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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

この怖さは日本に向けられたもの ファストフードネイション

2008-04-14 | 映画
「スーパー・サイズ・ミー」の続編でもないし、あのマイケル・ムーアの作品でもない。だからターゲットは実在のハンバーガーメーカーではない。でもありそうなミッキーズという名前はおそらく、ディズニーのミッキーマウスをキャラクターにして大成功しているマクドナルドを揶揄しているのだろう。
 不法入国のメキシコ人で持っている食肉工場、そのメキシコ人を食い物にするゲス野郎たち、自店の強盗を企む従業員を抱えるハンバーガーショップに、その巨大チェーンのお偉方。みんな現実であろう。貧しいメキシコ人は高い斡旋料を払い、徒歩で国境を越える。
そして放り込まれたのは食肉工場。ラインの速さや機器のミスなどで腕や足を切り落としてしまう危険きわまりない工場の人事を牛耳っているのは現場責任者のマイク。目をつけた移民女性は体と引き替えに便宜をはかり、ドラッグ漬けに。ドラッグはきつい仕事をする必須アイテムとなってしまっている。それはそうだろう。何の経験もない移民が牛を、解体している現場には牛を切り開く鋭い電動カッター、牛の血と油と糞尿。
 そのドラッグをやっていたため、足を切り落とした同僚を助けようとしたラウルの怪我は自己責任と工場を放逐される。ラウルの妻シルビアは工場はきついと逃げ出したが、ラウルの稼ぎがなくなったためマイクに体を提供し、再び工場に職を得るがそこで見た世界は。
 一方ハンバーガーのパテから牛の糞尿由来の大腸菌が見つかったことを調べにコロラドの食肉工場に来たドンは、表面では衛生的な工場視察で終わったが、工場に牛を卸している牧場主などの話を聞くにつれ、工場がとんでもないモラル下であることが分かってくる。バイトのアンバーはサークルで知り合った環境保護グループのメンバーから聞いた話で巨大資本の悪行を知り、バイトを辞め直接行動に打って出るが。
 エリック・シュロッサーの『ファストフードが世界を食いつくす』はファストフード業界実態を描いてベストセラーになったが、本作は基本的にはこの著とシュロッサーが子ども向けに書いた『おいしいハンバーガーのこわい話』をベースにしている。そして映画で描かれる世界は事実であろう。そもそもハンバーガーが100円そこそこで無尽蔵に供給されるワケは、この低賃金移民労働(いってもメキシコより10倍!)と超大規模な牧場というより工場のシステム化された生産体制にある。ハンバーガーが添加物の固まりで不健康な食べ物であることは周知の事実であるが、生産の現場で添加物まみれ、糞尿まみれ、油分ばかりであることを知っている層がハンバーガーばかり食べる生活実態。筆者もニューヨークに行った際、アメリカの肥満社会の奧深さを垣間見た。日本では考えられない肥満加減である。もはや人に見えない、カバやサイだと冗談で言っていたが、ファストフードという食事自体が低廉であると同時に止められない、味覚を麻痺させる成分が含まれているからである。そのような食事ばかりしている層は底辺層。富裕層は脂肪分の少ない食事に適宜のエクソサイズ、そういった層がファストフードを経営しているものだが。
 ワーキングプアに格差社会。グローバリズムの名の下に世界中がアメリカ化しつつある。そしてその一番の優等生が他ならぬ日本であろう。

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アボリジニアートの枠を超える偉大さ エミリー・カーメ・ウングワレー展

2008-04-06 | 美術
ヴァイオリンの名手でもあったパウル・クレーの絵からは音楽が聞こえてくる。とても単純に見える線画だけなのになぜ?と考えるのが自然だ。それくらいクレーの絵はこちらの想像力をかき立ててくれる。これは当たり前の話かもしれない。というのは、作品そのものが物語を表していてそれで完結してしまうと、こちらの想像力は音楽が聞こえてくるようには働かないからだ。たとえば、神話を題材にした作品。その点、クレーのような抽象画の方が音楽が聞こえて来やすく、また、そのような雰囲気を十分に有している。
80歳を越えて絵筆をとったというエミリー・カーメ・ウングワレーはアボジリニの土地から生涯出ることもなく、もちろん美術教育も受けていない。しかしそもそも作品の規模が大きいため、クレーをも凌駕すると感じるほどのこの音楽性は何なのか、一体どこから生まれてくるものなのか。
最初ウングワレーの作品にまみえた時、ドローネーを思い出した。クレーより少し年少であるが、パリでいち早く活動していたドローネー夫妻はフォービズム、キュビズム以降の抽象表現主義、ドローイングに成功した作家である。筆者は勝手に20世紀初頭のフォービズム、キュビズム以降抽象表現主義によって絵画はペインティングからドローイングに進化したと考えるが、ドローネー夫妻はその後大判の抽象絵画を成功させたロスコやミニマルアートのステラなどに続く仕事をしたが、ウングワレーはドローネーに遅れること70年でドローイングの世界を成就したが、べたっと塗ったそれでなく次第に点描と線描に目覚めていく。100号を超える大作であるのに一つとして同じ様相を示さない点と線。解説によればウングワレーは下絵など描かずに一気に書き上げたという。それも恐るべき早さで。そして80年代末から90年代没するまでわずかの期間に制作したその数も夥しい。
ウングワレーの暮らした土地アルハルクラはアボリジニ最大の保護地区に近接し、アルハルクラは土地でありながら、ウングワレーそのものであり、ウングワレーの発想の源、生である。広大で時に過酷な大地はウングワレーをしてヤムイモを描かせ、エミューを馴らし、そして絵筆を取らせた。もともと体に装飾画を描いていた延長でその伸びやかかつ大胆な色遣いが今大地、キャンパスに展開された。アクリルという現代的、乾きが早い絵の具を手に入れたことでウングワレーの画業は花開き、そしてアボリジニアートに無知な私たちの眼前を疾駆した。
先にウングワレーの作品を西洋近代の抽象画家のそれと比べるような記述をしたが、もちろんウングワレー自身はドレーネーもポロックもデ・クーニングも知らないし、比べられることにも興味さえ抱かないだろう。それでも比べてしまう、すぐ西洋絵画を引き合いに出してしまう浅はかさは赦されるだろう。それくらい、ウングワレーの独創性にたじろいでしまうのだ。アルハルクラというオーストラリア内陸の地を離れたことがないのに、この世界の広さ、普遍性はどうだ。
オーストラリアの新首相が白人によるアボリジニへの迫害を正式に謝罪したときに、ウングワレーはもういなかったが、作品はそんなことも知っていたかのようにオーストラリアを、私たちを包み込む。現代美術がどでかいキャンパスを要する意味がやっと分かったような気さえする展覧会であった。

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