ハマスとファタハが完全に袂を分かち、アラファト議長死後曲がりなりにも対イスラエル自治政府としての結束を固めてきたパレスチナの現況を知る上で基本的な映画である。
「自爆テロル」。言葉で書けばたった5文字(日本語だが)に至る若者の心情、周囲の状況、それをなさざるを得ないと考えさせる究極の軍事的・政治的閉塞状況。殉教者=英雄に選ばれたサイードとハーレド。サイードの父は密告者で、そのために処刑されたトラウマを持つ。サイードに惹かれるモロッコ育ちのスーハは自爆攻撃より方法があると主張し、どちらかというと自爆攻撃に積極的だったハーレドがサイードを止めるよう説得するシーン。結局テルアビブの街中、イスラエル兵が乗ったバスで自爆のひもを今引かんとするサイードの表情を大写しにし、映像は終わる。
イスラエルのパレスチナ攻撃の理不尽さ、それは圧倒的な軍事力を持つ者(もちろんバックにアメリカがいるからだ)の「入植」という侵略、安全確認のためと称する排外施策=とてつもなく厳しい移動制限、分離壁、の姿でかいま見ることができる。
パラダイスはないのだ。いや、殉教を選ぶことのできることこそ現在のパラダイスかもしれない、サイードやハーレドにとって。
サイードもハーレドも問う。明日があるかと。
自由とは囚われの自由ではなく、何者にも囚われていないこと。そんな単純で明白なことがパレスチナの地では通用しない。で、殉教を非難するイスラエルと西側。
イラクでも、アフガニスタンでも同じことがおこっている。もうこれしかない、あるいはこの、殉教で何かが変われば。悲壮である。が、それを無意味なこと、愚かなことと一言で言えるのか? 何かが変わるではなく、何も変わらないことを自覚したために自ら命を絶つ人が毎年3万人超あるこの国で。
重信メイさんが解説で書いている。あんなに苦しい社会でも老人がうち捨てられたり、乳幼児が遺棄されたりすることはないと。共助の精神が根付いているパレスチナに想像を絶する明日のなさを決めつけてはいけないと。
「別の意見や考え方が存在し、話には別の側面が存在するということを世界に知って欲しかった」。(ハニ・アブ・アサド監督)
「自爆テロル」。言葉で書けばたった5文字(日本語だが)に至る若者の心情、周囲の状況、それをなさざるを得ないと考えさせる究極の軍事的・政治的閉塞状況。殉教者=英雄に選ばれたサイードとハーレド。サイードの父は密告者で、そのために処刑されたトラウマを持つ。サイードに惹かれるモロッコ育ちのスーハは自爆攻撃より方法があると主張し、どちらかというと自爆攻撃に積極的だったハーレドがサイードを止めるよう説得するシーン。結局テルアビブの街中、イスラエル兵が乗ったバスで自爆のひもを今引かんとするサイードの表情を大写しにし、映像は終わる。
イスラエルのパレスチナ攻撃の理不尽さ、それは圧倒的な軍事力を持つ者(もちろんバックにアメリカがいるからだ)の「入植」という侵略、安全確認のためと称する排外施策=とてつもなく厳しい移動制限、分離壁、の姿でかいま見ることができる。
パラダイスはないのだ。いや、殉教を選ぶことのできることこそ現在のパラダイスかもしれない、サイードやハーレドにとって。
サイードもハーレドも問う。明日があるかと。
自由とは囚われの自由ではなく、何者にも囚われていないこと。そんな単純で明白なことがパレスチナの地では通用しない。で、殉教を非難するイスラエルと西側。
イラクでも、アフガニスタンでも同じことがおこっている。もうこれしかない、あるいはこの、殉教で何かが変われば。悲壮である。が、それを無意味なこと、愚かなことと一言で言えるのか? 何かが変わるではなく、何も変わらないことを自覚したために自ら命を絶つ人が毎年3万人超あるこの国で。
重信メイさんが解説で書いている。あんなに苦しい社会でも老人がうち捨てられたり、乳幼児が遺棄されたりすることはないと。共助の精神が根付いているパレスチナに想像を絶する明日のなさを決めつけてはいけないと。
「別の意見や考え方が存在し、話には別の側面が存在するということを世界に知って欲しかった」。(ハニ・アブ・アサド監督)