kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

慟哭に思いよせ   エレニの旅

2006-02-19 | 映画
間違いなくディアスポラ映画の金字塔である。ディアスポラ映画とは筆者が勝手にカテゴライズした、言わば国や土地を追われた、あるいはそもそも依るべき国家や土地を持たない避難民の物語である。「国家」が幻想の共同体として最大規模のものであったとしても、人は必ずしも国家に頼らなくても生きていけるし、国家の側が民を裏切ることの方が圧倒的に多い。いや、国家は民を裏切り、傷つけ、排除するものだ。しかし、国家以前に人は土地に住まい、土地=landとともに生きていく。遊牧民族であってもそれに変わりはない。
バビロン捕囚後にユダヤ人が四散したことがディアスポラの語源だが、ホロコーストの時代を生きたユダヤ人もディアスポラなら、トルコやイラン、イラクなどから度重なる迫害を受けながらも今なお自前の国家を一度も持ったことのないクルド人もディアスポラである。20世紀まで国家を持たず、ホロコーストの故強固な国民国家を築いたイスラエルから迫害されているパレスチナの民も、あるいは、内戦や国家権力の迫害により土地を追われたボスニア人、アルメニア人、またアフリカの地で流浪する民もまたディアスポラである。
物語はロシア革命が全土を覆い、入植地オデッサから逃げてきたギリシャ人の移民らはニューオデッサを築くところから始まる。オデッサで両親を失い孤児となったエレニは成長し、移民のボスであるスピロスの息子アレクシスと愛を交わし、また妻を失ったスピロスは親子以上年の離れたエレニを娶ろうとする。スピロスから逃れアコーデオン弾きのアレクシスと貧しいながらも生きるエレニにとって生きていく心の支えはアレクシスとの愛と、一度は養子に出したが手元にいるアレクシスとの間の双子の息子たち。やがてニューオデッサは増水で消え、ギリシャ政府は音楽を退廃の象徴と見なし、労働運動と関わりのあったアレクシスの親方ニコスらを迫害する。ニコスはファシズム勢力が牛耳った政府軍の銃弾に倒れ、アメリカに夢を抱いてアレクシスは渡米する。しかし、「左翼」を匿った疑いで獄に繋がれるエレニ。エレニが獄にいる間、アレクシスは市民権取得のため米軍に入るがオキナワで戦死。二人の息子は政府軍と反乱軍に別れ、どちらも死んでしまう。
出獄し、息子の死体の前で「もう誰もいない。思う相手が誰もいない。愛する相手も誰も…」と号泣するエレニ。
2時間50分の長丁場のカメラはロングショト、劇的なクローズアップを一切拒否、水没する村の映像でもCGを排除し、ひたすら詩的映像の連続だ。それもそのはず、ギリシャ人監督アンゲロプロスは詩人としても著名で、現代の悲劇をずっと描いているにもかかわらずそこには静かな叙情性が醸し出されている。アンゲロプロスの作品には河がよく描かれ、本当に静かに静かに体と心の奥底から絞り出されるような痛い涙を流すシーンが多いと言う。河は涙につながり、河が流れ着く先には湖か海が必ずある。日本の諺「水に流す」とは正反対に河の流れの理由(わけ)と行き先を最後まで見据えようとする言わば非情な、名もなき民を一切の同情抜きで描く透徹した眼差しは、ディアスポラとして生きる者たちへのアンゲロプロス流の哀歌とも思える。
トロイア戦争で活躍したユリシーズ(オデュッセウス)になぞらえて「ユリシーズの瞳」でも国家や国境に翻弄される難民の姿を描いたアンゲロプロス。本作が20世紀史を描く3部作の1本目であるという。次作以降も大きな期待を抱かせるが、現実は常に物語や映像を先んじる傾向にある。これ以上一人でも多くのディアスポラを増やしたくない。
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ベネルクス美術紀行4 ブリュッセル、ルクセンブルク

2006-02-19 | 美術
今回の旅の大きな目的の一つはブリュッセル王立美術館をじっくり見て回ることだった。前回訪れたとき、トラブルでパリで一泊後早朝ブリュッセルに着いたこともあって疲れていてよく見られなかったことに悔いが残っていたからだ。それで今回は王立美術館だけのために1日まるまる取っていたのだが。
HPでよく調べていけば良かったと悔やまれるし、HPではそこまで詳しく載っていたなかったかもしれない。というのは美術館の約半分19世紀以降の提示室がすべて閉鎖中だったのだ。おかげで象徴主義のクノップフの代表作「愛撫」もダヴィッドの「マラーの死」も、アンソールもマグリットもデルヴォーもすべて見られなかった…。前回で覚えているのは美術館の近代部門は地下へ行くほど時代が新しくなり、最も深い地下8階であったかには着く頃には現代美術もカバーしており疲れていなければもっとゆっくり見たい、もう一度来るぞと思ったものだから特に残念。その際購入した図録をめくってみると近代彫刻や現代ドローイングも結構あったようでまたもう一度来るぞ(来られたら)。
しかし、古典美術部門は堪能できた。クラナッハやブリューゲルがこれでもかと作品が目白押し。特にブリューゲルのコレクションは他に類を見ず、一部屋まるご「反逆天使の墜落」や「ベツレヘムの戸籍調査」(西洋世界に「戸籍」などないので「人口調査」「住民調査」が正確なのだが)、「村の婚礼」などブリューゲルの作品が沢山でこれにはにんまりとした。そして当然ルーベンスやヨールダンスの大作もある。フランドル絵画コレクションとしては当代随一であろう。
時間が余ったこともあり、アール・ヌーヴォーの発祥の地、そしてアール・ヌーヴォーの父と称されるヴィクトール・オルタの家が残っているので訪れてみた。規模は小さいが階段の手すり一つをとっても曲線にこだわったオルタのしなやかな美とも言える巧緻が偲ばれる。
初めて訪れたルクセンブルクは小国ながら金融大国として知られ、街にも「金持ち」の雰囲気が漂っているように思える。国立歴史・美術博物館は思ったより広かったが、絵画などに見るべきものは少なく、むしろルクセンブルクの古代地層やそこから出土した陶器や遺物の展示が多かった。新市街からかなり低地にある旧市街の雰囲気はいかにもヨーロッパという感じで趣深かったが、何せ寒く石畳の地面もところどころ凍り付いたまま。夏にぶらりとしてみたいものだが、ルクセンブルクを再び訪れることなどあるだろうか。
寒かったベネルクスの旅も終わりである。
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遠いジェノサイドの丘  ホテル・ルワンダ

2006-02-13 | 映画
1994年の4月からわずか3ヶ月の間に人口の約1割にあたる100万人が虐殺されたルワンダで、1200名の命を救ったホテルマンの物語。「アフリカのシンドラー」などとも呼ばれるが、ルワンダ虐殺がこれほどまでの規模に広がってしまったのは西側の無視、黙殺が原因、相対する民族(ただしツチ「族」もフツ「族」も違う「民族」ではない)に対する憎悪を煽ったのはラジオというプロパガンダであるとされている。本作が公開される以前ルワンダ虐殺を体系的にあつかった著作は少なく、筆者も「ジェノサイドの丘」(フィリップ・ゴーレヴィッチ 2003年)を読んでいたためたまたま知っていただけである。これが映像になるとすさまじい迫力だ。虐殺のシーンではなく、今殺されるという瀬戸際でのポール・ルセサバギナやその家族ら、国連平和維持軍の駐留大佐、政府軍の将軍、その他登場人物の言動、心のうちが見事に描かれているからだ。
西側が途上国の人権蹂躙(の最たるものが殺戮)に目をそらし続けているのはルワンダだけではない。9・11でやっと目を向けた(というか、アメリカが軍事攻撃をしかけた)アフガニスタン。ソ連の侵攻、そして撤退以降も独立国としての体制を見守らなかったアフガンを支配したのはイスラム原理主義と言われるタリバンで(しかもいまだアルカイダとタリバンの関係は明らかになっているとは言いがたい)、そのタリバンの圧政を放っておいたくせにイスラム原理主義イコールすべて悪とアフガンを攻撃。また、「人道的介入」が「成功」したと言われるコソボにおいてもそのタイミングについて、もう少し早ければミロシェビッチの暴走に歯止めをかけられたのではとの評さえある。そして、国連の決議を無視したアメリカのでっちあげである「大量破壊兵器」を理由としたイラク攻撃。要するに西側はいつもタイミング悪く、「人道的」な「介入」をしてほしい時にはしてくれず、してほしくないときはする。特にアメリカ。
クリントン政権もルワンダの惨状は把握していたにもかかわらず、自国にあまり権益の関係ない地域に目を向けようとはしなかったし、欧州もまたしかり。ルワンダの旧宗主国ベルギーは、ツチ「族」とフツ「族」の反目を作った張本人であるくせに逃げるばかり。現地人の殺戮などないかのごとく振る舞い、国連そのものが西側白人の安全さえ確保できればルワンダの市民などどうなってもいいという姿勢。これでは助かる人も助からないし、逆説的であるけれどポール・ルセサバギナが英雄にならざるをえなかったのも宜なるかなというところ。
ただ、国連や欧米が積極的に介入(というのは無法化、無謀化した「民兵」たちを押さえる=殺戮するということ)しなかったことと、「民兵」が何の言われなく(たとえあっても)他族(=少数ではあるが支配者側であったツチ「族」)を殺戮したことは分けて考えなければならないだろうし、仮に長年の憎悪の気持ちがあったとしてもそれが「殺戮」に結びつくことに対する躊躇の念といったものはルワンダの人が学ばなければならないものであったろう。
それは「民主主義」とか「人間主義」とか活字で表せば簡単に見えるが、要するに「隣人を殺さない」というもっとも基本的、本源的な愛の姿とも思える。だが、これは「近代的」ではない。というのはそういった他者を殺さない、ましてや隣人は、というヒューマニズムはホロコーストの時代に十分破壊されたからである。
ルワンダの虐殺がプロパガンダに載せられ、刀で切り裂くという方法に未開の人間の「後進性」によって説明することは容易い。けれど、イラク攻撃になんの正当性もなかったのが明らかになったのに2万人の非戦闘員が亡くなっていることを悲しむアメリカの姿がないように、アメリカもそれに加担している日本や西側諸国も十分に「後進的」である。
ルワンダではラジオがプロパガンダの役目を担い、それに踊らされた民衆が狂気となった。インターネットなど様々な情報を個人が選択して受け止められる時代にプロパガンダに踊らされることなどあり得ないか。否。中国の「反日」言説、あるいはその逆の「反中」言説を見よ。それらは一定広がることもあるし、無視されることもあるし、それら言説自体が何らかの意図を持ったものであるならば。
おそらくはルワンダの「戦後」はもちろん終わってはいない。そしてもはやほんの10年前のルワンダ虐殺が「歴史」になっているならば、私たちはこれからも殺し続け、殺している人を止めようとはしないだろう。ジェノサイドの丘は遠いのだ。
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ベネルクス美術紀行3 ブルージュ、ゲント

2006-02-12 | 美術
日本人観光客も多く、中世のヨーロッパを感じられるブルージュも1月には人もまばら。美しい運河クルーズもお休みで、冷たい石畳を歩くしかない。日が暮れるのも早く、町のシンボルであるひときわ大きな鐘楼が夜空に浮かぶのも早い。しかし魅力は古都の町並みだけではない。ドイツ人であるメムリンクの定住地のこの町にはメムリンク美術館、そして初期フランドル絵画の宝庫であるグルーニング美術館があるからだ。
15世紀末ブルージュに移住したメムリンクはこの地で画家として成功し、銀行家や商人などブルジョア層からの依頼で多くの作品を遺し、この地で没した。メムリンクの祭壇画、肖像画は写実的でありながら理想化されたものであるとの解説がよくなされる。なるほど祭壇画に多く登場する神に使える者、寄進者らの服装、表情はおそらく実際よりは洗練されていて上品さが漂っている。そして非常に細かな描写は、イタリアの後期ルネサンス画家らからも絶賛されたほどフランドル絵画の技術の高さを証明している。アントワープを中心に商業都市として成功したフランドルには教会、貴族とともに画家を支援する十分な富裕層が育ち、また画家らもそれにこたえるかのようにじっくり鑑賞に耐えうる鮮やかそして優美な作品を多く遺している。そしてそれらが今日まで保存されている本質的基盤も。
グルーニング美術館は外からはわかりにくいがとても大きな規模でメムリンクほかフランドルの巨匠の一人とされるヘラルト・ダヴィットの作品も多く、ボスの「最後の審判」、近代絵画までカバーしている。ボスの作品は「快楽の園」(プラド美術館)、「七つの大罪」(同)、「最後の審判」(別バージョン、ウィーン造形美術アカデミー)なども見たがいつもその想像力、奇怪な様に圧倒される。やはりそこまで行って見る価値のある画家だ。
ブルージュより無名の小さな町ゲントに足を伸ばしたのはヤン・ファン・アイクの「神秘の子羊」を見るため。1432年5月に6年の歳月をかけて完成されたという本作は、主題の意味も謎の部分があるらしい。祭壇画は、一時はパリに持ち出されたり、火事にあったりドイツへ持っていかれたりとまさに歴史に翻弄された。主題のすべてがわからなくとも、信仰がなくとも祭壇画を一目見ればその美しさ、完璧に均整のとれた構成に圧倒される。聖バーフ大聖堂に入るのは無料だが、この祭壇画だけ有料の別室に設えられている。ゲントはブルージュと並ぶ運河のたなびく古都。ブリューゲルの作品も多く擁するゲント美術館は残念ながら休館中だったが、この作品に出会うためだけでも行くことをおすすめする。
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「格差社会」「競争社会」の申し子か? ある子供

2006-02-12 | 映画
ケン・ローチが現実を見据えた救いのないアンチクライマックス作品を撮らなくなって久しい。息子を殺した少年が出所し、自分の工房で働くようなになり、二人それぞれの葛藤をなめるように描いた「息子のまなざし」のダルデンヌ兄弟。本作はフィクションであるにも関わらず、その透徹したリアリズムと、これからどうなるのかという観客にとっては一番気になる行く末をそれぞれが考えろとばかりに放り出して終わる冷たさが魅力この上ない。
悪人とまでは言えないが、盗みを働きその日暮らしの20歳のブリュノ。ブリュノとの間の子供を産み、母親としての自覚が徐々に芽生えてきたソニアもまだ18歳。家族をつくるには幼すぎる未熟な二人。ブリュノは金欲しさに生まれて間もない赤ん坊をソニアに黙って売りとばしてしまう。ブリュノの行為に卒倒したソニアを見て、やっと自己のしたことを悔い、赤ん坊を取り戻すが赤ん坊を斡旋し損ねたヤクザはブリュノをこてんぱんにし、一文なしのブリュノはソニアにも追い出され、また少年を使って盗みを働くのだが…。
書いてしまえばほんのこれだけのストーリー。緊迫感をわざと盛り上げようとするBGMもない。失業率が10%を超え、若者だけに至っては20%にもなるベルギー。放任され、「大人」になる教育を受けていないブリュノは20歳とは言え「子供」そのもの。後先を考えると言う長期的展望や計画性、将来などまったく考えられない。たしかに未成年が20を過ぎたからと言っていきなり分別のある大人になるわけではない。「大人」とはいろんな経験をふまえ徐々になっていくものだろう。いろんな未熟さを乗り越えながら。
日本でもニートの「問題」が喧伝されている。ブリュノは教育や職業訓練を受けてない点でまさにニートである。しかし日本と違うのはヨーロッパでは多くの場合子供は学業を終えると親から離れていき、自分で食べていかなければならないのに対し、日本のニートは親に食べさせてもらっていて安易に犯罪に走るようなことは少ないということだ。そういえば日本では最近増えてきたとは言え、若者のホームレスは少ないが、ヨーロッパでは若いホームレスもよく見かける。ブリュノはソニアのアパートに住んでいたが、もともと携帯電話とジャンパー以外に自分の持ち物など何もない。盗みをする時のスクーターも少年の兄のもの。失うものなど何もないことほど強いものはないと言われるが、ブリュノはそういった開き直りの価値観さえ学んでいない。
昔、友人の高校教員がこう話していたのを思い出す。「生徒らに20の自分の想像してみろ、と言ったらそんな先のことはわからないという答えが返ってきた。」と。あと2、3年で20歳になる彼ら、彼女らにとって想像の範疇はとても狭い。時間的だけではない、空間的にも、社会的にも。だから電車の中でジベタリアンができ、そばで困っている人がいても助けようとしないし、ましてや世界で今何が起こっているかなど。こういった若者像を「仲間以外は皆風景」と称したのは宮台真司だが、現代はたしかに個々人のできることで世界が変わるというのは想像しがたいのかもしれない。
「格差社会」と言われ(小泉首相は否定しているが)、「勝ち組」「負け組」が親の出自、収入で決まってしまい、本人の努力ではなんともならないと感じるとき、若者が「成長」を放棄するのは如何ともしがたいとも思える。そして、そういった現実を見ないようにしている為政者や大人も多い。ブリュノは根っからの悪人ではないことがわかり、ひょっとしたらこれから成長するかもと思わせるラストだが、本当のところはよくわからない。しかし直視を止めるところにまさに社会の「成長」はない。とダルデンヌ兄弟は描きたかったのか。
さわやかにもなれないし、とくに感動もない。しかしこの重さに付き合う覚悟を求められるようないい作品である。
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ベネルクス美術紀行2 アントワープ

2006-02-05 | 美術
 日本人にとってアントワープと言えば「フランダースの犬」。結構観光客も訪れるらしい。ものの本によれば日本人があまりにもネロとパトラッシュのことを訊ねるので、現地の人にとっては何の関心もなかったのについには銅像ができたとか。「フランダースの犬」はカルピス劇場のおかげで有名になったが、アントワープは紛れもなくルーベンスの町である。
 ネロが事切れるノートルダム大寺院(聖母大聖堂)にはルーベンスの絵が「キリスト降架」「キリスト昇架」「聖母被昇天」など5メートルはあろうかと言うパネル画がいくつも堪能できる。ノートルダム大寺院はルーベンスの作品だけでなく、ステンドグラスの美しさ、細部にこだわった教会彫刻など見飽きない世界が広がる。ただ、現役の宗教施設であるから非信者には近づけない場所もある。礼拝中の信者の邪魔にならぬようじっくり見て回るのがよい。
 アントワープのお目当て一つはマイエル・ヴァン・デン・ベルグ美術館にあるピーター・ブリューゲル(父)の「狂女フリート」。悪女フリートが爆発せんばかりの勢いで地獄と相対する様には一瞬引きそうになる。単なる地獄絵とも違うブリューゲル初期の傑作を見に、ここまでやって来たのだ。この美術館は規模は小さいが他にも初期バロック彫刻の逸品「キリストにもたれて眠る聖ヨハネ像」もあり静謐な空間を演出している。
 王立美術館のルーベンス・コレクションはすばらしい。ルーベンスの時代には王侯貴族お抱えの画家が大きな工房を持ち、大作を共同作業で制作していたという。それだけ大きな作品が所狭しと一部屋に並ぶ姿は壮観だ。それにルーベンスのキリスト画は大きさに見合った迫力だけではもちろんない。聖者ら一人一人の表情が時に険しく、厳しく、あるいは悲哀に満ちているから見とれてしまうのだ。フランドルの画業ここにありである。
 アントワープ郊外のミデルハイム野外彫刻美術館もおすすめである。広大な公園の一角に400点以上の作品が展示され、ムーアをはじめ現代彫刻の数々をゆっくり鑑賞することができる。ただ冬に行くものではない。そこが残念。
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ベネルクス美術紀行1 アムステルダム

2006-02-04 | 美術
 やはり1月のこの時期にベネルクスを訪れるものではない。閉館中、模様替えで一部閉館、改修中の美術館が多く、展示を十分に見ることができなかったからだ。今回ベネルクスを選んだのは、前回訪れたときパリでの乗り換えのトラブルもあってブリュッセルに着いたときとても疲れていて十分に見られなかったことがあったからだ。そしてアムステルダムでも国立ミュージアムはあまりの人の多さに辟易してしまい、レンブラントの「夜景」もゆっくり見られなかった。
 そして今回。国立ミュージアムはそれこそ見学者もまばらで「夜景」はじっくり見られたが、同館は大規模な改修中でほんの一部の仮設展示のみ。つまり狭い部屋に「夜景」を押し込めた以外ほとんどの作品が見られなかったのだ。とても残念。正直言って前回訪れた時はネーデルランド、フランドル美術のことをあまり知らなかったために人の多さくらいで見るのをあきらめてしまったのだ。それが今回あの時よりは知識も溜め込んで、勢い込んで行ったのに。もちろん「夜景」以外にもフェルメールの「手紙」「ミルクを注ぐ女」などの超有名作品は見られたが、圧倒的に数が少なく「堪能」とまではとても言えなかった。返す返す残念。国立ミュージアムはレンブラントなどバロック絵画はもちろんのこと、近代/現代美術も充実しているのに今回は一切展示なし。こういうこともあると気をとりなおして隣のゴッホ美術館へ。
 こちらは改修中ということもなく、普段通りに開館。であるから1月だというのに来館者も結構多かった。ゴッホについては多くのことを語るまでもないし、以前書いたこともあるが(「狂気」だけではない等身大のゴッホ 
http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/ac3e00544965b7189cd1d0507e6e4476)「狂気の」ゴッホ像ばかり喧伝されている多くの日本のゴッホ展にあって、ゴッホの「全体」像を知るにはやはりゴッホ美術館である。信仰に生きようとあがき、パリで多くの画家仲間に触れ、影響を受け、ゴーギャンとの出会い、同居そして破局。精神を病んだゴッホはサン・レミの施療院で初めてかもしれぬ心穏やかに自然と向き合うだけの画題に出会うが結局は自死。とこんな風に解説されることも多かろうゴッホの足跡を丹念にたどることができるのがここ。彼の死後、それも弟テオの死後評価されたためか作品は散逸しており、必ずしもアムステルダムに有名作品が多いわけではないが、静かにゴッホの画業と向き合える。
 最後に今回も訪れたアンネ・フランクの家。展示が以前(前回はナショナリズムとは?を訪れた各国各人に問いかけるすばらしいものであった)と変わり、ちょっと意外だったがわずか13歳でナチスによって囚われ命を落としたアンネの生活を体感するのには十分な空間。シーズンは早くから並ばないと入館できない混雑さだが、今回はもちろんすぐ入れた。
 アンネ・フランクの家には来館者が自由に思いを綴られる雑記帳がある。「過去への想像力が問われている」と記した。(写真はゴッホ美術館)
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