kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

「異なる能力持つ人たち」との共生  人生、こににあり!

2011-09-25 | 映画
希望のない映画が好きだ。ケン・ローチ「マイ・ネーム・イズ・ジョー」、テオ・アンゲロプロス「エレニの旅」、エラン・リクリス「シリアの花嫁」…。これらはいずれも「希望がない」とは一言で言い表せない作品かもしれない。けれど、今後、もう主人公が次の希望を見出すことなんて想像できないラストに打ちのめされて(シリアの花嫁など、ヒロインは撃ち殺されるであろうとところで終わる)、とても「希望」など持つことを許されないように見えたのだ。
イタリア映画「人生、ここにあり!」の原題は「Si puo fare(やれば できるさ)」。オバマ大統領が大統領選で連呼した「Yes we can」を思い出させるようなフレーズだが、オバマ大統領のようなアジテーションではない。できることから始めれば、心に病をもつ者の集まりでも自立、自営、自活、そして企業展開までできるのであるから。
面白いのは、労働組合運動の「過激派」であるネッロが左遷されて送り込まれた先、「共同組合180」が市場に打って出て、自分たちの存在と自由、そして権利を、「普通の」権利を獲得しようとする構造。というのは、労働組合の中でも左派はより資本主義を否定しがちであるし、障がい者の解放は社会主義的発想でしかないと考えていた身にとって、イタリアの労協(労働者協同組合)はとても新鮮であるから。「労働者」も「協同組合」もわかるが、労働者は「労働組合」をつくるものであって、「協同組合」は「生産者」か「消費者」だろう。しかしイタリアでは、「協同組合」方式で、精神病院(または、精神病院が廃止されて以降は病院の精神病棟)の一角に障がい者の作業現場を設けて、入院している者ではなくて、同じ労働者としてなんらかの労働に従事している者としての位置づけであったから。これは、1978年イタリアで制定されたバザリア法=精神病院根絶法を根拠に、精神障がい者は被収容者ではなく、健常者と同じ労働者として地域で生きることを高らかに宣言した後であったが、現実はどうか。同法が実施されたあとも、180(バザリア法の法律番号)は封筒に切手貼りという単純、精神病院時の軽作業、慈善事業となんら変わらない日常で、180の責任者たる精神科医師は、彼らを薬で抑えておかないと何をしでかすか分からないと考えていて、組合員は無気力、無反応の毎日。これでは、バザリア法の理念を現実化できていない、組合員は労働者らしく…。ネッロは過激な改革者の本領を発揮して?組合員を床貼りの仕事に従事させようとするが、予定通り資材が運び込まれず、廃材で床貼りをはじめた組合員は。
あとは、とんとん拍子の成功例のように描かれているが、もちろん、悲劇もある。自由と普通の生活を手に入れた若い組合員ジージョが床貼りで訪れた家の女性に恋をし、パーティーにまで招かれたが、トラブルに。トラブルの原因について女性が「(精神病者であるジージョと)普通に接してしまった私のせいだ」と聞き、絶望したジージョは自ら命を絶つ。精神障がい者の自殺率は高いという。しかし、そもそも、精神障がい者が自らの障がいゆえに自死する社会こそ問題では。
1998年12月。イタリアは精神病院を完全になくした。バザリア法から20年。先進的なイタリアでさえ、理念が現実化するのに20年かかったのだ。そして本作は実話に基づいている。現在、一時的に入院する精神障がい者はいるが、もちろん閉鎖、隔離、長期ではないという。イタリア語通訳の田丸公美子さんが本作を見て、エンディングクレッジットで「今、イタリアには2500以上の協同組合があり、ほぼ3万人に及ぶ異なる能力を持つ組合員に働く場を提供しています」にある「異なる能力を持つ」という表現に感動したという。
日本では「精神病」患者は70万人、ベッド数は35万床という。前述の自死者のなかには年間3万5000人もの自殺者を出しているこの国の数字に当然含まれているだろう。
もう21年前の本になる。群馬は宇都宮病院で閉鎖病棟をなくした石川信義医師の実践(『心病める人たち』岩波新書)は、その後どれくらい広がったであろうか。「異なる能力を持つ」人たちとの共存は、現在能力主義が行き着くところまで、行き着き、精神病ではなくても容易に切り捨てられる社会で、あらためて能力あるなしそのものが問われない社会を希求していると思える。
ユーロ圏の劣等生、経済破たんも遠くないと揶揄されるイタリアを、円高の日本ははたして嗤えるだろうか。冒頭希望のない映画が好きと述べたが、やはり、希望はあったほうがいい。はたしてこの国でそれが可能かどうは別であるが。
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現代美術の役割とは何か  2011横浜トリエンナーレの感想から

2011-09-17 | 美術
美術で食っているわけでもないのに、横浜トリエンナーレは毎回行っている。今では大御所となった蔡國強や、草間彌生、石内都などその後ヴェネチア・ビエンナーレでイクシビションを飾る大家が、その登竜門として?横浜トリエンナーレのメインを担うのは今や常識である。そして、2003年の横トリでその非凡さを見せつけた束芋は、今や日本を代表するアーティストとして今年のヴェネチア・ビエンナーレの日本館を担当。コンピューター・グラフィックスであるのにその泥臭さ、アナログっぽさが日本的であると受けているのか、束芋の評価は高いし、筆者もなぜか惹かれるところがある。
束芋の魅力については以前紹介した(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/f6612328ea6416fcb28ab3f3a66c798f)が、今回の横トリで、次代のヴェネチア・ビエンナーレを担う層が出てくるか。
今回はじめて横浜美術館を会場にしたのは、どのような理由かは分からないが、既存の美術館、それも決して大きくはない横浜美術館を会場にしたことで、いくぶん、こじんまりとした感はぬぐえない。現代美術館として開設されていない限り、どうしても制約がある。天上の高さであるとか、そもそもの部屋の広さであるとか。横浜美術館はこれまでの展覧会、近代彫刻を取り上げた時など、特に好もしい企画展、を擁していたが、収蔵作品を今回現代作品に織り交ぜて展示しているあたり、すでに持っている近代作品のコレクションにも自信と自負が見て取れた。ブランクーシ「空間の鳥」、エルンスト「少女が見た湖の夢」、マグリット「王様の美術館」などのまさに近代作品のほか、今回出品するために特別に制作されたのではない現代作家の逸品、石田徹也や杉本博司も登場して、もう、どこまでがトリエンナーレか分からないほどだ。が、それがまた、うれしい展示ではある。
東日本大震災前から本展は企画されていたであろうが、今回、展示が横浜美術館というと、いわば、現代美術には狭い空間で展示されたのは象徴的である。というのは、ちょうど10月に開催される神戸ビエンナーレが、電気使用をおさえるためにこれまでのようにわざわざコンテナを運んでの屋外展示を止め、公園でのインスタレーションを除いてすべて屋内に変更したことからも、「節電」を意識したものになっているからだ。実際、屋外でしたのと屋内でしたのとの節電効果の違いはよくわからないが、今回の横トリでは、メイン会場を横浜美術館(と日本郵船海岸通倉庫)としたことによって、少なくとも赤レンガ倉庫であったような巨大な作品はなくなったのは事実だ。だから興味失せる、のではなくて、逆に近年敬遠されていた?ビデオ作品が増えたのがまた、興味深いのだ。
たとえば、ベトナム人(母は日本人)作家ジュン・グエン=ハツシバの作品。「呼吸することは自由:日本、希望と再生」と題した作品は「地球にドローイングを描く」プロジェクトで、東日本大震災の被災地を地元の人らとともにGPSを装着して走り抜けるというもの。全て押し流されて荒地となった背景、がれきの山のバックを走りぬける様は痛ましく、かつ、心地よいだけではない。GPSの軌跡は桜の花などのかたちとなって浮かび上がるのだ。未曽有の震災を目にして多くの作家は「自分に何ができるか」を考えたことだろう。自粛騒ぎもあるが、女子サッカーなでしこではないけれど、結局、自分の本分でしか活動できないとしたら、美術家もやはり芸術でしか震災を自分のものとしてとらえることはできないのではないか。
ジュン・グエン=ハツシバは自分や地元の人が駆け抜ける街を見てほしい、と同時に、前に向かって走る(「べき」とか「ったほうがよい」ではない、決して。)姿を自らの震災の態度として作品にしたのだ。そこには冷笑、ニヒリズム、そして虚無感もない。むしろ、6か月たった被災地以外の日本に住まう人たちへの「忘れないでほしい」というささやかな警鐘なのだろう。
沖縄やパレスチナの作家がなんの外連味もなく、土地をそのまま描くとき、映すとき、彼ら彼女らは、その土地への過剰な支えを、期待しているのではないだろう。むしろ、「忘れる」に長けた現代人に対して「忘れない」の共有を呼びかけているに過ぎない、のだろう。現代美術というのは、すべからく、何らかの政治的メッセージを内包したコンセプチュアルアートの宿命を負っている。今回の横トリのおとなしさと問題提起は、そのあたりも含めて「現代美術」、さもありなんと、少し想定内で上品ではある。
(砂澤ビッキ「神の舌」)
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ハプスブルク3国美術紀行4 ハンガリー

2011-09-14 | 美術
ハンガリーやブダペストに恥ずかしいくらいなんの知識もなく訪れた。ハンガリーの歴史、それも1956年のハンガリー動乱であるとか、ましてや音楽音痴のこの身にとってリストの生涯などに興味があったわけでもない。今回訪れたチェコはビール、オーストリアはワイン、ハンガリーもワインらしいと、食い意地のはった者にはその程度の興味対象であったハンガリー。では美術の世界では。
ハンガリーの一般的な知識どころか、美術でもこちらの不明を恥じるほど充実した美術館だったというのが正直なところである。ただ、言い訳すると、世界の美術館ガイドなど、それも比較的大きく、詳しいガイドを見ても、ハンガリーの美術館のことはほとんど紹介されていないし、ハンガリーの画家も取り上げられることはまずない。であるから、ハンガリーの美術館、画家のことを問われても…。
思い直して、感想を言うとブダペストの美術館はすばらしい。規模もコレクションも十分である。国立西洋美術館は、いわば、ハンガリーの印象派の作品を集めたところ。ハンガリー印象派についてのこちらの知識のなさ、情報の少なさもあって、知らない画家ばかりだ。その分、予断もなく新鮮。印象派というともちろんフランスであるが、ルノワールはこう、モネはこんな感じ、ドガは…と決めつけて見てしまうが、ハンガリーの印象派なんぞ知らないこちらの強み? 反対にああこれはモネ風だとか、ピサロを思いおこさせるとか、モリゾが描いているのではとか、勝手にフランス印象派中心主義に堕して、分かったような気になっている。ただ、悲しいかなハンガリー語はもちろん分からないし、あっても小さな英語表記を事細かに確かめる時間もない。しかし、機会があればハンガリー印象派(というか、要するに近代絵画)の専門書にもあたってみたいと思う(もちろん日本語でお願い)。
国立美術館は、中世の祭壇画から現代美術までカバーする、まさに「国立美術館」の名に恥じない威風堂々たるコレクション。展示の仕方は決して洗練されているとは言い難いが、その分、押し寄せるほどと感じる作品数に圧倒され、また、うれしくもある。中世の祭壇画がこれほど集められているのも驚きであるが、同時に、その状態の良さも特筆もの。宗教的にはロシア正教に与せず、カトリックの強かった故か。これで終わりかと思ったら、まだ奥に広がる規模の展示室に王宮を美術館にするという試みは、もちろんブダペストだけではないが、王宮の美術館としての不便さを維持しつつ、その広さを有効に活用するという意味ではブダペスト国立美術館は、驚きと期待と、そしてその広さと複雑さのため、いくばくかの心地よい疲労を感じるのは致し方ない。いずれにしても、西洋先進国?の多くの大美術館が歴史的区分によって、そのハコを変えているのに反して、おそらくは、美術にかけるお金もそれほどではないハンガリーの首都の美術館が、1500年にもわたるコレクションを一堂に展示する贅沢さもまた、ブダペストならではの楽しみである。「草津よいとこ~一度はおいで」のドイツ語版で「ブダペスト グーテンプラッツ アイマール コーメンジー」というパロディがあるとかないとか。いや、ブダペストの二つの美術館には「一度はおいで~」である。(ゴシック様式の美しいマーチャーシュ教会)
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ハプスブルク3国美術紀行3 ウィーン2

2011-09-04 | 美術
2度目のウィーンはできるだけ前回行けなかったところを中心に訪れようと思った。で、街の中心にあったシュテファン大聖堂とか王宮も今回は真面目に!行ってみた。ハプスブルク家というとマリア・テレジアよりも皇妃エリザベート、シシィである。結果的にはシシィだらけの王宮やその他関連施設のオーディオガイドなどでずいぶんシシィに詳しくなったし、結構おもしろかった。絶世の美女、私生活は謎めいていて、最後は暗殺される。これほど、素人が歴史に興味をもつ題材に事欠かない人はいない。
ウィーンはシシィのおかげで現在観光客を呼び込めているし、フランスもマリー・アントワネットで観光人気が続いている。結局観光はハプスブルク頼りかと簡単には言えない。というのは、アントワネットもハプスブルク家として生きた時より嫁いだ後の方がずっと長いし、シシィもむしろハプスブルク家に背を向ける生き方をしていたように見えるからだ。それはさておき、ウィーンはやはり美術館の充実という点ではシシィばかりではない。
アルベルティーナ美術館はもともとあったアルベルティーナ宮殿内に、デューラーらの素描画の膨大なコレクションに加えて、クンストフォーラムが有していた近現代絵画のコレクションをドッキングさせて改めて大規模美術館として誕生したようだ(ただ、以前訪れた時(2003年)あったクンストフォーラムがなくなっていて、その当時はなかったアルベルティーナ美術館が今回あったことから思い込んだだけかもしれない。未確認。)。思いのほかの広さに時間が足りなくなってしまったが、前述の素描画はもちろん、近代絵画の名品も多く、すばらしいコレクション。いったいどこまであるのだろうという広さ。さらに企画展をいくつかしていて、これがまたグッド。筆者が訪れた時は、いずれも知らない作家、画家、写真家など3人を取り上げていたが、現代美術ゆえ?ドイツ語が分からなくても十分楽しめる展示となっていた。知っていたらもっと時間をとっていたであろうアルベルティーナは美術好きには隠れた名所である。
クリムトがウィーン画壇の保守的傾向を嫌って結成された「(ウィーン)分離派」の初代名誉会長に就いたのが1897年。その年から建設のはじまったのがセゼッション(分離派)館。キャベツのような頭頂部は有名で、一度訪れてみたいとおもっていたところだ。しかし、その異様な出で立ちを表すほどには常設展が充実しているわけではない。というか、ここはクリムトと出会う、言わば聖地。そう、ベートーヴェン・フリーズが地下に設えられている、それに出会う場所であるのだ。
ベートーベヴェン・フリーズは分離派の象徴的な作品で、クリムト自身、あまりに大きな反発に驚いたとも伝えられているが、そのあたりは、常に保守的画壇に挑戦し続けてきたクリムト故、反発も計算づくであったのかもしれないが、そのあたりはよく分からない。いずれにしても、第9すなわち「歓喜」へ至る様を、人間の強欲、闘争、そして勝利へと象徴的、あるいは具象的に人や怪物をあしらうことによって描いている一大叙事詩である。地下への小さな入口をくぐるとぱっと開ける無機質な四角の部屋3面。実は、以前レプリカを見たことがあり、もっと小さいものと感じていたが思いのほか大きく、そして、それゆえ勇壮であった。
セゼッションそのものは小さく、企画展も少なく、その割に料金は高い。しかし、ベートーヴェン・フリーズにまみえるためには訪れなくてはならない、いわばクリムト巡礼の地なのである。(セゼッション)
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