kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

イラク派兵の検証はなされていない  「ファルージャ」

2014-05-11 | 映画
元防衛官僚で小泉政権の内閣官房副長官補などを歴任した柳澤協二さんが自衛隊のイラク派兵について誤りだったとの主張を繰り返していたのは、恥ずかしながら知らなかった。その柳澤さんは、小泉政権のイラク派兵の決定自体を明確に誤りとしている。イラク派兵については、ブッシュ政権が派兵の理由としたフセイン政権が大量破壊兵器を所持しているといのうは間違いで、ブッシュ政権自体も大量破壊兵器はなかったと明言している。そして、アメリカの要請に基づいて派兵したイギリスでは、当時のブレア政権の判断が正しかったのか検証がすすめられている。しかし、イラク派兵が違憲と出ているにもかかわらず(イラク派兵差し止め訴訟 2008年4月17日 名古屋高裁)、柳澤さんの指摘があろうが、小泉政権の誤った決定を検証しようという動きさえない。さらに、本作で明らかになっているのはアメリカ軍が劣化ウラン弾と思しき化学兵器を使用したことで、イラクでは先天性異常を持った赤ちゃんが多く生まれているという事実だ。なぜウランを使用した兵器がこの世にあるのか。それは原発を稼働するためにウランを採掘するからであって、ウランによって稼働する原発の存在と必然的に結びついている兵器なのである。
最近、小泉純一郎元首相は日本を脱原発にと、細川護熙元首相らと「自然エネルギー推進会議」なるものを設立したという。さきの東京都知事選では、反または脱原発をかかげた候補が一本化できず、舛添要一に大勝をもたらしとも言われる。そして、最近では脱原発で共闘できるなら小異を捨てて、一緒に日本のエネルギー政策を考えていくべきだとのマスコミの論調もある。いい加減にしてほしいし、恥ずかしくないのかと言いたくなる。イラク派兵を決めた小泉元首相の責任追及も、そのための検証も一切されていない中で「脱原発」だけで小泉支持をしていいのかと。
2004年、日本のイラク派兵の最中、日本人3名が「武装勢力」に拘束され、拘束者は自衛隊がイラクから撤兵しないと3名を殺すと要求したため、3人に対してすさまじい「自己責任」バッシングがおこったことを覚えている。そのとき捕らわれた高遠菜穂子さんは、イラク支援を続けていると知っていたが、ほかの二入については知らなかった。拘束当時まだ17歳だった今井紀明さんは、バッシングに耐えられず、日本を逃げ出し留学。そして帰国し大学に進学し、そこで出会った人たちに支えられ、自分を取り戻したという。万もあるという今井さんに届いた手紙。もちろん激励の手紙も多かったが、「死ね」とか説明・反論をゆるさない不合理なものも多かった。それらに返事を書こうと考えた今井さんは、徐々に引きこもり状態からも脱していき、現在の通信制高校に通う子どもを支援するNPOを設立するに至ったという(通信制高校を選ぶ子どもたちは引きこもりも多く、進学・就職できずニートになってしまうことも多い)。今井さんは言う。「(そのような子どもたちを社会に出てこられないようにしているのは)大きな損失だ」。そして日本の引きこもりの若者を支援することにしたのは、大学の単位習得後回ったアフリカの子どもたちには希望があるが、日本の子どもには希望がないので「もっとどうかしないと」。
村上龍が「この国にはなんでもある。希望以外は」と書いたのはもう大分前だが、その状況はおそらくひどくなっている。今井さんが支援する生きづらい子どもたちの一方で、競争に勝った、能力主義の勝者(ハイパーメリトクラシー)たちもいる。そして、勝者の中には、官僚になったり、政治家になったりで戦争という国家が大きな決定をする事態になった時、決して戦場に行かない層でもある。そしてそれはほんの一部だ。むろん、徴兵制をという声もある中、引きこもりやニートの若者を「たるんでる」と戦前思想のまま、軍隊こそ規律・覇気を学ぶ場とその草刈り場にしたがる輩もいる。しかし、もう一度言う。今井さんの実践は、高遠さんの行動は「なにかしたい」との個人的思いから発露しているのであって、国家のためにしているわけではない。であるから、イラク派兵の検証・総括は絶対になされなければならない。そしてその検証もない中での今般の集団的自衛権容認の動きは絶望的でもある。
「(航空自衛隊の空輸活動は)他国による武力行使と一体化した行動であって、自らも武力の行使を行ったと評価せざるを得ない行動であるということができる」(イラク派兵差し止め訴訟名古屋高裁判決)
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夢は国家主義と関係のないところで教育を    「夢は牛のお医者さん」

2014-05-06 | 映画
この映画を見て、ブログを書く前提で真っ先に感じたのは下村博文文科相に対する怒りであった。それは下村文科相が「戦後レジームから脱却」して「戦後教育を見直し」、教育を立て直すという安倍政権の方向性を強く、確信をもってすすめているからである。その確信は、たとえば沖縄県竹富町の教科書選定をめぐる独立性を、強権をもって「正常化」「指導」し、教員に対し「政治的中立性に反する場合」はなんらかの「懲戒が相当」であるとし、さらに極めつけは「教育勅語は現代にも通用する」との明言で現れているからだ。
皇民化教育である。さらに教育現場、教員に対する威嚇という意味では国家主義であり、ここに天皇制軍国主義は再び完成した。
教育とはどのようなものが教育足りえるか。それは定義が難しいにしても、たとえば鳥山敏子さんが1980年代に小学校のクラスで豚を一頭育て、そして食べる授業を実践したときの驚きと感動に、「教育」の姿を見たことを思い出すのだ。教育とはおそらく上から命令されるものではなく、自ら考えたり、体験したりする方が、子どもらにとってはその後の思い出や人生の糧となるような気がする。考える以前に「君が代」を歌えとすることは正反対である、少なくとも。
新潟県松代町莇平という過疎の地に、新入生がいないからと仔牛を3頭、入学させたことから物語ははじまる。小学3年生だった高橋知美さんは、家が酪農家でもあったため牛には親近感があったが、学校で世話した仔牛が病気がちであったことから牛のお医者さんになりたいと思う。子どもは、小さい頃何らかの将来の夢を持つが、たいてい叶わない。しかし知美さんは違った。貫徹するのだ。田舎の学校から猛勉強して通学できない地域の進学校へ。下宿生活では3年間テレビを見ないと自分に課し、見事国立岩手大学医学部獣医学科へ。そこで6年間勉強し、獣医師国家試験もとおり地元中越の共済獣医師(畜産家をまわる「経済」動物だけを見て回る獣医師)となり、戻ってくる。しかし、その地域で獣医師は所長のほかに知美さんだけ。一人車で東京都と同じ広さを車で回り、牛の状態を見てまわる。獣医師というと、「動物のお医者さん」のほんわかしたイメージしかなかったが、その多くは知美さんのような「経済」動物(家畜)の経済的価値(病気を治療するのと、出荷する(殺す)のとどちらが経済的有用か)だけをはかる仕事に就いている。ただ、知美さんは自ら「牛のお医者さん」になることを目指したため、それも引き受けている。残す命と残さない命、すべて人間の都合であるということを。
小学3年生で獣医を目指すと決めた知美さんを追った26年。もう小学校は廃校になり、集落も20軒ほど。牛を飼い始めた小学校をたまたま取材した新潟テレビのディレクターが知美さんを追うと決めたその時間は、知美さんの成長談でもある。いや、今や獣医師になって10年、二人のお子さんの子育てとも両立させながら獣医師としはたらく知美さんは、その26年を感じさせない。なによりもまぶしい。
ところで、冒頭下村文科相への怒りをつづったが、知美さんをふくめ地元新潟県のこのような過疎地域は自民党の集票基盤であるし、ときの内閣が教職員に対する「君が代」強制など国家主義的教育を押し付けたとしても、おそらく反発はしていないだろう。それはそれで致し方なく、学校現場で一人ひとり抵抗するなり、考えてほしいと思うが、これだけは思う。下村文科相が求めるような教育とは違うところで、仔牛を育てるなど豊かな出会いをこの地域の子どもたちは吸収し、知美さんのように国家のために地元に戻ってはいないことを。と同時に、知美さんを含め国家主義教育の攻撃に対し問題意識が希薄なことも。
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日本人の西洋絵画体験はここから始まったのかも  「夢見るフランス絵画」展

2014-05-05 | 美術
言うまでもなく、英語のimportは輸入、exportは輸出である。接頭辞であるimはinと同義で内に入れること、exは外に出すこと。印象派はimpressionism、表現主義はexpressionismと英訳されるが、千足伸行成城大学名誉教授の本展解説によれば、印象派は革新的と見えながら、その前の絵画芸術(新古典主義やロマン主義)の主流であったアカデミーのサロンから逃れることなく、いやそのエッセンスを取り入れ、離れることなく、時にサロンへの上梓を希求した印象派の若い画家たちの姿があったということ。つまり、印象派は古いサロンの手法を完全否定するのではなく、内包化しつつ新しい表現=戸外に出て描いたのだが、その象徴的な出来事は、たとえばモネはずっとアカデミーに出品し続けて認められようとしていたとか、サロンと印象派の展覧会に両方出品し続けてきた画家がほとんどであるとか。ドガのようにサロンに出す奴は、新しい絵画を目指すものとして許さん、みたいな印象派原理主義者は少数派で、千足さんによるとサロンは印象派にとって「必要悪」であったとのこと。だから、ドガのようなサロンを全否定した画家はほとんどいなくて、印象派の活動後何年もしてからサロンに出品、入選したことを率直に喜んだモネのような画家が残ったとも言えるのだ。
一方、表現主義は内に取り込むのではなくて、外への放出が彼らの立ち位置であったこと。表現主義の範囲をどこに求めるかで変わってくるが、例えばフォービズムのブラマンクやドラン。アカデミーのサロンへのこだわりは、印象派創世記の画家ほどなく、むしろその後サロンを完全に解体した近代絵画の流れ、ピカソらのキュビズム、バッラらイタリア未来派、そしてノルデらドイツ表現主義への萌芽を感じさせる。
本展の要諦は、「夢見るフランス絵画」と名付けられただけあって、日本(人)のフランス絵画人気もしくはフリークを物語るものであって、上述の印象派からの美術史的分析というより、フランス近代美術に日本(人)がどう惹かれてきたかという日本側から見た、いわば一方的なフランス画壇への憧憬である。であるから、印象派の次はルオー、ブラマンクといったフォーブの画家が取り上げられるが、エコール・ド・パリの画家である。「パリ派」の実態はベラルーシから来たユダヤ人シャガールや、ポーランド人のキスリング、イタリア人モジリアニ、そして日本人フジタなどパリに惹かれてやってきた異邦人の集合体であった。もちろん今回の出展者の蔵ゆえユトリロやローランサンなどフランス人の作品も多いが、むしろこの「個人」がエコール・ド・パリの面々個人々に深い興味・造詣があったわけではなく、入手しやすいものを入手したのか、あるいは、ユトリロ、ローランサンといった「分かりやすい」作品を好んだのなのかもしれない。
いずれにしても、日本人がフランス絵画を収集しようとするとき、「パリ」という響きに惹かれて、先述の美術史的観点からの欠落性、不連続性はあるにせよ、日本にパリを持ち込もうとしたのは間違いないであろう。もともと日本の近代画壇を背負った人たちは黒田清輝をはじめとして、みんなパリを目指したのであるから。そういった意味で、日本ではパリをいただくフランスに「夢見た」のは故なきことではなく、それが西洋絵画導入への嚆矢となったのはやはり否定できないのである。(ルノワール「ド・ガレア夫人の肖像」)
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こんな裁判官はいないか?   ゼウスの法廷

2014-05-03 | 映画
ゼウスというと絵画の世界では、様々なものに姿を変えて、多くの場合美しい女性を孕ませる全能の神どころか完璧にして頂点を極めた好色である。神であるのに、女神と交わることに飽き足らず、人間ともまぐわい、動物とまぐわる。まぐわるためには白鳥(レダと白鳥)や金色の雨(ダナエ)にまで姿を変えて、女(性)に精気?を送り込む。だからゼウスで真っ先に浮かんだのは好色であった。
それが一面的な見方であるのは、美術界を席巻する「変身物語」(オウィデイウス)からの題材拝借に毒されてきたことと同時に、ゼウスのお話(そもそもギリシア神話のゼウスが、変身して交わることを中心に描いたのはローマ神話のユピテル)を正確、多面的にとらえ切れていなかったということ。ただし、裁判官を全知全能と誤解することに、この作品の題の間違いと、それを狙った制作者の意図にまんまとはまった鑑賞者の姿がある。
ところで、「ゼウスの法廷」での裁判官の描き方はティピカルすぎてデフォルメが過ぎているのかなとも思う。実際の裁判官の世界なんて確認しようもないが、加納裁判官のそのようなティピカルな振る舞い  例えば婚約者の反論に「異議申し立てか」と訊いたり、「思料する」と言ったり  は、おかしいがやはり裁判官の実際の姿を描いてはいないと思う。加納裁判官は、婚約者との私生活でも裁判官たらん姿を示しているが、むしろ、あのような「いつでも理性的に、合理的判断をする」(婚約者恵の言葉)裁判官が、私生活では「普通の」市民になりきることが問題なのではないか。
加納裁判官は「普通」の「庶民」出身であったが、司法研修所で人が変わったと母は言う。小さな商店を営む父が銀行の貸し剥がしにあい、訴訟でも負け、小学生であった加納少年がそれまでの野球少年から変わり、猛勉強して裁判官を目指すことになると。そして、東大、司法試験といくが司法研修所に行くまでは実家にも出入りしていたのにと。映画の時代設定が「平成23年」、加納判事が「特例」になるシーンがあるので、加納裁判官は平成18年任官となる。司法試験制度が変わり、法科大学院修了者が受験資格を得るのが一般的になったのが平成16年。細かな話であるが一発試験(旧司法試験のように法科大学院修了者でなくても受けられる試験)でないかぎり(合格者はとても少ない)、加納裁判官は法科大学院出身である。ところが加納の婚約者は32歳という設定なので、見合い(結婚)で出会ったというのであれば、加納が恵よりおそらく同年齢か年上。そうすると加納も32歳以上となるので、裁判官になったのは27歳ということになる。法科大学院は法科専科であれば2年履修なので加納は少なくとも法科大学院卒ですぐストレートに司法試験に合格したのではないことが分かる。
何が言いたいか。加納は恵と初任の鹿児島地裁で出会っているように決して裁判所内におけるエリートではないのである。なぜなら最高裁が目を付けたその後出世街道を歩むエリートは初任を東京地裁で経験し、その後関東近辺の裁判所と最高裁事務総局しか経験しないからである。しかし、今は二人とも東京で過ごし、加納は官舎にいるよう。ただ、恵の裁判を自分に担当させてくれといってそうなるあたりは東京地裁の規模では考えられないし、そもそも裁判官は事件を選ぶことなどできない(はずだ。ただ最高裁が最高裁の意に沿わない、人権を重視する裁判官を住民訴訟や行政訴訟、労働裁判の担当部に配置しないことはありうる。)。かように本作の設定はご都合主義的ではある。また、加納を攻撃する部総括判事や所長はあからさまに(最高裁の)意(や判例)に従え、裁判所の体面を傷つけるなと言うが、おそらく実際の所長らはこんなことを直接的、分かりやすくは言わないだろう。加納が自ら出処進退を明らかにするとか、自分ひとりの問題として「裁判所に迷惑をかけない」とか仕向けるはずである。
周防正行監督のヒット作「それでも僕はやってない」に比べ、ディテールで漫画チックなのは仕方ないとしても、裁判官は一人の人間たり得るのかあるいはゼウスなのか。そういった視点だけで見れば十分楽しめる作品ではある。(なお、現役裁判官として裁判所(官)のおかしさについて発言している寺西和史さんの本作ホームページで発言しているコメント(http://www.movie-zeus.com/comment.php)は秀逸である。)
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