kenroのミニコミ

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真実を見極めるために誰も弁護しない人を弁護する  死刑弁護人

2012-07-30 | 映画
安田さんも、本作のパンフレットに文章を寄せている青木理さんも述べているように、冤罪の疑いのある被疑者・被告人は「無辜の民」であることを想像しがちで、そういう人を私たちも求めているように思える。例えば、戦後間もない頃、戦前特高の取り調べ手法を用いて無実の被疑者の「自白を引き出し」死刑が確定、服役後再審で冤罪と判明した免田事件や財田川事件などは事件が古いこともあり、「無辜の民」が謂われなき罪で死刑囚として監獄で過ごしたと取り上げられもした。(ただし、例えば財田川事件の冤罪被害者である谷口重義さんは地元の「不良」で、別に「無辜」ではなかったが、これは死刑囚の再審というトピックに飛びついたメディアのフレームアップであろう。)
そういう意味では、足利事件の菅家利和さんなどは「無辜の民」然としているが、和歌山カレー事件被告人の林眞須美さんは無辜とは程遠い、真っ黒である。ここからが、死刑弁護人安田好弘の真骨頂である。「林眞須美さんは、夫婦で保険金詐欺を繰り返し、8億も手に入れ優雅な生活をしていた。そんな眞須美さんが一銭にもならない「無差別殺人」をするわけがない」。そう、私も含めて(言い訳になるが、筆者は林眞須美さんが犯人かどうかは興味もなかったし、間接証拠だけで有罪=死刑にできるのだろうか程度の感想だけを持っていたが、積極的に林眞須美さんの支援活動を行っていたわけではない。)多くの人が「林眞須美(さん)て悪そうな人だなあ、殺人罪で裁判になって「ああ、そんなこともしていたのか」程度の興味であったのではないか。ただ、「そんなこともしていた」という殺人事件の犯人視については当時の林眞須美さんに対するすさまじい報道合戦による影響が大きい。報道陣に水を撒くシーンを見たことがない人はいないのではないか。
ここで刑事裁判の基本原則を確認しておきたい。「疑わしきは被告人の利益に」あるいは99.9%灰色は無罪。しかし現実はこの反対であることは言うまでもないだろう。疑わしい者が真犯人、灰色の者は真っ黒、すなわち有罪と。そう、私たちにそう思わせるのがマスメディアの犯罪性である。逮捕された時点で(林眞須美さんの場合は逮捕以前であるが)犯人視、有罪推定、もちろん顕名で報道する。さらに仮に逮捕された被疑者が被疑事実を認めていても、弁護人に対するバッシング(「鬼畜の弁護などするな」などというあれ)をこれまた垂れ流す。被害者(遺族)の声ばかり紹介するなど、捕まった時点で、まだ裁判も始まっていないのに有罪で、殺人事件などでは「吊せ、吊せ」の大合唱。
和歌山カレー事件だけでも、弁護には困難を極めているのに(安田さんが林眞須美さんの弁護を引き受けたのは上告審から)、ほかにもオウム真理教事件の麻原彰晃被告人、光市母子殺害事件の少年、新宿バス放火殺人事件の被告人など被告人の態度や犯情などについてメディアが騒ぎを大きくし、誰も被告人の味方をしないような事件を多く引き受けている。安田さんは言う。「真実を見つけ出すために弁護する」し、「死刑事案では裁判が終わったら終わりではない。執行されるまでの付き合いは続く」と。だから、新宿西口バス放火事件では被告人の心神喪失を立証し、死刑ではなく無期懲役を勝ち取ったものの、後に被告人が刑務所で自殺したことを知り、とても悔いたこと、名古屋女子大生誘拐殺人事件では再審請求ではなく恩赦請求をしている間に死刑が執行されてしまったことを「自分のやり方が間違っていた」と。
現在、いくつかの事件で再審中、あるいは再審準備中であるという安田さんは家もほとんど帰らず、時には何日もお風呂に入らず、書類と格闘、あるいは現場実験などに追われている。それでも、彼は死刑弁護人をやめない。
安田さんの実像を淡々と描いた東海テレビの齊藤潤一監督と阿武野勝彦プロデューサーの存在にメディアの仕事に希望を寄せるともに、このような番組がローカルでしか放映されないマスメディアの限界も実感した。
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