kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

痛い美しさ  愛をつづる詩

2005-11-27 | 映画
サリー・ポッターはマイノリティにスポットを当てる作品に特化しているように思える。そして、それらマノリティに向ける眼差しは優しくはないが社会啓発的でもない。「耳に残るは君の歌声」はナチスドイツが伸長した時代にユダヤ人とロマの明日のない愛を描いて見せたのが強く印象に残っているからだ。しかし、ダンサーであり、振付師、詩人、ミュージシャンそして脚本家、女優、映画監督とマルチタレントであるポッターはそのような枠組みには定まらない人なのだろう。未見だが「オルランド」では、ヴァージニア・ウルフの難解作を超越的に描いて見せた(何せ時空を超えて主人公は性も変わる)ことからも明らかに「とらわれないのない」発想、描写の人というのが当たっているのかもしれない。
詩人であるポッターが本作で重視したのは韻律。分子生物学者で地位的には成功している「彼女」は夫との仲はがたがた、そして「彼」はレバノンからの移民、本国では外科医であったがロンドンではコックとして働いている。「彼女」と「彼」の逢瀬の度につづられるオーラルカンバーセーションは美しい韻を踏み、そして時に哲学的問答をも誘発する。でも愛の言葉には違いない。
実はケンローチニスト(なんてあるのか)の私は、イギリス人のポッターが移民社会の不安定性、それに対する政策的不確実性を描こうとして本作を撮ったと理解していた。そのような面もないことはないだろう。「彼女」はアイルランド出身で彼女を育ててくれた叔母はコミュニスト、死に間際に現代で唯一革命に成功した(と思っている)キューバに行きたいと願う境遇であるし、「彼」は中東のバルカン半島とも言うべきレバノンはベイルート出身。隣国シリアが政権を左右し、南にイスラエル、ヨルダンと隣接し、国内にはPLO、対岸にはキプロスまで抱える美しくも悲しい小国レバノン。そこで「彼」は国の将来に絶望し、イギリスに渡るのだが、職場のもめ事で職を失い10数年ぶりにレバノンに還る。そこに「彼女」から電話「キューバで待っている」。
美しい。もちろん主演のジョアン・アレンは中年の美しさ(もともと美人だろうが)がすばらしく、「アララトの聖母」で渋い役回りだった「彼」サイモン・アブカリアンも味がある。アブカリアン自信はフランス生まれレバノン育ちのアメリカ人と言うから中東とヨーロッパの移民社会の標本を見るようだ。
「韻」が美しいと書いたが、本作の狂言まわし(?)は本題からは見捨てられた、あるいは見えないことになっている家政婦や掃除婦たち。彼女らこそ、「彼女」や「彼」、あるいは「彼女」の夫の日常の機微を的確かつ辛辣に捉えているところが苦笑ものだ。答えのないフランス映画を思わせるような幕切れ。一時に走る愛は当人にとってはとてつもなく美しく、そしてまた残酷だ。
とまどいながらも溺れること。イギリス、ロンドンと言う高度資本主義、消費社会の中にあって「純愛」とも呼ぶべき滑稽さ、それゆえの痛さ。だからこそ「彼女」と「彼」には物語が生まれたのだ。
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ケーテ・コルヴィッツ展(姫路市立美術館)

2005-11-20 | 美術
実はベルリンに行った際にケーテ・コルヴィッツ美術館にも行ったのだが覚えていなかった。というのは、ベルリンに行った時にはケーテ・コルヴィッツのことを全然知らなかったこと、ベルリンは現代美術の発信地であり、それに惹かれて訪れたことなどが理由だ。だが、知らなかったことはやはり恥ずかしい。
ケーテ・コルヴィッツは第1次世界大戦でまだ16歳だった次男ペーターを失い、「死」を見つめた作品を生み出していく。しかし、ケーテは息子を亡くす以前から労働者の悲惨な状況を描く作品を発表しており、人の生死にまつわる制作活動を続けていた。そして農民/労働運動や労働者の悲惨な姿をありのままに描いたため、作品の発表を妨げられたりもしたが、その実力からドツ女性として初めてアカデミーの会員、教授にまでなったが、やがてドイツにはナチの影が広がり、反戦思想を持つケーテは職を追われる。70歳になったケーテはそれでも制作を止めなかった。版画家として出発、成功したケーテが彫刻に本格的に取り組むのもこの頃である。しかし、孫のペーターまでもが第2次世界大戦で戦死。その前年遺作的版画「種を粉に挽いてはならない」でどんなことがあっても子を守る大きくたくましい母親の姿を彫ったのは、ケーテなりの理不尽な死(戦争はその最たる出来事)に対する深い悲しみ、慟哭そして反旗ではなかったか。
1945年に亡くなったケーテの版画は戦後、日本共産党や労働運動の中で機関誌などの表紙絵によく使用されたと言う。ケーテ自身は反ファシズムであってもコミュニストではなかったようだが、ケーテの作品がそのような使われ方がなされたことに宜なるかなという気がすると同時に、貧しさや死に対する本源的な怒り、悲しみ、告発といったケーテのテーマは大きな母こそ踏みとどまらなければならないとする共産党などとは関係のない普遍的な価値をも見いだすことができるだろう。そうであるからこそ、銃後の母像として戦後日本の左翼陣営が使いやすかったのかもしれない。
1919年暗殺されたカール・リープクネヒトはローザ・ルクセンブルグらと社会民主党最左派として活動していた。彼の思想より人柄に惹かれたいたというケーテが制作したのが、本ブログのカット「カール・リープクネヒト追悼」である。
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コール・ド・バレエの美しさ  兵庫県立芸術文化センターオープニング

2005-11-13 | 舞台
阪急西宮北口駅界隈は再開発ラッシュ。阪神淡路大震災で滅茶苦茶になった市場を取り壊し、大きなショッピングセンターが北側にでき、南側は旧い中層住宅を全部取り壊しこの芸術文化センターができた。あそこに住んでいた人はよりよい住環境へこ引っ越せただろうか。
センターは10月にでき、主にクラッシックのコンサートが多いようだが、バレエもできる立派な大ホールだ。そのオープニング・バレエに選ばれたのがメインをニジンスキー版の「春の祭典」、1部に「白鳥の湖」第2幕、2部に「眠れる森の美女」の第3幕より「グラン・パ・ド・ドゥ」などという贅沢さ。「白鳥の湖」でも「ロミオとジュリエット」でもプリンパルをつとめたヤンヤン・タンは中国出身ということもあり、ロシアやドイツ系のものすごく上背のある姿ではなく日本人にとっては見やすいのではないか。それに何度も繰り返されるリフトをこなす相手方の苦労を思えばあまりにも大きなプリマドンナは大変そうだ。
主役たちももちろんよかったのだが、美しかったのはコール・ド・バレエ。欧米のコール・ド・バレエは一流のバレエ団でも体格がまちまちな上、結構不揃いだと聞いたことがある。それが、日本のダンサーばかりということもあり身長も変わらず、20人以上の群舞がぴたりと揃う。なんて美しい。これじゃ、北朝鮮のマスゲームを笑えないなというのは冗談だが、あれだけ一人として外さないのには相当な訓練が必要で、また、完全に揃うことを目指す日本人の性格も関係あるのかもしれない。
メインの「春の祭典」。ニジンスキーの振付はあまりにもスキャンダラスで長い間上演されなかったと言う。それが、およそ80年後やっと復活されたというから曰くもの。まあ、今日のモダンダンスや舞踏の世界から見れば、別にスキャンダル性を感じないが、これが1913年にバレエとして上演されたとすれば話は別で、その斬新さは驚きだ。古代ギリシアのモチーフから着想を得たとされる衣装も異様なら、ダンサーの動きが常に膝を曲げ、頭を抱え込み、内側へ内側へと要求される様は過酷でもある。西洋近代に挑戦するかのようなエキゾチズムをもってして、当時すぐれた跳躍力を持った現役のニジンスキーがあえて踊らず、バレエとして本作を振付に徹したことに唸らされる。
春の祭典はもちろん、その音楽性も大地から沸き上がるイメージとして有名だが、振付次第で如何ようにも変化をつけることができる、まるで全然違う音楽かと見紛わせる(聞きまがわせる?)魅力はバレエならではのものだ。
個人的には「春の祭典」といえばベルリン・フィルと子どもたちが踊った名作(ベルリンフィルと子どもたち http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/b9dfc79af34438a4fc4d30baba66754b)のイメージが好きであるが、ニジンスキーの提示した西洋主導への挑戦もいい。
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苦いフィーネ、それでも惹かれる  メトロで恋して

2005-11-12 | 映画
フランス映画と言うとなぜかわからないが、すぐ恋に落ちて寝て別れる。けれど後腐れもない、いや後腐れがあったとしても別の恋をすぐに見つける、という風に思っていた、すべて。「メトロで恋して」もある意味でそのような狭い恋愛物語だ。が、フランス映画にめずらしく苦く、キツい終わり方だ。と言うのは、フランス映画は、恋は終わったの?始まったの?えっ?とよくわからないエンドであるのが多いからだ。
メトロで出会ったアントワーヌとクララが恋に落ちて、結婚を考えたら、クララがHIV陽性とわかり、人生において責任や「引き受ける」ことについて真摯に向き合ったことのないアントワーヌは逃げてしまう。己の身勝手さ、愚かさに気づき、愛しているのはクララとよりを戻そうとするが、新天地に飛び立とうとするクララはアントワーヌに「許せない」。
ストーリーを書けばたったこれだけの他愛もないお話だが、先日見た韓国映画「私の中の消しゴム」よりかなりずしんときた。「私の…」は日本のテレビドラマ「PURE SOUL~君が僕を忘れても」のリメイクであること、韓国ドラマお決まりの難病ものであること、でも希望を持たせるラストであったことからどうも現実感を覚えない、惹かれるものを感じない作品に思えたとは反対だ。もちろんメトロでそんなうまく出会って、すぐ恋に落ちるなんてないだろ!そして彼女がHIVだなんて、という突っ込みをおいても「メトロ…」はそのキツさ、いやアントワーヌの身勝手さ、未熟さ故惹かれてしまうのだ。
「弟は話すと自分のことばかり」とアントワーヌの姉がクララに語ったように、HIV感染を知り、精神的にひどい状態にあるクララに対し、アントワーヌは役を得ただの、有名な女優と共演するだの自分のいい話ばかり。あげく、それを指摘したクララに対し「自分は何もできない」と開き直り、逃げる始末。これってどこかで見たような。あっ、自分のことだ。
で、キツいのだ。人は初めから成長しているわけではないという気休めが何もならないように、精神的にひどく参っている恋人に対しておざなりの慰めの言葉はいらない。が、自分のことばかり話していていいのか?明らかにクララを元気づけようとしているのでもあるまいし。
と、アントワーヌの優柔不断さ、未熟さ、そして自己の愚かさに気づく成長の証が好きで本作を推すが、実は、監督のアルノー・ヴィアール自身がアントワーヌであったことから作品はできたというのだ。自己の未熟さや過ちを振り返らない方がきっと楽だ。けれど、それは何か心の底に重い澱を残したまま人生を過ごすことになるになるだろう。澱は澱と自覚しつつ、生きていく道もあるが、人生に溜まる澱は多い。ならば、さらりとした心の底を見たいがために澱は除去することとしよう。いや、澱をつくった自己のあり方を自覚するため澱は澱のままで置いておこう。というくらいの方が自分は自分を信用できる。
イギリスはケン・ローチを彷彿とさせるアンチクライマックス性がハリウッドではないフランス映画できちんと出てきたことに、ホントに苦いのだけれども快哉。
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茶色の朝  「自分には関係ない」と思っていた

2005-11-06 | 書籍
この本を今の今まで知らなかったことを恥ずかしく思う。内容は実に簡明にして簡潔。

茶色の猫しか飼うことを許されず、それ以外の猫は「処理」される。もちろん隠れて茶色以外の猫を飼っていたら咎を受ける。それが犬にまで広がるとは。そんな法律に批判的だった新聞は廃刊に追い込まれ、「茶色新聞」だけになる。けれど「俺」は競馬とスポーツのことが書いてあるからいいかと。次第に世の中すべてのものに「茶色の」という言葉をつけるのが当たり前、つけないと密告されるくらいになってしまった。けれど、その度ごとに「俺」は何やら理由をつけて自分を納得させる。合理化するのだ。
ある日犬好きの友人はまっ茶色の犬を見せ、自分もまっ茶色の猫を見せ笑いころげる。ところが、その友人は「前に」黒い犬を飼っていたという理由で自警団に捕まってしまう。「前に」だって!「国家反逆罪」だとアナウンスを聞き、眠れない夜を過ごす。もっと早くに抵抗すべきだった。自分の猫が標的になった時に。いや、「国家反逆罪」の適用では、自分自身以外、親、きょうだい、いとこなどが生涯たった一度でも茶色でない猫を飼ったことがあるのなら「ひどく面倒なことになる」。一つひとつ抵抗すべきだったのだ。でも、どうやって? 俺には仕事があるし、毎日やらなきゃらないこまごましたことも多い。他の人たちだって、ごたごたはごめんだからおとなしくしているんじゃないか?
と夜が明ける。ドアをノックする音が聞こえる。
 
高橋哲哉さんの解説には茶色はフランスの読者にとってナチスを連想させるという。それが今日ではナチスのみならずファシズム、全体主義と親和性を持つ「極右」の人々を連想させる色になっているというのだ。
フランスとブルガリアの二重国籍を持つフランク・パブロフが本作を書いたのは2002年の仏大統領選挙で人種差別と排外主義で知られる極右政党・国民戦線のジャン=マリー・ルペンが社会党のジョスパン候補を抑えて第2位に躍り出た時だった。わずか11ページのこの物語が全国に波及し、ルペンはシラクに破れたのだった。
自分の家のドアがノックされるまで自分には関係ないと思っていた「俺」がそう手遅れになったのは「茶色に守られた安心、それも悪くない」と思ったから。ファシズムがむき出しの暴力で市井の人々を弾圧するのはファシズムが完成した終盤である。ヒトラーさえも、国家社会主義労働者党という「社会主義」あるいは民主主義を標榜していた。そう、ファシズムはある日突然やって来るのではない、「まあ、いいか」「俺には関係ない」「逆らう奴がおかしいんじゃないか」と自己を合理化、諦観しているうちに少しずつやってくるものだ。
戦前の日本でも1925年の治安維持法からはじまって、1938年の国家総動員体制まで10数年かかっている。その間、満州への侵略、5・15事件や2・26事件、共産党に対する弾圧など「自分には関係ない」ことが多く起こっていた。それが1940年代には国民精神総動員、子どもらも勤労奉仕、学生まで戦争に駆り出し、銃後を守る婦人会、「玉砕」そして広島/長崎まで破滅への道を歩んだのは言うまでもない。

複雑な社会情勢、高度情報化社会の中で自分の位置をしっかり見据え、個を殺す、反民主主義的な動きには敏感にならければならないのはわかっているが、怠惰な自分がある。しかし、自衛隊が海外に派遣され、90年代末から「盗聴法」「国民総背番号制」「国旗・国歌法」など個人の自由度を制限する国家主義的な法律が次々成立し、そして現在ではまだ準備もされていない犯罪を処罰する「共謀罪」まで国会で成立しようとしている。
さらに小泉内閣の顔ぶれは、戦前の天皇制軍国主義のメンタリティを隠そうともしない安倍晋三官房長官、中川昭一外務大臣、国家の利益に反する(と彼らが考える)者は(多くの場合、社会的弱者)消え去れと新自由主義の権化の竹中平蔵総務大臣だ。

逃げてはいけない。けれど逃げたくなる。むき出しでなくとも暴力は怖いし、なんとなく不自由でも表面的には自由が保証されているからいいか、とも思える。そこをパブロフは警告したのだけれども。現在起こっているフランスでの、移民排撃を理由と考えるアフリカ系、アラブ系学生らの「暴動」も移民を多く受けて入れてきたフランスなどヨーロッパの寛容主義を後退させるものにならなければよいが。そしてもちろん今やEUという戦争を起こすことなど考えられない枠組みのフランスで、ルペンの登場を許してはならないはずだ。

「茶色の朝」は丸山真男が『現代政治の思想と行動』で取り上げていたマルチン・ニーメラー牧師の言葉そのままである。「自分は共産主義者ではないから関係ない、と思っていた」というあれである。
共謀罪なんて自分は関係ないと思っていた。そう、今は関係ない。盗聴法も成立初年度は適用が全くなかったとも聞くが、最近は適用例が出てきた。
そう、いつも最初は「自分には関係のない」ものなのだ。
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