kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

ハプスブルク3国美術紀行2 ウィーン1

2011-08-31 | 美術
ウィーンは2度目である。前回行ったのは1月。冬の真っ盛りで夜12時近く遅くにウィーン中央駅に着いた時、1メートルくらいだろうか雪が積もっていて「えらいとこに来てしもた」と最初思った覚えがある。しかし滞在中は特に積雪もなく、難儀することもなかったがとにかく寒かった。完全防寒で写真を撮るたびに手袋をはずしたおぼえがある。
ヴェルヴェーデ宮殿は上宮と外宮のあいだを素晴らしい庭が広がっているのだが(それが分かったのも今回の旅行でだ)、たんに一面白い世界で、この雪道をあそこまで歩くのか!と思った覚えがある(というのも、観光シーズンでなかったため、外宮にたどりつくのも雪道をかきわけて苦労したからだが)。
夏のウィーンがこんなにも観光しやすいとは。まあ、ヨーロッパ、それも南欧を除いて、多くの国は夏が短く、観光シーズンは限られているので、太陽がさんさんと輝く短いこの季節に観光客(自分もだ)が押しよせるのだけれども。そして英語が通じる。ドイツは都会では英語にほとんど不自由しないが、ドイツ文化圏とはいえこのウィーンも、その前のプラハもブダペストも英語力が思いのほか高かったのは幸いした。それはさておき、ウィーンでの美術館といえばまず訪れるのが美術史美術館。規模は中堅どころと思うが、コレクションがすごい。特にブリューゲルは「雪中の狩人」をはじめ「農民の婚宴」「農民の踊り」、そして「バベルの塔」とすばらしい蒐集が続く。ほかにもクラナッハ、デューラーなど16世紀を中心とする北方ルネッサンスのコレクションが充実しているのは、ハプスブルク家がイタリア・ルネッサンスの影響を受けたからといわれる。イタリア・ルネッサンスの蒐集はもちろん(ラファエロの名品「草原の聖母」もある)もともとフランスはブルボン王朝との対抗関係から、ドイツに接近していた事情(だからスペインと近かったハプスブルク家なのでもあるが)、ハプスブルク家の出自がドイツ系であったなどの経緯もあるらしい。とまれブリューゲルのコレクションだけでも堪能するのに、他の作品もいちいち見ていたらこれはもう特大規模である。アルチンボルドの不思議な肖像画!は、現代のだまし絵と遜色ない。いや、CGやコピー機械もなく、トリミング、マスキングにも現代よりはるかに労を要した時代、やり直しのきかいな油絵にこれほどまでに完成度の高い造形があっただろうか。
今回は部屋を改修中で間近には見られなかったベラスケスの「青いドレスのマルガリータ王女」はハプスブルク家のスペイン王室との近接を思いこさせるし、なぜかあるフェルメールの傑作「絵画芸術の寓意(画家のアトリエ)」は、ハプスブルク家の蒐集力を垣間見せる恰好の作品である。
ところでヨーロッパの美術館はもともと宮殿であったものを美術館に転用した例は多いが、美術史美術館は最初から美術館として使用するために建てられた宮殿であるという。ちょうど没落のハプスブルク家の600年にわたるコレクションを収蔵する必要があり、それが、向かいの自然史博物館とともに一対として建てられたのが1889年(美術館が91年)。まだ100余年しかたっていないが、その重厚さはどうだ。そしてその重厚さに耐えうるコレクション。建物を楽しむ、作品を楽しむ、そしてそれらを擁した歴史を楽しむ。美術「史」に触れるにふさわしい空間がウィーンの一等地に鎮座する贅沢を心ゆくまで楽しもう。
(クラナッハ 「アダムとイブ」)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハプスブルク3国美術紀行1 チェコ

2011-08-25 | 美術
昔東欧とくくられていた地域が現在ではオーストリアを含めて、チェコ、ハンガリーとともに中欧と呼ばれるらしい。チェコは、チェコスロバキアから分離したことはもちろん知っていたが、そのプラハの春以外になんの知識もない(「プラハの春」も実はよく知らない。加藤周一の「言葉と戦車(を見すえて)」を聞きかじっていたくらいである。)
今回そのチェコ、オーストリア、ハンガリーを訪れたのでその報告を。言うまでもなくハプスブルク帝国の3国であり、チェコはボヘミア国王フェルナンド1世の時代から(16世紀)20世紀の独立まで500年間の支配を経ているが、ハンガリーほどハプスブルク家人気(正確には皇妃エリザベート人気)はないようである。むしろ、ボヘミア王国が西欧列強の支配から逃れる、チェコ(スロバキア)が、独立していくその重みと民族の独立性が謳歌されていたに違いない。その典型がスメタナの「わが祖国」であろう。
生半可な歴史知識はさておき、美術の世界でいうと、近代の成功者はやはりミュシャ(チェコ語では「ムハ」)。ムハ美術館はとても小さい。ミュシャは言うまでもなく、パリに出て女優サラ・ベルナールのポスターを描いて大成功、その象徴主義の技法は、ムハ美術館に所蔵する原画等で垣間見えるが、如何せん規模は小さい。ミュシャは挿絵画家なのであるから、「画家」とは言っても、たった一枚の画布に己の筆をたきつける人ではなく多くの場合その作品はリトグラフである。から、原版をもとに多くの印刷物が出回り、ムハ美術館に行かずともミュシャの作品には多く触れることができてきた。
もっとも、熱烈な愛国者であったミュシャは、チェコスロバキア独立(1918年)のために多くのデザインをチェコスロバキアのために制作したそうで、ムハ美術館にもそのあたりの展示があったやもしれぬが、展示の貧相さと英語説明を読む力量、根気がなく流してしまったので詳しくは分からず仕舞い。ミュシャはあくまでパリで成功したのであり、チェコ(スロバキア)で活動したのではなかったし、作品がチェコに留め置かれたのでもないから、ミュシャの生涯の作品群に触れるのは難しかったのかもしれない。その点、パリのロダン美術館などとは違うと思うが個人美術館の成功あるいは不成功事例を検証してみるのもおもしろい試みかもしれない。
チェコは王宮の一角に国立美術館は設えられてはいるが、規模も小さく、目立った作品もなかった。聞けばチェコは信仰率がとても低く、最大のカトリック信仰が26%ほど、無宗教が50%を超えるという。近代以前の絵画はキリスト教である。その基盤がないとなると筆者が興味を持つような作品も、作品群を収める美術館も発達しなかったのかもしれない。王宮の聖ヴィート大聖堂などのステンドグラスはもちろん美しかったのだけれども。これから訪れるウィーン、ブダペストに期待しよう。
美術とは関係ないが、ビール、ワインはとても美味しかった。
(聖ヴィート大聖堂)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界一ゴージャスな舞台 ABTのドン・キホーテに納得

2011-08-01 | 舞台
賭け値なしで面白かった。情熱の国スペインの単純明快なストーリーがよかったのかもしれない。とことん狂言回しに徹するドン・キホーテと従者サンチョ・パンサ。ドン・キホーテはあこがれの対象を探し求め、村娘キトリにその姿を追い求めるが、キトリには許嫁バジルが、キトリの父親はより有利な結婚をと貴族ガマーシュをあてがおうとするが…。
全編明るく陽気さに満ち溢れていて、古典バレエにお決まりの悲恋、悲劇が全然ない。キトリが恋するバジルも他の女性に気を向けるなどだらしなく、キトリとの愛が成就しないと分かると自殺のまねごとをするなど茶目っ気たっぷりで、そのユルさをキトリはじめ、キトリのバジルとの付き合いを許さない父ロレンツォやガマーシュさえも受け入れているようなこれまたユルさが感じられて楽である。
ユルい、ユルい物語のどこが魅力的か。それは、ABTの誇る大柄、ベテランダンサーらの大技の連続があるからである。バジルを演じるホセ・マヌエル・カレーニョはABTの顔そのものでキトリ演じるパロマ・ヘレーラともども中南米出身の華やかさの頂点のような存在。大柄なヘレーラを片手でリフトしたり、片足を垂直にあげたまま回転する(名称を知らない)大技、パロマも回転につぐ回転などまさに超絶技巧の数々。大仰、大技大好きにはたまらない演出で、そこにしっとりしたダンスなど微塵もない。分かりやすく、幸せなダンスを飾るのは、女性ダンサーが男性をはさんだ(?)状態で宙に浮くフィッシュ・ダイブで決まりである。
アメリカ、NYを代表するカンパニーの一つABTは双璧のニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)が古典をほとんどしないのに対し、幅広い演目をこなす。だからドン・キホーテのような原作は古典を拾いながら、いわば古めかしくない演目も上演し、それをこなすスター人がいるということだろう。風車にぶらさがって落ちるキホーテや、彼にきれいな地元の女性の情報を集めるパンサなどドタバタの中にも、次のもっと大胆なパ・ドゥ・ドゥを期待させる演出は最後まで飽きさせない。それを支えるのが件のプリンシパルたち。
あのような明るく、なんの外連味もないパフォーマンスには大柄、大仰、大づくりのダンサーが似合うに違いない。同じ大柄でもロシアやドイツに代表されるヨーロッパのカンパニーとは一味もふた味も違ったまさにゴージャスなABTの楽しい一夜であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする