アムステルダムの一大観光地は「アンネ・フランク・ハウス」である。2年以上アンネら一家が潜んだ隠れ家が再現され、企画室は、人権に関わる様々なプロジェクトが紹介、展示されている。見て感じ、アンネの時代に想いをはせることのできる素敵な施設だ。本書の後書きにあるようにアンネとその隠れ家には皆興味を抱き、関心を持つが、その周囲の状況はどうであったかの関心は薄い。アンネ一家がナチスに捕らわれたのは密告によると言われる。ならば、アンネ一家が暮らした家のみならず、その街はどのようなものであったか、誰がどんな暮らしをしていたのか。生存者からの聞き取りや膨大な公文書資料などを渉猟し、アンネの暮らしたメルウェーデ広場とその周辺の姿を立体的に明らかにしたのが本書である。
メルウェーデ広場は、ドイツから逃れてきたユダヤ人コミュニティーであった。逃れてきた当初は、ここなら大丈夫という安心の地であったろう。しかし、オランダにもナチス・ドイツの支配が及ぶにいたって、広場も安住ではなくなる。次々に捕えられるユダヤ人、ユダヤ人以外ですすんで手先となる者、そしてレンジスタンス運動に身を委ねる者。しかし、1933年から34年にかけて広場に移住したフランク一家にとって、隠れ家に身を潜めるまで8年あった。だからアンネも学校に通い、友だちと遊び、時に大人を困らせたりする「子どもらしい」時間を過ごしていたのだ。直接、間接を問わず、フランク一家となんらかの繋がりのあった人たち、その周辺の人たち、そして、そのまた周辺の人たちがコミュニティーを形成し、時に助け合い、突然いなくなったりした。そう、フランク一家も家族を助けたミープ家以外の者にとっては「突然いなくなった」のだ。
オランダはドイツに併合、支配されることまではないだろうと移った人たち。そして、オランダでは生きながらえていけると。しかし、結局ナチドイツに占領され、オランダ王国は英国へ逃れ亡命政府を樹立する。亡命政府に、自国民の安寧、ましてや移住してきたユダヤ人を助ける力はない。だからコミュニティーで助け合っていたのだ。しかし、ユダヤ人であるからユダヤ教が紐帯となっていたとは限らない。熱心な教徒も居れば、シナゴーグに行くのも億劫な人もいたようだ。だから宗教がコミュニティーを支えていた理由というより、むしろドイツから逃れてきた同じエグザイルやエクソダスとの立場での共同であったのだろう。しかし、緩やかな共同であっても、ナチスから見れば皆同じ絶滅対象であったことが間違いない歴史的事実だ。
著者のリアン・フェルフーフェン自身、メルウェーデ広場の住人である。そして、アンネの死去(1945年2月頃、アウシュビッツ絶滅収容所からベルゲン=ベルゼン強制収容所に移送後死亡)頃までに至る、広場の住人の去就を克明に追っている。調査時には、まだ、生存している人もいたからだ。一人ひとりの物語は、同時に一人ひとりの尊厳を描く。多くが絶滅収容所に送られるギリギリまで、貧しく、苦しくとも豊かで、幸せな時期もあった人たちだ。そして、その一人ひとりは、時にエゴイスティックで慈悲深く、家族や仲間を大事に思い、時に裏切り、厳しい選択をせざるを得なくなった小さく、弱い人間であった。だからこそ、アンネと同じく生の物語が大事に語られるのだ。いく人ものアンネがいた。
アンネ・フランクはひとりじゃなかった。
(『アンネ・フランクはひとりじゃなかった アムステルダムの小さな広場 1933-1945』みすず書房、2022年)