kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

やさしさには限界がある    ケン・ローチ「この自由な世界で」

2008-11-24 | 映画
またキツイ作品を提供してくれたものだ、ケン・ローチは。移民問題という点では「ブレッド&ローズ」や「やさしくキスをして」が思い出されるが、今回はその移民を食い物にする(労働)搾取の問題。それも主人公は根っからの悪人ではなく、自分が底辺からはい上がろうとして次第に一線を越えてしまう物語なのである。
人材派遣会社をクビになったアンジーはルームメイトのローズと自ら日雇い派遣の仲介業を起こすが、より多く儲けようとして不法移民を雇うようになる。偽造パスポートを配り、ピンハネし、揚げ句の果てに新しい仕事のために多くの日雇いの宿として、不法移民の住居を当局に通報するまでになる。一度痛い目に遭うが、ローズが去った後も移民日雇い派遣業は止めようとしない。母親不在で問題行動を起こす息子と幸せに暮らしたいだけなのだが、一度「儲ける自由」、「人を踏み台にする自由」の味を覚えてしまうと…。
ローチの描く作品には主人公は本当の意味で悪人ではない。学のなさゆえ、貧しさゆえ、アルコールや麻薬、盗み、時には誤って人を死なせてしまう心小さき人たちである。そしてその誰もが家族や恋人らとの安住を求めているが、現実は資本主義や自由主義の構造の中で容易にははい上がれない。しかし、そのような「悪」を行う本人を裁いたりはしない。同時に主人公を悪に追いやった直接のより大きな悪も裁いたりはしない。ローチは重ねて強調している。構造こそが問題なのだと。
だから、ブレッド&ローズを除いてすっきりしたエンドの物語はない。どこか後味が悪かったり、主人公らを取り巻くこの不安定さにはほとんど活路も見いだせず流れていく。アンチエンディングなのである。
2004年EU拡大に際して労働市場を開放したイギリス。特に東欧、ポーランドから多くの移民が押し寄せた。しかし、合法な移民に混じって当然不法移民も多く押し寄せる。アンジーが一時助けるイラン人のマムフードは政治亡命であり、不法滞在である。労働市場を開放すると、当然国内の雇用が奪われる。保守系政党などはそのような移民を多く雇って利益をあげている企業から献金を受けながら「移民は追い出せ」と言ったりする。
あれっ、これってイギリスの話か? そう、日本では外国人労働者という言い方で決して「移民」とは言わない。看護師や介護士の労働市場開放でもあんなにもめた、というか、それほど開放がすすんでいない日本ではアンジーのようなキタナイ業者はいないのか? いや、日雇い派遣の問題は秋葉原の事件を見ても、すでに深刻化している。そして、目に見える形での日雇い派遣は日本人に限られるが、今や期間工という形で自動車工場や精密工場などは外国人ばかりである。すでに日本でも移民なしでは製造業は成り立たなくなっているのだ。そして、自動車業界は不況が顕著であるが、雇用の「安全弁」のターゲットは真っ先に移民に向けられる。その人たちはじゃあすぐに帰国できるのか。帰国して将来があるのか。
格差問題は小泉・竹中の構造改革からではなく、中曽根時代の「前川リポート」ですでにアメリカの言いなりで規制緩和、市場の自由化の促進によって始まっていたとどこかで読んだ。英会話習得熱がこれほど高いのに移民(多くの場合非英語ネイティブ)との付き合い方に真剣に取り組まない日本。
多くのアンジーを生み出す巨大な悪=構造を突きつけられ、それを直視しないことにまた気付かされたローチの問いである。
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プレルネサンスの至宝   ジョットとその遺産展

2008-11-23 | 美術
ブログを更新せずにサボっていたのだが、東京と横浜にまとめて行く機会があったのでいくつかの展覧会を見てきたその感想から再開しようと思う。
イタリアでルネサンスが開花する前に卓越した技量で中世のゴシック美術から「イタリア美術」を完成させたと言われるジョット。損保ジャパン東郷青児美術館で開催された「ジョットとその遺産展」では従来壁画であったり、はずせない板絵であるとか、保存状態が良くない、当然移動が困難で日本ではなかなか見られないプレルネサンスのいいものが集まっている。ジョットは聖母子をいくつも描いたが、そのいずれも聖母の圧倒的な迫力で師チマブエを超えたとされる。いずれの時代も師が驚くほどの才能を発揮して芸術は発展していくものであるが(ダヴィンチも師ヴェロッキオの工房にいたが、師がダヴィンチの才にかなわないと筆を置いたほどということは有名)、反対にジョットの後に続くジョッテスキ(ジョットの弟子たち)がいずれもジョットを越えられなかった(ジョットの域までは達したという評価も含めて)ことからもジョットの先進性、偉大さがしのばれる。圧倒的な聖母子のみならずジョットはたとえば裏切り者のユダであるとか、息絶えるキリストとその弟子たちであるとか、13世紀ゴシック絵画では平板さがぬぐいきれなかった人物像に息を吹き込んだとされる。ジョットと同じ時代に活躍したドゥッチョなどがフィレンツェならフィレンツェと一地域に留まりがちだったのに比べ、イタリア全土をまわり功績を残した。その一つが本展で写真ではあるが綿密に配置され展開されているスクロヴェーニ礼拝堂の壁画である。
壁画であるからもちろん日本に持ってくるわけにいはいかないが、ジョットのすごいのは一つひとつの聖書の物語を分かりやすく感動的に描き(この時代、聖書の物語を礼拝堂の壁画などでしか学べなかったのはもちろん)、その鮮やかで躍動的な様が700年の時を経ても全然朽ちていないところである。スクロヴェーニ家は金融業で財をなし、その金もうけに走った父の罪を贖うために息子が礼拝堂を築いたとされたが、本当は息子がその自己顕示欲のために建立したというところらしい(『ルネサンス美術館』石鍋真澄 小学館)。とにかくジョット美術館の体をなす礼拝堂はプレルネサンスの至宝として一度は訪れたい場所である(温度湿度管理のために観光客は別室で待たされてから15分しか拝めないらしい)。
色鮮やかさという点ではジョットの時代にすでに完成していたが、迫力あるイエスやその他の登場人物像がやさしく、やわらかく描かれるまではフラ・アンジェリコやラファエッロまで待たねばならない。威厳ある聖人と慈悲深いそれという相反するような描写法はキリスト教が民に対する姿勢と役割を同時に体言しているようで興味深い。そして、宗教画は当然時の権力者(や教会)が発注するものであるから、その注文意図とも無縁ではない。
ジョットとジョッテスキが描く聖母子やキリストの物語などは、キリスト教自体が権威として君臨した時代の曙光であったのであろう。(「聖母子」ジョット フィレンツェ、サント・ステファーノ・アル・ポンテ聖堂附属美術館) 
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