kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

小さな国の大きな満足 ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像

2020-03-19 | 映画

映画で取り上げられる画商というとナチスが「頽廃芸術」とのレッテルを貼った20世紀の表現主義的絵画、キュビスムやシュルレアリスムなどの作品を売り捌いたり、隠し持ったりしたマイナスイメージで描かれることも多い。あるいは犯罪や訳アリ、スキャンダルと無縁でないダークな面とか。その画商が関わるオークション・ハウスも闇にまみれた部分、裏社会の資金洗浄などこれも平和なシロートには預かり知らない部分ばかり。しかしこれらのイメージはそういった面の方が映画になりやすいから、ドラマチックであるからであって、小国フィンランドの小さな画商が主役で、ヘルシンキのオークション・ハウスごときでは犯罪は縁遠く、画商自体も真っ当に違いない。しかしそこにも物語はある。

年老いた美術商オラヴィはオークション・ハウスで見かけた1枚の絵に目を奪われる。しかし絵には署名がなく、作者不明。折しも音信のなかった娘から問題児の孫息子を職業体験のため預かることになる。なんとか晩節に大きな仕事をしたいオラヴィはあの作品を競り落としたいが資金がない。なんと孫息子の進学資金にまで手を出し、娘との仲は決定的に悪くなる。「お父さんはいつも自分のことばかり。私たちを助けてくれたことがあるの?」孫息子の働きにより、作品がロシアのロマン派画家の巨匠イリヤ・レーピン作と証明でき、無事競り落とすが予定額を大幅に超える1万ユーロ(約120万円)。レーピンを欲しがっていた旧知の富裕層に10万ユーロで売れそうになるが。

犯罪に無縁のと記したが、作品の出所を探る様はスリリングそのもの。アナログな老画商に対し、孫はタブレットであちこちに繋げる。レーピンの「キリスト」は結局売り抜くことができず、店を畳み譲り渡した金員で孫の学資も返済するが、本作は絵そのもの出自を追う物語であるとともに、仕事ばかりで子どもに応えられなかった父と娘の和解の物語でもあるのだ。そして、レーピンがサインを遺さなかった理由も明らかになる。

北欧フィンランドというと国民性はシャイで、思い浮かぶのはムーミンかマリメッコやイッタラなどのブランド。誠に貧しい知識しかないが、その小さな国の小さな物語が美しい。そして名画をめぐる謎解きも親と子、孫との関係も国の大小に関係のない普遍的なテーマに違いない。老画商はヘルシンキの街中で営み、住まいも近いが、シングルマザーである娘親子は新興住宅地に住む。ヘルシンキの古き良き伝統とそこには暮らせないより若い層。フィンランドの文化や日常も織り込まれて、最後まで目が離せない。どこぞの大統領は政治も外交もなんでもかんでもディール、ディールと喧しいが、こんなラスト・ディールなら素敵だ。

レーピンがサインを遺さなかったのは絵画ではなく「聖画(イコン)」として描いたから、というのがスウェーデンの美術館の見解。納得の答を得て、老画商は孫に名画を託し、逝く。悲しいが、後味も素敵なフィンランド映画である。ちなみにロシアのロマンティック絵画については以前認めた。(近代ロシア美術を満喫 「ロマンティック・ロシア展」

https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/afa4419f5ed60c0e87d2ea4173ddb1ea

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人は人の中で生き直すことができる 「プリズン・サークル」

2020-03-09 | 映画

ずっと購読している『くらしと教育をつなぐ We』誌2020年2/3月号で坂上香さんの関西での上映がまだの「プリズン・サークル」を取り上げてもらってとても嬉しかった。坂上さんのリストラブ・ジャスティス(修復的司法)を追究する作業は、「ライファーズ」や「トークバック」で何年もかけての取材、制作姿勢で明らかであったとはいえ本作は10年仕事である。実は、日本の刑務所に民間委託ができると聞いた時大きな違和感を覚えた。小泉政権下で進められた「官から民へ」の急激な変化は、規制緩和の名の下に本来民間に任せてはいけないだろうと思われる業界にまで浸透し、不安定・低収入の非正規雇用の増大を生み出し、サービスは官なみ(という表現、実態が正しいかどうかはさておき)に低く、収入は民なみ(の過剰サービスと働きすぎ)に低いという現実を生み出したからである。刑務所など民に任せたら、ますます受刑者の処遇が悪化するのではないかと感じた。しかし、島根あさひ社会復帰促進センターで実際導入されているTCユニット=更生プログラムでの取り組みは、驚くべき実践だ。他者を加害する人間は、幼少時にひどい加害経験を受けた人が多いという研究は知られているが、それを明らかにするとともに自己を見つめ、同じ境遇の受刑者と分かつことで更生に繋げるプログラムは、再犯を防ぐ=犯罪を減らす、という意味でとても有用である。そのプログラムを丹念に撮る坂上監督には一度犯罪者になった者でもそうでない生き方を回復できる、それは修復の力によるものという信念があるのだろし、賛成できる。ただ、島根あさひの受刑者、TCに参加する受刑者は年少者が中心で、死刑囚(は、TCどころか服役中の制限は多い)などの重大事犯はない。「ライファーズ」のように重大事犯にまで広げられるかどうかが今後のTC拡大にかかっている。

とここまでは「プリズン・サークル」を観る前に書いたもの。映像はこの国の刑務所にカメラが入ったというだけでも驚異的であるのに、受刑者の素顔(といっても顔にはブラーがかけれている)と、おそらくは心の底から紡ぎだし、初めて他者に吐露したであろう言葉によって彼らの「回復」が描かれているのが本当にすごい。そう、人には言葉が必要であるのに、犯罪者となった彼らには言葉が奪われてきた。その反対に肉体的暴力を受けてきた。「暴力の連鎖」と一言で片付けるわけにはいかない。自己に対する暴力に無感覚になると、他者に対するそれも無感覚となり、被害への想像力が生まれない。そういった子ども時代の虐待を生きてきた彼らは、居場所も帰るところも、休まるところもなかったし、世の中にそういう場所があることさえも知らなかった。それを語る言葉をやっと得たのだ。

坂上香監督自身が中学生時代に凄まじい集団リンチを受け、親からの虐待も経験、より弱い立場の弟に対しては加害者となった「暴力の連鎖」を体現していたために、なぜ人は残虐になれるのかに関心を持ち、追究してきたという。そしてその粘りによって公開まで10年の歳月をかけたのが本作である。TC受刑者は、再収率(刑法犯を犯して再び収容される率)が受けていない者の半分以下というから、その効果は明らかだ。しかし受刑者4万人に対し受講者できる者はたった40人。島根あさひでは初犯者に受講を限っているが、再犯者やより重い罪を犯した者にも広がってほしい。「人は人の中で生き直すことができる」のだから(『くらしと教育をつなぐWe』誌2020年2/3月号の特集表題。『くらしと教育をつなぐWe』はフェミックス(http://www.femix.co.jp)刊。『ジソウのお仕事』(https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/3511eee03c4e43beccd6466aef756e18)でも紹介した出版社である。)

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