kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

寛容、そして統合。隣人として生きる術を用意する世界「ウィ、シェフ!」

2023-05-12 | 映画

日本は、2070年には人口が現在の約7割の8700万人、うち外国人が1割になるとの予測が出た。移民政策であれ外国人の増加を快く思わない人たちはショックを受けているとも。技術を教えるどころか、日本人がしたがらない3K職場で使い捨てる実態の技能実習制度の本質がばれ、日本に来る外国人が本当に増えるのか。それほど魅力のある国であり続けるのか。

「ウィ、シェフ!」は現代のおとぎ話である。自分ひとりの力で有名レストランのスーシェフまで上り詰めたカティ・ラミーは、オーナーと喧嘩してクビに。すぐに雇ってもらえると考えていたが、やっとありつけた職場は移民少年らが滞在する寮の料理人。ラビオリの缶詰しかない調理場で掃除もきちんとできていない。施設長からは「飾りつけ、味付けは要らない。量があれば良い」と言い渡される始末。ゲームやサッカー以外には無為の時間を過ごす少年らを、調理助手としてマネジメントする立場になったカティにムラムラと意欲が沸き起こる。食材の選び方から、調理の基本など、それらにまつわってフランス語もメキメキ上達する少年たち。そして、カティが因縁あるレストランと対決する番組で少年らの不安定な立場を訴えることに。

実は、あながちおとぎ話ばかりでとは言えない。フランスの移民割合はすでに約12%。しかも「移民」の定義が「外国生まれで外国籍を持ち、フランス国内に在住する人々」であって、日本の在日韓国人のような存在はカウントされないので、実際にフランス以外にルーツを持つ人はもっと多いだろう。少年たちの将来は過酷だ。18歳時点で職業訓練学校に入れないと強制送還されるからだ。彼らの年齢は厳密に調べられる。骨年齢をCT検査で解析し、18歳を超えているとされたら送還対象になる。「故郷では料理は女がする。男は女に指図されない」とカティに言い放ったジブリルは、教室から追い出されてしまう。しかし、寮の規則正しく、謹厳な生活を離れた移民の少年らにある現実はヤクの売人など違法なものばかりだ。サッカーでクラブからスカウトされることを夢見るジブリルはやがてカティの重要な調理補助となる。コートジボアールに、コンゴ、パキスタン。命からがら祖国から逃げてきた難民ではないが、彼らの肩には故郷の両親らの期待が背負わされている。だから必死なのだ。それを受け入れ、統合に費用をかけ、また統合できないと強制送還するフランスの政策はある意味、寛容で合理的でもある。トリコロールの赤と白を体現しているということか。

トルコで迫害されているクルド系をはじめ、ドイツにはシリア難民その他が押し寄せている。ロシアのウクライナ侵攻後にはそれも含まれる。ドイツでは、移民・難民に徹底的なドイツ語教育を無料で施し、ある程度の理解力まで得られないとやはり送還する政策とも聞いたことがある。正確なところは不明だが、仏・独とも地続きの欧州諸国では、かくも移民対応に時間も人出も割いている。人権的観点から。

翻って、日本で移民少年らに希望を与えることができるだろうか。そもそも、児童養護施設育ちのカティに自ら切り拓く道を用意しただろうか。入管施設で医療も受けられず亡くなったスリランカ女性、死産したことで刑事責任を問われたベトナム人技能実習生。おとぎ話以前の酷薄な現実がこの国の実態だ。

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「全然大丈夫じゃない」そう言える世の中に  「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

2023-05-03 | 映画

ぬいぐるみを英語でstuffed animalという。以前、海外旅行をしていた際、どこの国だったかレストランの日本語メニューに「○○のぬいぐるみ○○」というのがあり、なんのことだろうと訝しく思った。しばらくして納得した。ソーセージか何かの詰め物料理のことだったのだ。英語圏でないその国で、料理をまず英語で考えてそれを日本語表記にしたらしい。ぬいぐるみは食べられないが、もこもとと柔らかい何か詰まった動物には話しかけたくなるのかもしれない。

ぬいぐるみに話しかけるのは、実在する人間に話しかけることで傷つけ、傷ついてしまうことを避けるためだ。だから、ぬいぐるみとしゃべっているのは他者ではなく自分自身であったりする。それは自己防衛であるとともに、他者との関係性を持たないという人間関係の広がりを拒否する姿勢でもある。他者との関係で自己研鑽や、いろいろな価値観があるということに気づくこともできるというのに。しかし、まず自分を守ること。

京都の大学のぬいぐるみサークル(ぬいサー)に集う人たちは、どこか他者との気軽なコミュニケーションが苦手で、内にこもるタイプが多いと見える。しかし、そう見えたのはメンバーがより繊細であるからに過ぎない。そこには各人のSOGI(sexual orientation、gender identity 性志向と性自認)が深く関係している。饒舌でも快活でもない七森剛志は、入学の場で同級生の麦戸美海子と知り合う。二人してぬいサーに加入したが、そこには同級生の白城ゆいもいた。異性との交際の経験のない剛志はゆいと付き合ってみるが、やがてフラれてしまう。ゆいと同じ布団で寝るまで交際した二人だが、性交を求めなかった剛志にゆいが愛想をつかしたのか。あるいは剛志と美海子が付き合っていると勘ぐったゆいがわざと剛志と交際してみたのか。一方、通学電車で痴漢を目撃した美海子は、自分ごとに思えて通学できなくなってしまう。美海子に授業ノートを届ける剛志。それは恋愛感情ではない。心から心配しているからだ。長く一緒に暮らした飼い犬の死を機に、久々に実家に帰った剛志は同級生に誘われ居酒屋に。そこで「こいつ童貞だ」とからかわれ、憤然と席を立つ。なぜ、そういう目で、そういう価値基準で人を測るのかと。すると今度は、剛志が学校に行けなくなってしまう。剛志を助けたいと思う美海子。二人は会話する。「全然大丈夫じゃない」

映画の中で明確に描かれているのは、ぬいサーの先輩である光咲と西村がレズビアンで交際しているらしいこと。それ以外、剛志も美海子も他のメンバーもSOGIは明らかではない。しかし、剛志はおそらくアセクシャルで、痴漢を目撃した美海子は、自己の「汚される性」側の自覚に苦悶している。ぬいサーのいずれもが大学生活で求められる(ように見える)シスジェンダーとしてのヘテロセクシャルとは無縁に見える。そう世の中が、ストレートが「普通」との価値観で覆われている中で、自分の生きにくさはセクシャル・マイノリティが原因と自覚している人たちなのだ。たとえセクシャル・マイノリティであっても生きづらさとは無縁の社会が望まれるのに、今や就職技術専門学校と化している職業選択の最前線である大学で、生きづらさに直面する困難といったらない。

2023年の現在、G7議長国として安全保障や環境や、経済などといった分野でリーダーシップをと意気込む日本。しかし、LGBTQ+や同性婚といった法整備、政策が一向に進まないのは他のG7国より周回遅れ。やさしくないはずだ。

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