kenroのミニコミ

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エコール・ド・パリ展

2006-11-06 | 美術
エコール・ド・パリと言えばシャガール、モディリアニ、キスリングなど日本で人気の高い画家たちが思い浮かぶ。実際、シャガール展は日本のどこかでいつもしているくらい頻繁に見えるし、今年は藤田嗣治の回顧展も大々的に開催されていて、余計に身近に思えるかもしれない。けれど、「パリ派」と呼ばれたのは彼らが「芸術の都」パリに来て活動をしたからで、白ロシアのシャガール、リトアニアのスーチン、ブルガリアのパスキン、ポーランドのキスリングと彼らの多くが東欧出身のユダヤ人であることをどれだけの人が知っているのだろうか。異郷という意味ではイタリア人のモディリアニ、日本からの藤田も同根である。
東欧出身の理由は第1次大戦後の不安な社会状況、ロシア革命の匂い、芸術の都に出ればなんとかなるとか様々であろう。事実、彼らが依拠したパリの一角には詩人のアポリネールやすでに大成していたピカソをはじめとして「洗濯船」(モンマルトル)や「蜂の巣」(モンパルナス)など芸術家の溜まり場が存在していたし、芸術家と文学者の交流は当たり前だった。そんな中で日々芸術論、文学論をたたかわせていた画家たちがかれらエコール・ド・パリの面々である。
しかし、彼らの多くが世紀末でもないのに世紀末的な頽廃さを前面に押し出し、「放蕩」の末若く命を落としていったのには近代を一早く成し遂げたパリならではの雰囲気も感じる。戦争美術で頂点にたった藤田、ユダヤ人迫害から逃れアメリカに渡ったシャガールなどを除いて、モディリアニ、スーチンなど総じて若死にである。まるで生き急ぐ、死に急ぐかのように。
印象派以降の画壇で美しく、まとまったフォルムの姿がキュビズムであるなら、キュビズム以降、フォーブも含有し、さらなる人間存在への突きつけをなしたのは正式な美術教育を全く受けていないアンリ・ルソーの影響を強く受けたエコール・ド・パリの面々というのは面白い。というのは、シャガールモディリアニもスーチンもその多くは本国では「正式な」美術教育を受けているからだ。さらに、ルソーが示したプリミティブな観念(フォービズムのゴーガン、ドランはその典型とされるが)もまた彼らに色濃く見えるというのが本展の狙いの一つである。
エコール・ド・パリ派の画家の多くが若く散ったためにその燃焼がどう燃え広がったか想像するしかないが、第1次大戦後の好景気とは裏腹に「世界大戦」という欧州以外にも戦火が広がった人類初の誤謬をザッキンやオルロフの彫刻は後世の教訓をたしかに示しているようにも思える。
そう、モンパルナス近辺のザッキン美術館には、あの人を殺す時代の絶望が天を仰ぐ人型として鋭く表現されているのだ。
キスリングの、パスキンの、モディリアニの肖像が誰も笑っていないのは、彼ら自身の生の短さの予感だけではない。世紀を超えてこそ20世紀が長くないことの予感だったのだ。(スーチン「マキシムのボーイ」)
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