9・11後のアメリカのアフガニスタンへの攻撃は正しかった。と、超大国の報復を認めてしまいがちなタリバンの圧政。が、仮にタリバンが民衆を抑圧したのが事実であってもその事実を知り、そこに至ったアフガニスタンの歴史を知ってからアメリカ支持を考えても遅くはない。ではタリバンとはどのような存在であったか。タリバンが極端なイスラム教解釈によって恐怖政治をしいていたことは知られるが、その実態はむしろ「アフガン零年」(03年 アフガン=日本=アイスランド合作)の方が分かりやすい。特に女性を社会的に排除した点については。しかし「アフガン零年」はフィクションであり、主人公の女の子が男装してそれがばれたため厳しい処罰を受けるシーンなどある意味でビジュアルであるが、「ヤカオランの春」は美しい故郷ヤカオランでタリバン以前の内戦での戦争経験や、タリバンによる村人の抹殺などを生き残ったアクバルがたんたんと語るに過ぎずドキュメンタリーである。もちろん殺戮シーンなどないがアクバルの語りの方が胸に響く。ただ一つタリバン下で撮影された映像に切り落とされた手首が写っていたのが、血も凍る現実の一端であろう。全体としてアクバルの語りと彼の家族の故郷への思い、そして緑美しいヤカオランの風景ばかりだ。語り継ぐことが戦争を伝える人類の英知であるならば、体調も芳しくなく戻りたい故郷へ帰れないアクバルの語り一つ一つに西側社会に「忘れ去れた国」アフガンの過酷な歴史が詰まっているように思えた。
しかし、タリバンが進出するまで比較的女性もそれなりに社会的進出をしていたアフガンがこのような状態になったのは、79年のソ連のアフガン侵攻であり、それに対抗するムジャヒディンへのアメリカの過剰な武器供給であった事実を忘れることはできない。大国の思惑と関係のなくなったアフガンは捨て去られ、「テロリスト」の温床となっていたとしてもその「テロリスト」を養成したのもまた大国だった。
帰りたい故郷を奪う権利は誰にもない。
しかし、タリバンが進出するまで比較的女性もそれなりに社会的進出をしていたアフガンがこのような状態になったのは、79年のソ連のアフガン侵攻であり、それに対抗するムジャヒディンへのアメリカの過剰な武器供給であった事実を忘れることはできない。大国の思惑と関係のなくなったアフガンは捨て去られ、「テロリスト」の温床となっていたとしてもその「テロリスト」を養成したのもまた大国だった。
帰りたい故郷を奪う権利は誰にもない。