kenroのミニコミ

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官側の無策、差別追従も民間のデマも昔日のことではない  「福田村事件」

2023-09-17 | 映画

2023年は、関東大震災100年ということで「朝鮮人虐殺」に焦点を当てた様々な集会、イベントが開催された。市民レベルでは震災時の朝鮮人を含む虐殺・差別の歴史を忘れまいとする意思が示されたものと思う。しかし、公のレベルではどうか。朝鮮人虐殺の記録はないと言った松野博一官房長官や朝鮮人追悼慰霊祭への文章を拒否した小池百合子東京都知事の態度は許せないものだ。関東大震災における朝鮮人虐殺については公文書で確認されているし、否定言説などあり得ない。今年も朝鮮人虐殺慰霊祭の会場で虐殺そのものを否定し、日本人が「不逞鮮人に殺された」などと声高に叫ぶ右派集団の言説を後ろ押しするかのような官製ヘイトの様相さえ感じる(くだんの右派集団は、結局慰霊祭会場へは近づけなかった)。

「A」や「i 新聞記者」などドキュメンタリー作家として数々の映画を制作してきた森達也監督が満を辞しての挑んだのが劇映画「福田村事件」である。「福田村事件」は朝鮮人が虐殺されたのではない。しかし、殺した側は朝鮮人と思い凶行に及んでいる。朝鮮人なら殺して構わないと思っていたということだ。映画は、殺された香川県出身の行商人が被差別部落出身であること、自分たちは「(朝)鮮人ではない」などと重曹的な差別も露わにする。そのような優越意識に支えられて福田村に入った行商人一行は自分たちに敵意の刃が向くことなど想像だにしてなかったろう。そして、村人たちが凶暴な人殺しになるとは。

森達也監督は、本作を制作することになった動機を重ねて話している。それは「A」などの取材でオウム真理教の信徒に幾人も出会ったが、みな温厚で優しい人だったと。とても集団殺戮に加担するようには思えなかったと。しかし同時にそういう一人ひとりは穏やかでも集団になるとサリン事件を起こすことになるのだと。集団の怖さを描く実話として福田村事件を取り上げた。しかし、企画は通らず長くあたためていたそうだ。それが、フォークシンガーの中川五郎が「1923年 福田村の虐殺」を作詞(曲はアメリカ民謡が元となっている)し、歌ったことで、プロデューサーの荒井晴彦がぜひ映画にしたいと思い、制作が現実化したという。だが、中川がもともと森達也の『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(2003 晶文社。2008年にちくま文庫版)を読み、作詞を思いたったからというのだから、偶然と人の思いの重なり合い・奇遇さを考えずにはいられない。 

関東大震災で「朝鮮人が井戸に毒を放り込んだ」「暴動」などとするデマの拡散に大きな役割を果たしたのが、時の山本權兵衛内閣の無策や東京都警察のデマをそのまま信用した対応であることが明らかになっている。現在の言葉でなら「官製ヘイト」ともいうべき対応を繰り返したのである。様相はもちろん違うが、松野官房長官や小池都知事の対応は、虐殺を認めない悪質なものであるし、当時は新聞がデマ拡散に大きな役割を果たしたが、現在ではネットで瞬時に拡散する。現に東日本大震災(2011)や熊本地震(2016)では、悪意のデマがSNSで拡散した。

官側の無策や誘導と、民間の偽情報拡散。そこに放り込まれた一般民衆は、根底にある朝鮮人(やその他マイノリティ)に対する差別感情と、被報復意識を基底に「一人ではないから」一気に暴走した。「虐殺のスイッチ」はそこかしこに存したのである。映画では、冷静さを説く村のインテリ層である村長や朝鮮半島帰りの元教師の非力さも描かれる。結局、合理的、論理的言説で村人の暴走を抑えようとした「インテリ層」「リベラル層」が集団主義というエモーションに敗北した姿だった。

 「福田村事件」では結局虐殺の首謀者らは逮捕、起訴されたが、大正天皇「崩御」の特赦で解放されている。故なく朝鮮人(と間違えて)虐殺したのに天皇の名の下に解かれる歴史の実相、いや、天皇即位に基づく「恩赦」の規定は現在も生きていることを忘れてはならない。人々に巣食う差別意識と天皇制国家は不可分な関係であることが明かなのだ。

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画家は戦場で何を見たか そして美術史は戦争を今語るべきか 『反戦と西洋美術』

2023-09-04 | 書籍

著者の岡田温司先生(直接存じ上げているので、こう呼ばせていただく)は、博覧強記の方である。大学教授たるものそうでなくてはならないという面もあろうが、岡田先生はとても多くの著作があり、もともとのご専門がなんであったか不明なほど、その言及範囲は多岐にわたる。近年は影(陰)や、鏡、膜といった「間メディウム」に関する著作が多いようだが、それでも美術の地平から、作者の思惑を超えて、見る側、それが社会的にどういう意味を持ち、どう影響してきたかといった広範な関係性にかかる記述は美術にとどまることはない。

その岡田先生が、ロシアがウクライナに侵攻し、日本では安倍政権以降「軍拡」路線が進む中での危機感を基底に「反戦」を直接取り上げられたことに感慨を覚える。美術史・美学がご専門の人は、多くの人は現実の政治状況・国際関係にコミットしないし、その姿勢は少なくとも「非政治的」に見える。そして、政治学や社会学、国際関係論など実学部門、歴史学など過去の戦争を研究主体とする分野、あるいは憲法学、国際関係法などの法学から遠いと思われている芸術分野で現実政治に拘って発言する人は稀だ。

しかし、芸術作品とてその時代で起こった大きな事象、戦争が最たるもの、と無縁でないことは明らかで、有名なのはピカソのゲルニカなどであろう。『反戦と西洋美術』では、前近代の戦争画から紐解くが、著者によれば西洋において戦争の悲惨さに直面したのは17世紀からであるという。十字軍やルネサンス期のイタリア諸国の抗争では、英雄譚や勝利の栄光が描かれてきたからだ。それが、バロックの巨匠ルーベンスが三十年戦争におけるカトリックとプロテスタントの対立、ハプブルグ家とブルボン家の抗争に時期、戦争の悲惨さをギリシア・ローマ期の神々に訴えさせる形で描いたのが戦争画の転換点、嚆矢というのだ。確かに戦争終結の講和条約であるウエストファリア体制は主権国家の集合体であるヨーロッパの完成ともされる。しかし、主権国家間の対立は止まず、その後も数々の戦争を西洋は経験した。そして、戦争のフェーズが変わったのが、ザ・グレート・ウォーたる第一次世界大戦である。

タンク車、塹壕、毒ガスという総力戦、殲滅戦はそれまでと比較にならないくらいの若い命を奪った。画家もその例外にもれない。青騎士の仲間として友人のマルクやマッケを失ったパウル・クレーは自国の飛行機が落ちたことも喜んだ。そして、オットー・ディックスをはじめ、戦争の悲惨な面を容赦無く描く画家も多く現れた。第二次世界大戦になると、ユダヤ人であるということのみで逃れ、収容所で命を落とした者も少なくない。

そもそも第一次世界大戦という未曾有の不合理ゆえにダダ、そしてシュルレアリスムが発生、発展した歴史があり、ナチスの思想に反するとされたシュルレアリストたちも脅威にさらされた。マックス・エルンストをはじめアメリカに逃れた作家も多い。アウシュヴィッツで殺されたフェリックス・ヌスバウムのような戦後に奇跡的に発掘されたユダヤ人画家もいる。さらに、大戦後のヨーロッパで戦中の恐怖、鬱屈、韜晦、悔恨などさまざまに複雑な感情をドローイングでほとばしらせたのがジャン・デュビュッフェやジャン・フォートリエといったフランス人画家もいた。

もう世界大戦など起こらないと東西冷戦構造を横目に起こったのがベトナム戦争であり、それに対する大きな反戦のうねりもあった。河原温、草間彌生、オノ・ヨーコといった在米日本人作家が直接的な表現ではないにせよ、ベトナム反戦の作品を明確に打ち出していた。ベトナム戦争への抗議と抵抗は著者によると、フェミニズムとアート界の体制批判として特徴づけられるとする。そのいずれもが、ベトナム戦争以降、あらゆる戦争や体制へのアンチをその後表現し続けてきた今日を思えば的確な洞察だろう。

本書には、聞いたことのない作家、作品も多く紹介されるし、時代背景と無縁ではないそれらを取り上げる意義が丁寧に説明される部分など、岡田先生のいわば美術と世界(史)を結ぶ手綱に唸らされっぱなしであった。本書の的確、詳細な評は筆者の能力を超えるが、新書という形態ゆえ、多くの人に読んでほしい好著であると思う。そして、ここからは勝手な思いだが、ロシアのウクライナ侵攻により、戦争が人類にとって常時身近にあると認識させられた現在こそ、美術史家として、このような書を世に出さねばと岡田先生は考えたのではないだろうか。(『反戦と西洋美術』2023 ちくま新書)

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