼べるのは少ないので結局行ったのは現代美術を展示するハーシュホーン美術館だけである。
ちょうど艾未未(アイ・ウェイウェイ)展をしていた。今でこそ北京オリンピックの「鳥の巣」を制作したことで有名になっているが、日本で艾未未展が大きな国立美術館で開催されることなど考えがたい。もちろん筆者とて艾未未の仕事をよく知っていたわけではなく、自身が被写体になることも含めて、一風変わった写真や、木材や多分スチールなどを使用した大きなインスタレーションなどを見たことがあるだけである。艾未未自身は、今回知ったが、その言動から中国共産党からにらまれ拘禁されたりしてもいるらしいが、結局発言しないことにより(撤回や反省ではなさそう)、劉暁波氏のようではなく完全な拘留状態は脱したようである。いずれにしても、中国という一党独裁の国で、アーティストであれ発言するということ、弾圧されないように発言するということの重みは、艾未未展を開催することのできない日本のアート状況とアーティストの政治的発言(の少なさ)と比べると、その覚悟において差があり、また、艾未未を紹介できるアメリカの言論状況からも後背の感を抱かざるを得ない。(アメリカによる中国の反民主主義的状況に対する一種のけん制、プロパガンダと勘ぐることもできるがここでは触れない)
スミソニアンとは違うプライベートの美術館を回ったが、これがよかった。コーコランギャラリーは、規模は小さいが館の美術館特有の峻厳さに満ちている。ここではルノアールのようなやさしいタッチか、ゲインズバラのような威厳が似合うのかもしれない。私人の館を美術館に改装し、ついには居住者が出て行って、美術館専業になったフィリップス・コレクションはすばらしい。近代以前の作品以外に近代の抽象的作品 ― マーク・ロスコやパウル・クレーの部屋があるのは、僥倖 ― もしっかりと位置づけされていて、個人の館であっても美術史の一渡りを感じされる展示はセンスが抜きん出ている。ナショナル・ギャラリーのような公立の大きな美術館ももちろんいいが、小さな私立美術館、それも私邸をそのまま使用した場合は、その管理の難しさとともに、展示のセンスが問われる。審美眼とはこのような場でこそ養われるのではないか。(フィリップス・コレクション外観)
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アメリカ東海岸美術館巡り2013 1

2013-01-08 | 美術
アメリカが広くて、金持ちの美術館が多いとは知っていたが、これまで見過ごしていたのを挽回できてよかった。最初から大げさだが、ワシントンのナショナル・ギャラリーは予想を超える大きさと収蔵品だったからだ。アメリカはMETがあるが、ここも引けを取らない。なにせ「国立」なのだから、民間に負けるわけにはいかない。だが、収蔵品は寄附、寄託ばかりだという。そもそもナショナル・ギャラリーの設立からして銀行家のアンドリュー・メロンがロンドンのナショナル・ギャラリーを見てアメリカにも作りたいと自身の蒐集作品をすべて寄贈したことに始まるそうな。そしてロンドンのを真似て入場料も無料。広さからいうとロンドンのと、どちらが広いか分からないが、収蔵点数はルーブルに負けないそうなので、ロンドンより規模が大きいのだろう。ただ、ロンドンと違って彫刻や工芸作品も展示しており、特にロダンとドガのコレクションは圧巻である。絵画は、12世紀!のものに始まり、ポスト印象派頃までで、ルノアールやモネ、どこかで見たことのある有名作品も多い。ただ、1930年頃以降のヨーロッパからの購入と言う制約からか、北方ルネサンスやバロック、スペイン絵画は少ないと感じた。しかし、イタリアルネサンス、500年前のダ・ヴィンチ(21歳の作品「ジネブラ・デ・ベンチの肖像」は有名。西半球でダ・ヴィンチが見られるのはここだけだそう)やボッティチェリ、彼らより古いフラ・アンジェリコやフィリッポ・リッピもあり、よくぞはるばるきれいな状態でアメリカ大陸まで来たものだと感心する。ほかにもフェルメールが3点! レンブラント末期の鬼気迫る自画像、そしてもちろんアメリカ印象派、近代絵画も多い。
後にできた東館は現代美術。ちょうど、ロイ・リキテンシュタイン展とバーネット・ニューマン展をしていて、リキテンシュタインをあれだけ一同に見られるのはアメリカならでは。あの細かなドットが一つ、ひとつ息づいているように感じられて、リキテンシュタインが、アンディ・ウォホールと競い合わずに、己のペインティングを追求した様が浮かぶよう。常設にはカルダーのモビール部屋、ブランクーシも空間の鳥2点など、うれしくてたまらない。ショップでモビールも売っていたが、美術館や大きな公共空間でこそ映えるアート。我慢した。
ただ、アメリカのコンセプチュアル・アート(ポロックもあります)やミニマル・アートなど大画面のドローイングは多いが、ヨーロッパの近代と現代を結ぶ作品(たとえばキリコであるとか、ドローネーであるとか)は、ピカソ、ミロなどの超有名作家に比して少ないのではないか。にしても、マネ以後の印象派のモネ、ルノアール、ドガ、セザンヌなど親しみやすい作品数はさすが。多分フランス以外ではこれほどそろっていないのではないかと思うほど、ピサロやメアリー・カサット(フランス生活の長いアメリカ人らしいが)の作品も多い。特にルノアール「じょうろを持つ少女」だのモネ「パラソルと女性」だの教科書どころかなんかのコマーシャルやテレビで見た、見たという作品ばかり。
「ナショナル」の力に改めて驚くとともに、「財」のアメリカを実感する。(ブランクーシ「空間の鳥」)
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