映画で取り上げられる画商というとナチスが「頽廃芸術」とのレッテルを貼った20世紀の表現主義的絵画、キュビスムやシュルレアリスムなどの作品を売り捌いたり、隠し持ったりしたマイナスイメージで描かれることも多い。あるいは犯罪や訳アリ、スキャンダルと無縁でないダークな面とか。その画商が関わるオークション・ハウスも闇にまみれた部分、裏社会の資金洗浄などこれも平和なシロートには預かり知らない部分ばかり。しかしこれらのイメージはそういった面の方が映画になりやすいから、ドラマチックであるからであって、小国フィンランドの小さな画商が主役で、ヘルシンキのオークション・ハウスごときでは犯罪は縁遠く、画商自体も真っ当に違いない。しかしそこにも物語はある。
年老いた美術商オラヴィはオークション・ハウスで見かけた1枚の絵に目を奪われる。しかし絵には署名がなく、作者不明。折しも音信のなかった娘から問題児の孫息子を職業体験のため預かることになる。なんとか晩節に大きな仕事をしたいオラヴィはあの作品を競り落としたいが資金がない。なんと孫息子の進学資金にまで手を出し、娘との仲は決定的に悪くなる。「お父さんはいつも自分のことばかり。私たちを助けてくれたことがあるの?」孫息子の働きにより、作品がロシアのロマン派画家の巨匠イリヤ・レーピン作と証明でき、無事競り落とすが予定額を大幅に超える1万ユーロ(約120万円)。レーピンを欲しがっていた旧知の富裕層に10万ユーロで売れそうになるが。
犯罪に無縁のと記したが、作品の出所を探る様はスリリングそのもの。アナログな老画商に対し、孫はタブレットであちこちに繋げる。レーピンの「キリスト」は結局売り抜くことができず、店を畳み譲り渡した金員で孫の学資も返済するが、本作は絵そのもの出自を追う物語であるとともに、仕事ばかりで子どもに応えられなかった父と娘の和解の物語でもあるのだ。そして、レーピンがサインを遺さなかった理由も明らかになる。
北欧フィンランドというと国民性はシャイで、思い浮かぶのはムーミンかマリメッコやイッタラなどのブランド。誠に貧しい知識しかないが、その小さな国の小さな物語が美しい。そして名画をめぐる謎解きも親と子、孫との関係も国の大小に関係のない普遍的なテーマに違いない。老画商はヘルシンキの街中で営み、住まいも近いが、シングルマザーである娘親子は新興住宅地に住む。ヘルシンキの古き良き伝統とそこには暮らせないより若い層。フィンランドの文化や日常も織り込まれて、最後まで目が離せない。どこぞの大統領は政治も外交もなんでもかんでもディール、ディールと喧しいが、こんなラスト・ディールなら素敵だ。
レーピンがサインを遺さなかったのは絵画ではなく「聖画(イコン)」として描いたから、というのがスウェーデンの美術館の見解。納得の答を得て、老画商は孫に名画を託し、逝く。悲しいが、後味も素敵なフィンランド映画である。ちなみにロシアのロマンティック絵画については以前認めた。(近代ロシア美術を満喫 「ロマンティック・ロシア展」
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